日高氏は一貫してモノクロームの見上げた樹木を描き続けている作家です(参考サイト)。日経新聞で紹介された記事を観て、何やら気になって仕方がなくて観に来た個展。
最初に絵を観たときには、もっと細密な絵を描く人であったかと思ったのに、近づいてみると、ボウボウと結構大雑把な筆致。あれ、これは思い違いであったかと一瞬落胆したものの、実はそんな技巧的なものが彼女の絵にとってモンダイではないと気付きます。
彼女の絵は、その作品に近づいているときにではなく、絵からかなり離れて鑑賞することによって、驚くべき空の輝きと深さが感知されるようにできています。会場正面に掲げられた3点の絵は、高さも間隔もマチマチに配されているのですが、これが「一体」の作品であることにも気付かされます。そうしてみると、この白く塗られた小さな個展空間そのものが、単なる絵画作品を鑑賞する場ではなく、インスタレーションの場そのものと思われてくるのです。
空間に漂う静謐さ。樹木をそして葉の一枚一枚を丁寧に描いていながらも、そこには具象を超えた抽象があり、類稀な空間表現があります。具象でありながら余計なものが削ぎ落とされた洗練、「ミニマル」な表現と解説パンフにはありますが、そんな窮屈な反復ではない、どこかスコーンと底の抜けた感じが気持を共振させます。
彼女が今回の個展に使っている画材は岩絵具。以前はドライポイントという銅版画も技法として用いていたようです。先日私は「素材はテーマや思想を規定するのか」と書きました。アクリル絵具には、画面を皮膜のように覆ってしまう感覚
があって馴染まないという日高氏。それに対する応えとして他の個展での日高氏自身の文章を以下に引用しておきましょう。
岩絵具や胡粉、特に胡粉には何か表層が呼吸している感覚があります。胡粉そのものの質感や光をキャッチする受容体ともいえるような一粒ごとの存在感が、私の感じた空間、空気や光を表現するのに適している
テーマが素材が規定するのか、素材がテーマを規定するのか、どうでもいいようなことなんですがね・・・。
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