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2001年9月16日日曜日

いくつもの世界

ここまで書いてきてひとつ気づいたことがある。私の場合だが、中東やポスニア紛争の報道に接してもここまで暗澹たる気分に陥ることはないと思う。

なぜか。それは、彼らの紛争を「別の世界の出来事」ととらえているからではなかろうか。中東問題やアラブ諸国も日本から見ると「別世界である」。

逆に、アメリカを敵対視するアラブ諸国やビン・ラディンも「西側世界が我々の世界を抑圧している」という見方かもしれない。彼らとは別の世界にわれわれは住んでいるのだ。

ふたつある(あるいは複数)の、そのひとつの中にしか、われわれは属していない。他者の痛みなど決して分からないのかもしれない。

他者の痛みなど決して分からない国に、他者の扮装の仲裁などどうしてできようか。人道的には正しいと思ったとしてもだ。だとすると、対米追従型の路線を貫くしかないのだろうか。今の私にはわからない。

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