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2002年7月15日月曜日

 田中長野県知事の不信任決議

15日、田中康夫長野県知事が県議会から不信任決議案を提出されたのを受け、議会を解散せず辞職し再出馬する意思を固めたらしい。この問題についてどのように考えるべきなのか、私は戸惑ってしまう。

田中知事が「脱ダム宣言」により県議会と対立していたことは知っている。脱ダム後の治水問題についても研究もしていたと聞く(県治水・利水ダム等検討委員会、浅川及び砥川の「総合的な治水・利水対策について」の答申)。双方とも納得できる妥協点を模索していたのだろうとは推察する。

全国の自治体において、公共事業の見なおしの機運は高まっている。特に、素人目にはムダとしか思えない道路や港湾施設、農場空港などを紹介される報道に接すると、その思いは強くなる(ムダなダム=怪文だな ^_^; )。実際に、走行台数の極めて少ない高規格道路や高速道路を通ると、さらにその思いは強くなる。

しかし、これらの事象は本当に正確に伝えられているのだろうか。事業のコストパフォーマンスについて、公正かつ正確に説明されているかと考えると疑問を感じる。推進であっても反対であっても、双方の主張は判断可能な形で提示してもらいたい。だから、信濃毎日新聞の7月14日の社説を読んでも曖昧さが払拭しきれない。地元新聞でさえ「何が理由の不信任であり、何を争点に争う知事選かが明確にならなくてはならない」と書いている。

日曜日のサンデープロジェクトでは、田中知事と県議が出演し、意見を述べ合ってた。これを聞いていると、脱ダムはひとつのきっかけに過ぎず、根底には知事と県議の深い溝を感じる。田中知事になってから、県政、県経済は停滞しているではないか、というのが県議達の主張のようだ(県議の代表意見は毎日新聞の記事から伺い知ることができる)。この点は、小泉内閣の「痛みを伴う構造改革」とラップする部分があるように思える。

感情論で反対するなどという愚考は避けねばならない。不信任を出せば解決とかいうような問題ではない。小泉・田中に代表されるような、現状の閉塞感の中から改革を求める気持は私とてある、改革に対する期待もある。それは、より豊かで(物質面ではなく)住みやすい社会へ向けてという前提で、やみくもな破壊者を望んでいるわけではない。

理念としての「望ましい社会」と納得のゆく実現に至るアクションプランを我々は求めている(田中氏の理念は毎日新聞のインタビューから伺い知ることができる)。私はこの問題を考え始めると、情報量の少なさから先に進むことができない。


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