ページ

2018年11月26日月曜日

2018/11/25 正蔵 正蔵を語る 国立演芸場

国立劇場で正蔵の落語を聞いてきました。
落語は殆ど馴染みがありませんから、感想らしきものも書くことが叶いませんし、ましてや正蔵さんの話芸について語ることもできません。ただ、楽しませてもらいました。

それにしても落語家の語りはすごいですね。「そんな両国でのお話です」と正蔵さんが話し始めただけで、風景がガラリとと変わり、物語の世界に入っていきます。流石といったところ。

思い出したら、また追加しておきます。

平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛
11月特別企画公演 「正蔵 正蔵を語る」

落語                        林家たま平
曲芸                        翁家勝丸
落語 「一眼国」   林家正蔵
落語                         柳家権太楼
       ―仲入り―
紙切り                      林家正楽
落語「小間物屋政談」  林家正蔵  





【追記】 田根剛さんの個展を見て

今回の個展は、『Archaeology of the Future ─ 未来の記憶』と名付けられています。公式HPの田根さんの言葉を、そのまま以下に引用しておきます。
まだ誰も見たことのない、経験したこともない、想像すらしたことのない、そんな建築をつくりたいと思っています。でもそれは奇抜な未来型の建築とは違う、場所の記憶からはじまる建築、そんな途方もないことを考えています。
私はいつも考古学者のように遠い時間を遡り、場所の記憶を掘り起こすことからはじめます。そこでは今日の世界から忘れ去られ、失われ、消えてしまったものに遭遇し、それらを発見する驚きと喜びがあります。その時、記憶は過去のものではなく、未来を生み出す原動力へと変貌するのです。 場所には必ず記憶があります。建築はその記憶を継承し、未来をつくることができるのです。未来は必ず訪れます。建築はこの時代を動かし、未来のその先の記憶となります。まだ誰も見たことのない未来の記憶をつくること、建築にはそれが可能だと信じています。
現在の東京を見ていると、場所の記憶を根こそぎ覆してしまうような開発が続いています。時間性も場所性も不連続なんです。開発設計者たちは、当時の建物の遺物である外壁の一部や、内装意匠、あるいは土地の形状、道路線形などを残そうとはしています。
それらの事例は、そこかしこに散見されます。しかし、それが開発に対する申し訳、免罪符的に見えてしまい、どうもあざとらしい。このくらいやっとけば、いいでしょう、みたいな。表層的なものが多く、開発全体のデザインコンセプトになっていない、あくまでも「記憶」はオマケ。

田根さんの建築は、そもそも発想が違うように思えます。土地の記憶を、それこそ根こそぎ立ち上がらせるような。更にそこに新たな記憶を付け加えて未来を俯瞰するような、そんな泥臭くも力強い、ポジティブなエネルギーを感じます。それゆえに、彼の建築には希望=未来を感じ取れます。エストニア政府が、当時26歳であった無名の若者に、国の歴史を託したもの、そのようなことを共感したからなのでしょう。国立博物館の建設そのものが、歴史でありドラマであったのではないかと。
田根さんの形になっていない作品群を見ると、舞台芸術やインスタレーションもやっている様子。そのどれもがアート性の高いもののように見えます。彼のスタイルが「パターン」に陥らず、「田根」が消費されることなく力を持ち続けるのか。また、この東京という場所で、彼の大きな作品が実現可能なのか、今後を見守りたいと思います。

2018年11月25日日曜日

2018/11/22 フランコ・ファジョーリ+VBO オペラシティ

東京オペラシティでコンサートホールで開催された、世界的に人気のカウンター・テナー歌手 フランコ・ファジョーリのコンサートに行ってきました。来日公演は、オールヘンデルプログラムで、バックをヴェニス・バロック・オーケストラがつとめます。

私も期待大でこのコンサートにのぞみましたが、いまだ興奮さめやらずといったところ。最初から最後まで圧倒的な内容でありました。

演目最期のcrude furieを歌い終わった後の、歌舞伎かフラメンコか、いやタンゴか!と思わせるような、タダダン!!の足踏みにも思わずブラボー!
3曲のアンコール後の、ほとんど全員かと思えるほどのスタンディング・オーベーションとブラボーの嵐。古楽系では、2014年4月のジャルスキー以来、待ちに待ったスーパースターであり、もはや今回の公演は開催と同時に「伝説」と化したのではないでしょうか。




感想を書こうにも、何から書いて良いのかも分からないので、そのうち考えがまとまれば追記します。


多少被りますけど、追記です。

フランコ・ファジョーリという名前を知ったのは、大方のファンと同様にYouTubeでの「アルタセルセ」の動画でした。これについては、もはや詳しく書くことなどありません。ネットに山と情報があります。 自分も当時(2013年の頃です)、何気なく音楽クラスタを巡っていて見つけたのだと思います。6分程のアリアを聴いた後、茫然となりました。「一体今聴いたのは何だったのか!!」と理解を越えた衝撃を受け、繰返し映像を観ました。まるで大島弓子の「綿の国星」ばりのカツラに歌舞伎のようなドーラン。そして信じられないばかりの音域の歌声。すべてが常識をはずれていました。

その後、ネットに転がる「アルタセルセ」と「ファジョーリ」の映像を探しては聴き、CDを買い、やはり満足できずにDVDを買うという普通にミーハーな道を辿りましす。そして、バロック・オペラという、多少アブナイ世界があるということや、バロックダンスという分野があることを始めて知ったのも、全てはこれがきっかけでした。

熱狂的なファンが生まれるのも分かります。彼の歌声は「情」に訴えかける部分が多いように思えます。他のカウンター・テナー歌手、そう、フィリップ・ジャルスキーの方が技量的にも、当時は名声的にもあったのではないでしょうか。しかし、比べてしまうとジャルスキーはいわゆる優等生なですね。歌声においてもスタイルにおいても。だから二枚目半的なファジョーリの方が、世の習いの通り、どうしても魅力的に見える。
「アルタセルセ」では完全にジャルスキーを食っていて、まさにファジョーリの舞台、公演そのものが「事件」であったのだと思います。

そんな彼ですから、期待も大きかったのですけど、それを全く裏切らない演奏会でありました。甘い歌声も、超絶的な技量も、余すことなく、おそらく絶頂期の、超一流カウンターテナーの歌声を聴かれたことは、この上ない僥倖でした。

アンコールで、舞台2階席からの熱烈なファンの要望に応て、アルタセルセからの「Vo solcando un mar crudele 」を唄ったのも「事件」でしょうか。オケは用意していませんでしたから、チェンバロで音程を軽く合わせてからのアカペラ。唄う前に何度も「これは用意していませんでしたから」と言い訳していたように、多少音程は怪しいところがあったでしょうけど、そんなことはどうでもよく、思い出すだけに鳥肌ものです。

最後はヘンデルの歌劇「リナルド」から「Lascia ch'io pianga」が唄われました。会場の皆さんにもご一緒にみたいな感じで、ステージ前の方から合唱になったのには驚きました。「え~?みんな歌えるの?」みたいな。一緒に行った妻は歌ってましたけどね(笑)。

こんな演奏会ですから、最後はオール・スタンディング・オーベーションとブラボーの嵐。どこの巨匠の引退コンサートかと思わせるほど(比較が違うか)。まさに、この来日公演そのものが「伝説」となった日でありました。

2018/11/22 田根剛 未来の記憶 オペラシティギャラリー

東京オペラシティギャラリーで開催中の建築家 田根剛の個展(美術手帖リンク)に行ってきました。

1979年生まれの田根剛さんは建築家の中では若手の一人。入り口のポスターやパンフレットになっているのは、エストニア国立博物館。2006年の国際コンペで優勝したもので田根さん26歳でのデビュー作とも言えるもの。この国立博物館、完成が2016年とありますから、まさに10年に渡るビックプロジェクト。最近では造園家のための等々力の住宅など、意欲的な建築で気になる建築家でした。

今回の個展で、田根さんの発想の原点というか、発想法そのものがカタチとなっていて、まさに圧倒される展示内容でした。




2018年11月19日月曜日

カメラは、写真はどうなっていくのか

 

2018年11月7日水曜日

写実絵画について

非常に為になるスレッドでした。写実系絵画につきまとう、いつもの課題と素朴な疑問なんですけど。個人的には写真と絵画は別物と思っています。ハイパーリアリズム絵画であったとしても。

写実絵画は対象を観察することが基本ですが、写真ベースだとどこまで見ても写真でしかないですから、自分で補う必要が出ますから。

2018年11月3日土曜日

2018/11/3 日本画の挑戦者たち 山種美術館

山種美術館で開催中の、日本美術院創立120年記念の展覧会に行ってきました。

この美術館、あまり大きくないのですぐに観終えてしまうのですが、横山大観、菱田春草、小林古径、速水御舟らの錚々たる作品群。
パンフレットや半券にもなっている、速水御舟の「昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯」は、何度見ても素晴らしい。
また、「名樹散椿」だけは写真撮影が許可されており、堪能させていただきました。




恵比寿 2018年

恵比寿の住宅街にて。

未だに昭和的な店舗が健在です。