28日に封切られたばかりの「父親たちの星条旗」を観てきました。クリント・イーストウッド監督、スティーブン・スピルバーグ製作の硫黄島2部作のうち、こちらは、アメリカから見た硫黄島の戦争を描いたものです。
実はほとんど予備知識なく観たのですが、こいつにはビックリです。クリント・イーストウッドは「戦争映画を描いたつもりはない、人間のドラマを描いた」と述べていますが、いやたしかに、人間ドラマもとてつもなく重いのですが、それにしても、この戦闘シーンの凄まじさよ。
スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」が描いたノルマンディ上陸の戦闘シーンも凄かったのですが(というか、映像を観ながら、ほとんど恐怖におののき、吐き気がした)こちらの映像の迫力はその上を行くのではないでしょうか。敵も味方もない、無情にして非情な戦闘シーンの連続。アメリカの圧倒的な物量は映像で観るものを(ことに硫黄島決戦を良く知らない日本人を)圧倒しますが、それを支えた米国の内情にまでは、当時の日本人は(今も?)決して思い至らなかったハズです。国家は日本もアメリカもギリギリまで追い込まれながら、虚しい闘いを続けていたわけです。
そういう戦場シーンがあるからこそ、星条旗の持つ意味、すなわち写真の虚構と真実が重さを持ちます。彼らが命と半生を賭けたもの何であったのかが伝わってきます。
戦場の残酷さと故国のギャップは、戦争映画としては月並みな描き方です。しかしステロタイプな扱い方であってさえも、その対比が訴える力は少しも削がれはしません。映像に描かれたものを言葉に置き換えた瞬間に全てが陳腐にります。言葉では書ききれない重さが映像にあります。
本作は実話に基づく映画であるとのこと。国家が何を望み、個人や家族が何を望んでいたのか、戦争の英雄の実像と虚像。惨めな半生と決して口を割ろうとはしなかった過去の痛ましさ。戦闘シーンと同様に勝者も敗者もありません。愛国心などと言う言葉で括るのも軽がるし過ぎる。人は何故闘ったのか、何故そこに残ったのか、何故そこにまた戻ったのか。
かつての名作「ディァ・ハンター」のように、ひたすら戦争の傷を舐めるという類の映画でもありません。戦争の無意味さを強く主張する映画でもなさそうです。それでいて、戦争と言うものの底辺と真実がイヤと言うほどに実寸大で見えてきます。
おそるべし、イーストウッドです。硫黄島決戦というと、穴倉に火炎放射器を容赦なく浴びせかける米軍兵の映像などが夏のヒストリー・チャンネルやNHKで繰り返し流されますが、それとて何かが欠けていた視線だったのかもしれません。12月9日に公開される「硫黄島からの手紙」は日本の視点から描いたものです。これは是非観なくてはならなくなりました。