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2005年9月13日火曜日

選挙なんてっ!

本日(もう昨日か)の衆議院選挙自民圧勝に対し私は何も言うことができない。結局、住民票のある投票区に帰ることができなかったのである。ギリギリまで帰るつもりでいたから(選挙以外にも帰りたい理由があった)不在者投票の手続きも行っておらず、結果としていつものごとく段取りの悪さから、ささやかなる政治参加の機会を逸し、くだらない仕事に休日も忙殺されていたというわけである。

帰るのが難しいと告げたとき家人曰く、「無理して帰ってきても一票なんだし・・・」。それはそれで正しい。しかし、実はそれはその一票を投票することでしか直接的な政治参加表明ができないのであるから、個人にとっては「した」か「しなかった」かというグレーのありえない徹底的な差異である点で間違っている。

だから自民圧勝に対しても、刺客たちの当選に対しても、彼らを選んだ多数に対しても、残念だった民主党に対しても私は意見を言うことができない。古館氏の司会する番組の裏で、筑紫さんと久米氏が席を並べている番組の愚劣さなどについても書くことができない。というか、何かを書く以前に、疲れきった昨日の私の身体は22時以降まで覚醒していることを許してはくれなかった。

「丸山眞男 音楽の対話」(中野雄 著、文春新書)を読み始める(つーか、あと少し)。丸山の膨大な著作群に接することなく中年になるまで生きてきてしまったが、音楽に対する彼の指摘がいちいちツボを抑えている点に驚いている。私と音楽の好みが一緒であるかはさておき、音楽に対する接し方、探求の仕方、愛情には脱帽するのみ。ただ中野氏の文章はイマイチ、というかイマ五くらい・・・、本書をしたためた気持ちはわかるのだが。私は「丸山氏の音楽に対する愛情」は読みたいが、「中野氏の丸山氏に対する愛情」には残念ながら興味はないということだ。

考えてみれば丸山を知る人が丸山の音楽観を確認すべく書かれた本なのだから、おそらくは中野氏の丸山に対する敬意や愛情は、丸山を知ってこの本を手にする人にとっては共有できる感情なのだろう。

したがって丸山を知らない無学な私にとっても、中野氏の文章を通じて丸山の思想の片鱗に触れたいという気持ちが(すこーしだけ)起きた点で、結果的には中野氏のスタンスは正しかったと言える。(>何言いてーんだ?)

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