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2001年9月12日水曜日

テロの映像を見て

世界貿易センターに航空機が突入するシーンを、まるで映画のロケのように多方向のカメラアングルで、いやというほど繰返し放映している。また、本当に信じがたいことに、その400mもある世界有数の超高層ビルがダイナマイトでのビル破壊を見るかのような具合に崩壊するシーンを見る。

映像を見ながら慄然とするとともに、「映画を観ているかのような」非現実感を伴い、大いなるカタストロフにカタルシスを感じている自分にふと気づかされる。そう、これはまだ自分の身に起こった悲劇ではないから、傍観者たれるのだ。

このような映像(表現)に慣れすぎているが故に「映画的」と思う心を止めることができない、不謹慎と思ってもだ。心の中に固いしこりとともに、大いなる断層を感じながらニュース映像から眼をそらすことができない。 

テロの映像や写真は、間違いなく21世紀の一頁に(世界が21世紀まで存続していれば)残るだけのニュースバリューを持ちつづけるだろう。

しかし、この映像の持つ恐怖は心の奥に澱のように沈んでしまったのではなかろうか。仕事をしながら、ふと窓の外をよぎる影に気づき、あるいは不穏なジェット機のエンジンのような音を耳にし、不安気に窓の外に視線を泳がせる自分に、今日気づくのである。まさか・・・・と、一瞬後に自分を笑い飛ばしながらも。

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