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2001年9月15日土曜日

テロを境として

テロの報に接し、謹慎しているわけにも、不謹慎な言動を取ることもできない。では、何ができるのか、ということになる。

��機目がWTCに突入したのをNHKの生放送で接し「これはテロだ、大変なことになるぞ」と思った。数十分後に国防総省へのテロの報を聞き、もはや日本も傍観者ではいられず、我々の生活にも大きな影響を及ぼす重大なる局面を迎えるという予感を感じた。

傍観者ではいられない、ということは、何をすることなのだろうか。

昨日の朝日新聞の「視点」で小田実が書いていた。こういうときこそ、平和憲法を有する日本のするべき立場があると。米国の武力をもった報復攻撃に協力支援することではなく、中東問題の解決に向けての尽力をするべきなのだと。それが真の「構造改革」ではないかと。

いかにも小田実的な意見である。しかし、世の動きは米国追従である。小泉首相は「いかなる協力も惜しまない」という主旨の発言をしているが、それは、自衛隊を動かし後方支援するということなのか。あるいはもっと踏み込むのか。もはや人は出さずに金だけ出すということは許されないだろう。

テロを境として、今までの防衛論の根底からなし崩し的に変革する恐れさえはらんでいるように思える。タカ派的な意見がこれから、巾をきかせるだろう。いままで防衛論について先送りしてきただけに、これからの成り行きが不安である。

こういう風な世の中の気配を感じると、音楽を聴きいたり、日々家族と何気ない生活をしているというだけのことが、どんなに幸福なことか、ということを身にしみて感じるのである。

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