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2006年3月10日金曜日

音楽の持つ力


仕事でボーっとした頭で何気にいつも訪れるブログをチェックしていましたら、鎌倉スイス日記の「消費文化と芸術・・・難しい!!」というエントリが目に止まりました。今はこれについてあれこれと考えるほどの気力もありませんので、思いついたことのみメモしておきます。Schweizer_Musikさまに対する問題提起でも批判でもありません、単なる自己確認です。



「芸術」という言葉は、私はサブカルチャーが台頭してきた1980年代後半を境に死語となったのではないかと思っていますので、改めて「芸術とは何か」と考え始めると正直アタマが混乱してきます。


「売れる音楽」=「普遍的音楽」=「芸術」であるなんて誰も思っていませんし、ましてや現代において「売れる」ためには大掛かりなプロモーションも重要な要素であることはSchweizer_Musikさまご指摘のとおりだと私も感じています。オリンピックを期に売れ続けている「トゥーランドット」も、荒川静香というプロモーターが居たからなのでしょう。


もっとも、いくら大々的にプロモーションしても売れないこともあるわけです。音楽が良くなかったということの他に、受け入れる側にそれを受容するだけの準備が出来ているかということも重要なことかもしれません。時々「○○は生まれるのが早すぎた」だとか「やっと時代が○○に追いついた」と言うような評を目にします。


音楽は師弟関係や、さまざまなスタイルが影響しあっていますから、「ある前提(音楽)」の上「その音楽」が成立しているのだとは思います。ですから、例えばありえないことですが、モーツァルトの時代にストラヴィンスキーやBlack Eyed Peasの音楽が奏でられたとしても、当時の人達にとってはおそらく騒音でさえないことでしょう。

しかしそれであっても、音楽を進歩論的あるいは進化論的に捉えることには若干の疑問を感じます。上記は極端な例ですが、短期的な「売れる・売れない」は、時代の有する雰囲気との乖離を示しているに過ぎないと思います。


ハナシが全然それてしまいましたが、売れる音楽には売れるだけの理由があり、「音楽の力」があるという点です。


売れるということの中に、本当に人々の心の琴線に触れる何かがある。だから売れるのだという部分が存在することを、忘れてはならないのではないでしょうか。

良いメロディー、良い詩・・・、かっこいいアレンジ、サウンド、ルックス、ヒットする要素の中には色々なものがあるのですが、たとえばスマップの「世界にひとつだけ…」という歌は、スマップの人気だけでなく、歌そのものに力があるように思います。


私自身「音楽の力」を認める発言し、かつ「音楽には力がある」と実際思っているのですが、「多くの人に売れる」ということ、つまり音楽的なマジョリティが存在すること。このことに私は少なからず疑問を感じています。つまりある音楽がヒットするような社会ないしは個人が醸成されているということ。ヒットする条件としてのマジョリティの存在です。オンリー・ワンと唄いながらも、等しく共感するオールの存在。もっとも、個々に眺めれば個人が音楽から受ける風景は異なっているのだと思いますが。


私の場合はクラシック音楽を聴き始めたきっかけのひとつに「スタイルとしてのマイノリティへの逃避」という意味合いがあったことは否定しません。しかし、その狭い世界の中ではマジョリティに迎合している自分が居ます。もう一度考えます。プッチーニは売れてラフマニノフがそれほどでもないのはどうしてなのかと。(実は私が目にしないだけで両方売れているのか?)。うまく表現できなくて申し訳ありません。

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