2006年1月9日月曜日

大田区立龍子記念館

大田区立龍子記念館は昭和38年、龍子画伯喜寿の記念に自ら設計し自費により建設されたものです。記念館の傍らには伊豆から運んだという桜などが植えられています。

この龍子記念館に隣接して龍子のアトリエと自宅があるのですが、見学を依頼すると庭などを案内してくれます。本日は4名ほど、たまたまその恩恵にあずかることが出来、冬空のもとゆっくりと説明を伺いながら、龍子の跡を辿ることができました。

庭に入ってすぐの左手に池(今は水はもう湧かないらしい)があるのですが、これは終戦の3日前に爆弾が落ちて池になった場所なのですとか。爆風で母屋は吹き飛んだものの、幸いにしてアトリエは夏で窓を開け放っていたため爆風が通り抜け、奇跡的に昔のまま(硝子も!)の姿で残ったのだそうです。

有名な爆弾散華(下図:昭和20年)は、その時のことを描いた絵なのだと説明していただきました。残念ながらこの絵は、現在外出中だそうです。

 龍子は画家になっていなければ建築家になっていたそうで、その自宅やアトリエの設計、庭の手水鉢にも彼のこだわりが見て取れます。和風建築ですが、建具のデザインひとつとっても、その簡素さと洗練さには驚くばかりです。

龍子は大きな絵を描きますからアトリエは檜の板敷きで60畳、天井高さは4mもあるのですとか。庭はアトリエごしに庭の四季の変化を楽しめるようにできており、まるで龍子の日本画を思わせるような植物が生い茂っています。

梅は小さいながらも固い芽をふくらませつつあり、春を告げるのを待っているかのようでした。改めて、花の咲いた時期にでも再訪したいと思わせる場所です。

THE WEBSITE OF MR & MRS MORIYAに川端龍子のことが詳しく掲載されていますので、興味のある方はご参考まで。

川端龍子:風景画 奥の細道

以前、東京国立近代美術館で開催された「琳派 RINPA」展で衝撃を受けた日本画家に川端龍子[1885(明治18)-1966(昭和41)]がいます。龍子生誕120年の記念展が昨年秋から冬にかけて、江戸東京博物館で開催されていましたが、忙しさにかまけて観のがし悔しい思いをしていたのですが、龍子記念館が大田区にあると最近になって知りました。

本日は寒いながら天気も良く、散歩がてら南馬込まで脚をのばしてみました。都営地下鉄浅草線の西馬込駅を降り、桜並木通りを突っ切った先の住宅街に記念館はあります。

現在は「風景画 奥の細道」と題して龍子の作品の中から風景画が21点ほど選ばれ展示されています。奥の細道の俳句短冊から茸狩図(昭和11年)にはじまり、寝釈迦(昭和29年)や涼露品(昭和27年)などの大型の画も展示されており、見ごたえがあります。大きな絵を前にして、閑散とした館内でゆっくりと絵を堪能できる贅沢はこたえられません。


チラシにもなっている清水寺(昭和34年)や、影富士(昭和32年)も見事でしたが、迫力の点では千里虎(昭和18年)が凄かったですね。これは息子が出征する直前に描かれたものとかで、グッとにらみつける虎の眼光は、敵を威嚇する鋭さか、千里先の戦に向かう武勇を願ってか、あるいは出征する子を送る親の哀しみか。龍子の闊達な筆で描かれた虎は、声鳴き声で今も咆哮しているかのようです。朝陽松島(昭和26年)は、ターナーか印象派を思わせるような自在なタッチとテーマで、これまた闊達な筆さばき、観てほうと溜息。

龍子の画は繊細巧緻と大胆豪放さが共存しています。揺るぐことのないデッサン力をベースに彼の筆が大きく動くとき、豪放さと独特の静けさを共存させた龍子独自の世界が現前し、画を見るものを魅了して止みません。

2006年1月8日日曜日

恥知らずか気が狂ったか想定内か


何かと話題の多いライブドアの堀江氏です、TV CFで赤いウィンドブレーカーを着てくるくる廻っていたかと思えば、今度は歌手デビューなのだそうです。


自分の生き方や考え方を反映したいと作詞に挑戦、80年代テイストが入ったポップス系の曲調になる予定。堀江氏のポケットマネーでインディーズレーベルを設立、ライブドアのオンラインショップなどを通じて販売する。
(gooニュースより)


これを読んで、「想定内」と思う人は、それほどいないだろうとは思うし、彼には何の興味もありませんが、ちょっと考えてみると、それほど意外なことではないのかもしれません。というのも、本人にとっては、たまたまライブドアのIT系企業で有名になりましたが、彼の原動力や実現したい理念は純粋な企業活動にあるのではなく、自分自身をプロモーションすることなのではないかと思うからです。「ホリエモン」が商品なんですね、「ホリエモン」の内容は何だっていいんです。


そう考えてみれば、企業買収劇も選挙活動も、その一環の中での活動であって、彼が歌手に失敗した次に格闘技かお笑いに転向したところで驚きはしません。彼の下で働く人こそ、いい迷惑でしょうが。それにしても、今年もサムイですね。


【音盤】ベートーベン:「エグモント」序曲/ザンデルリンク ライプツィヒ放送so.

ザンデルリンク ベートーベン「エグモント」序曲
  1. ベートーヴェン:『エグモント』序曲 1969.1 スタジオ収録
  2. ヘンデル:合奏協奏曲 op.6-3 1972.9. ライヴ収録
  3. R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』 1972.2. ライヴ収録
  • ザンデルリンク(指揮)  ライプツィヒ放送so.
  • Weitblick SSS0055-2

テンシュテットの「エグモント」も凄かったのですが、ザンデルリンクの演奏も凄い。何が凄いって、これまたsyuzoさんではないのですがティンパニしょうか。

HMVの許光俊氏の評を引用してみましょう。

ドイツのオーケストラらしい重厚な響きを誇りつつ、鈍くさくない。雄渾なのに粗さがない。心地よい緊張感が張りつめ、音楽は痛快なまでにグングンと前に進んでいく。背筋がピンと伸びたような姿勢のよさ、凛とした気品がある。

テンシュテット&キールpo.でも感じましたが、こういう重厚さがドイツのオケなのでしょうか。しかし、当然のことながらテンシュテットのアプローチとは明らかに異なます。音楽は粛々と歩みを進め、一歩づつ運命の時に向って進みます。音楽の推進力は、テンシュテットのように坂を転がり落ちるような勢いをもったものではなく、不可逆な運命を確信しているかのような響きがあります。それを表す小刻みな弦の刻み、不安感を誘う木管や弦の響き、全く堂々としたものです、素晴らしい。

テンシュテットが熱狂さえ超えたかのように表現した勝利の解放感はザンデルリンクにはありません。あくまでも最後まで堂々と、ティンパニの乱打は凄いものの、統率されて曲を閉じます。それを許氏が指摘するように凛とした気品と呼ぶことに、少しも意義はありません。

【音盤】ベートーベン:「エグモント」序曲/テンシュテット キールpo.






テンシュテット ベートーベン「エグモント」序曲




  • テンシュテット(指揮) キールpo.
  • 1980.3 Live
  • Weitblick SSS0056-2



一体この「エグモント」序曲は何なんだっ!と聴き終わったあと、愕然とし、呆然とし、自分が何を聴いたのか良く理解できず、改めてもう一度聴き直しながらレビュを書いています。


演奏は第5番と同様のキールフィルハモーニー管弦楽団。録音のせいなのか、実際そうなのかは分かりませんが、ここでも低弦とコントラバスは分厚いアンサンブルを聴かせてくれます。ティンパニは時にはドロドロと重く、時には決然と打たれ演奏を際立たせます。


そして第5番で聴かれた、ポジティブな推進力はここでも全く失われておらず、8分14秒の演奏があっという間です。後半の切迫するような煽りからラストに至る部分は、もはや一気呵成といった感じ。


戯曲「エグモント」はエグモント伯爵という悲劇の英雄の物語ですから、序曲は暗く始まりますし、処刑シーンを現す部分もあるのですが、演奏解釈はひたすら前向きです。というのも、この曲も結局はベートーベン的な「勝利の音楽」で終わるからでしょうか。


最後の長調に転じた部分は、自殺する恋人クレールヒェンと処刑されるエグモント伯爵の愛と正義、あるいはネーデルランドの独立を暗示しているらしいのですが、演奏はまさに圧巻の一語に尽きます。一転の曇りもない青空に向かって、特大の打ち上げ花火と祝砲を鳴り響かせているような印象さえ感じます。


圧巻ついでに、もう一度繰り返して聴いてしまいましたよ・・・トホホ(>4度は聴かんぞ、でもiPodには入れよう)


PS. syuzoさんには敬意を表してTBを2発ほど打っておきました。

【音盤】ベートーベン:交響曲第5番/テンシュテット キールpo.

テンシュテット ベートーベン交響曲第5番
  • テンシュテット(指揮) キールpo.
  • 1980.3 Live
  • Weitblick SSS0056-2

キール・フィルハモー管弦楽団、あまり馴染みのないオケとテンシュテットのライブなのですが、すさまじいの一語に尽きる演奏です。他との比較で聴いてはいませんが、第一楽章からスピード感のある推進力と迫力を聴かせてくれます。

オケがうまいとか、そういうことではなく、指揮者とオーケストラが一体となって熱いパッションを振りまいています。「運命」の第一楽がこんなにも短く感じたことはありません、それほど最初から高テンションです。

syuzoさんも「テンシュテット:禁断の部屋」で指摘されていますが、低弦とティンパニの音が非常に響きに重厚さを与えています。やたらと打楽器が強調されていたにも関わらず、ある意味で「軽く神経質な」印象を与えたラトルのものとは全く異なることは、言うまでもありません。ベートーベンを聴く至福が第二楽章においても充分に味わえます。

確かに、オケがちょっと危なげに聴こえる部分がないわけではありません。しかし、それが音楽の「総体」に一体どういう影響を与えるというのでしょう。渾然一体となった表現の前には瑣末的な問題でしかありません。

輸入代理店である東武ランドシステムが簡単なコメントを付けています。

隅々まで緊張感が漲り、かつ雄大、豪快なアプローチは他のディスクを引き離します。 ドイツのオケならではの奇麗ごとに終わらない切実で献身的な演奏が心に染み渡ります。

確かにそうです、しかし演奏は心に染み渡るなどというレベルを遥かに凌駕しています。前へ前へと前進してゆく力、推進力、漲る加速感、なにも第三楽章から終楽章へ至る部分だけではなく、この演奏全体を支配している強烈なエネルギーであり、まさにそれがこの曲の持つ命だと言わんばかりの演奏です。

終楽章を聴いていて理性的であり続けることは、ほとんど困難を極めます。最後までティンパニがまた凄いんだ! あまりに力強く、確信に満ち、ポジティブな壮絶さに、実際に聴いているだけで、うっすらと汗ばんでしまいます。こういう音楽は、やはりベートーベン以外、他の誰も描けなかったと思う演奏です。(>いやはや、こんなに単純に感動していて良いものだろうか・・・)

2006年1月7日土曜日

【音盤】ラフマニノフ:交響曲第2番/スヴェトラーノフ&USSR State so.


  1. Largo-Allegro moderato 18:01
  2. Allegro molto 07:05
  3. Adagio 15:07
  4. Allegro vivace 10:26
  • スヴェトラーノフ(指揮) ソヴィエト国立so.
  • 85年1月25日(ラフマニノフ)
  • SCRIBENDUM/SC 033

本盤も許光俊が「オレのクラシック」で芸能人にたとえるなら、まさに叶姉妹と絶賛しているものだからつい購入。しかし聴く前から例えるにしても「叶姉妹」は酷すぎると思っていたのですが、聴き終えてみた感想で言えば、その比喩はヒドイ以上に本質をはずしているなと。文章が面白ければ良いというものでもなかろうに。

では、この曲のそして演奏の本質が分かるのか、と聴かれると答えに窮するので、そこには触れません。(逆に叶姉妹ってどうなんだ、と聞かれても分からない。何しろTVを通して「動いている」叶姉妹に接した時間の合計は10分以下であろうと思うので) ハナシは叶姉妹ではない、スヴェトラーノフのラフマニノフの演奏です。確かに凄い。特に誰もが指摘するティンパニの打撃音の凄まじさは、まさに「落雷」。それは何も1楽章の10分過ぎに現れる強烈な打撃だけではなく、そこかしこで鉄槌のように打ち下ろされます、しかも決然と!金管と打楽器の競演による暴発、これを怒涛と呼ばずして他に何と呼べましょう。この激情はどこから発するのかと。

暴力的とは言えない、この激しさは間違っても音楽の暴力ではない。耐え切れない激情と甘美さが両立した演奏です。しかし何たる両極端さ、振幅の激しさ。この両極端さこそロシアの大地なのでしょうか、彼らの身体に染み込んだ厳しさと優しさなのでしょうか。人をも殺すほどの自然の脅威と対極にある全てを癒す包容力なのでしょうか。 弦を使った部分は甘美な歌を歌いますが、「叶姉妹」のような見せかけの人工美や色気(>あれが美で色気か?豊満か過剰か?)などでは決してない。もっと底の深い強さと荒さを秘めた美しさです。

第2楽章あたりから、ハマってしまうと、誰かのフレーズではありませんが「魂ごと引き抜かれ」たかのような気持ちになってしまいます。それが「尻の穴」か「頭のてっぺん」かは別として・・・(>何のこっちゃ)

第3楽章は、甘すぎる演奏だと「映画音楽」のように聴こえてしまいます(例えばプレトニェフのそれとか)。しかしスヴェトラーノフの演奏は、決してそんな安易な評価を与えません。入魂の演奏、堂々たる美しさ、憧憬と悦び、更には祈りにも似た畏敬さえ感じてしまう楽章です。

後半は溢れそうになる激情を必死に抑えた、これまた鬼気迫る演奏になっています。安っぽさやお手軽さは微塵もありません。許氏の楽器のを増やしながらのクレッシェンドは猥褻なほどに悩ましげなポーズを見せるとの評を読むと、一体同じ演奏を聴いているのか?という気になります。

当然終楽章も素晴らしい、ラスト近くに至っては凄すぎて書く言葉がない(;_;)ラフマニノフにとって交響曲第2番とは、またスヴェトラーノフにとってラフマニノフとは何だったのか、と思わずにはいられません。同時収録のフランチェスカ・ダ・リミニを聴く気力は全く残っていません(>このテンションに「ハマ」ればのハナシなのですがね ^_-)。

2006年1月6日金曜日

【本棚】ジャック・ウェルチ:勝利の経営


この歳になるまで、あまりビジネス関係の本には親しまないできました。バリバリのビジネスマンを目指すつもりはないし、自らの行動指針を求めてマニュアル本を求めるくたびれたサラリーマンになる気もない。ビジネス書なんてと斜に構えるところもあって、今までも、まともな本など読んでいなません。

しかし休み中に、少し考えておきたいテーマがあったので書店に行ったところ、山と詰まれた「黄色い本」が目にとまった次第。GEのCEOであったジャック・ウェルチが表紙に微笑むを本書を手にし、期待もせずにパラパラと立ち読みしてみたところ、ガンと頭をぶたれたような思いを味わってしまいました。


勝つためには何をすればいいのか?
それに答えるのがまさにこの本だ。勝利の法則。これ以外のテーマだったら二度と本を書こうなどと思わなかったことだろう!
なぜなら、勝利することは最高だと思うからだ。単に「よいこと」ではない、「最高なんだ」。
(はじめに P.12)

おお、何と明確な考え方でしょう、一点の曇りもない。世の中、そんなに単純な「勝利者の哲学」ばかりじゃァあるまいに、勝つ企業があれば負ける企業もあるのも世の道理、などと思う疑念を全く吹き飛ばすほどの強力なパワーをここから感じました。「勝利の方程式」みたいなマニュアライズされた愚書の類でないことは一読のもとにわかります。

続いてPART 1の最初で、ミッション(経営理念)とバリュー(行動規範)の話になります。ちょっと我慢してつき合って欲しいとウェルチは呼びかけますが、この章には彼の行動原理が痛いほどに示されています。それは本書に貫かれている原理で、まさにビジネスを愛する人ならば、その具体性にビシッと鼻ヅラを打たれたような気分(P.23)になってしまいます。

全てのページが具体的で、しかも傾聴に値するものです。特に「戦略」を実践するための三つのステップと五つのシートは、そのまま切り取ってノートか手帳に貼り付けておきたいくらいです。しかも全ページ、ユーモアにあふれていてワクワクするほど面白い!

アメリカ人も一部の日本人と同じようにワーカホリックで、家庭よりも仕事を優先している姿も書かれており、やっぱりそうかと納得すると同時に、その点においてはウェルチもひと時代前の経営者なのか、と思ったりもしますが、だからといって彼の素晴しさや名誉が損なわれることはありません。

おそらくは、仕事が好きな人もそうでない人も、企業勤めに迷っている人も、経営者もそうでない人も、人生の多くの時間をかけている「貴方の仕事」を見直す意味でも、一読の価値はあるかなと・・・。

2005年12月24日土曜日

タワー崩壊?


タワーレコードのサイト(@TOWER.JP)がメンテナンス中とかで、随分長い間サービスを休止しています。おかげで注文していた幾つかのCDが届かないまま年末に突入してしまいました。


逆に9月23日にHMV注文したルミニッツァ・ペトレのバッハ無伴奏ソナタ&パルティータがやっと届きました。3度くらい発売延期になっていたもので、予告によると今度の発売日は12月27日となっていましたから、それよりは一足早く届いたというところでしょうか。クリスマスに届いたというのも、何だか気分の良いもの。と言うことで聴くより先にiPodに入れてしまいました(笑)

iPod+amp;AKG K26P

iPod付属のイヤホンがイカれてしまいました。中のスピーカーがイヤホン筐体の中でズレてしまったのか、歩きながら聴くと「カタカタ」と異音がしたり、時々音が途切れる。修理(あるいは交換)にとも思ったのですが、この際と思い銀座のApple Storeで幾つかのヘッドフォンを視聴してみました。

B&O A8やSennheiserのPMX200などいくつか店頭にあるものを試したのですが、結局syuzoさんもお使いのAKG K26Pを購入してしまいました。価格と音のバランスが一番よかった(>つーか、一番安い方だった)というのが選択した理由。PMX200は、かけ心地は一番良かったのですが作りが安っぽく、すぐに壊れそうでしたし、A8はK26Pなどと比較してしまうとデザインや価格の割りに音質が軽い。

ノイズリダクション機能付きとか、より高音質なヘッドフォンもありますが、所詮iPodに転送した音楽データなのですから音質は「そこそこ」でいいんです。K26Pは折りたたんで付属の袋にしまえる携帯性の点からもiPodには良いかなと。店頭では自分のiPodを出し、内田さんのモーツアルトのPコンやC.クライバーやチェリのブラームス、バレンボイムのワーグナーなどを視聴して決めました。

syuzoさんのエントリを参考に、いくつか購入に至ったにも関わらずアフェリエイトには貢献しておりませんm(_ _)m

チャイコフスキー:交響曲第5番/ムラヴィンスキー&レニングラード

ムラヴィンスキー チャイコフスキー交響曲第5番
  1. Andante-Allegro con anima 13:44
  2. Andante cantabile,con alcuna licenza 11:51
  3. Valse.Allegro moderato 5:34
  4. Finale.Andante maestoso-Allegro vivce 11:39
  • ムラヴィンスキー(指揮) レニングラードpo.
  • 1977年10月19日 NHKホール LIVE
  • ATL052

許光俊が「オレのクラシック」で絶賛しているものだからつい購入。彼はこのチャイコフスキー以上の音質の録音は、ムラヴィンスキーには存在しない(同 P.123)と書いていまが、これに対しHMVのユーザーレビューでは多くの反発が書かれています。確かに音は「遠い」と感じますし「テープヒスノイズ」も気になるのですが、このチャイコフスキーのしなやかな炸裂はどうでしょう。聴き進むに連れ、そんなことはどうでも良くなります。

��G版など他とは比較して聴いていないので分かりませんが、随所に凄まじさを秘めた演奏であると思います。静かな部分からfffにいたる音楽の流れなど黒ヒョウが華麗なジャンプをみせたかのような鮮やかさです。解説は平林直哉さんほかが書かれていますが、おそらく実演で接していたら、このCD以上の感興であったのでしょう。今時CD1枚にチャイ5しか入っていない盤ですが、チャイ5好きには価値があるかと。

それにしても強奏部の表現は許氏も指摘するように、どこか違うような気がします。炸裂するような音響でありながら「暴力的」であったり「粗雑」ではない、オーケストラ全体がシャキッっと立ち上がるとでも言うのか。第2楽章の冒頭の入り方の丁寧さも、これ以上ないというくらいに素晴らしい。しかし続くホルンの音が少しくぐもって聴こえたり途中音がちょっと危うくなったりするのは残念なところ。同楽章の中間部の強奏部も凄い、思わずビックリ、背筋が伸びる。ここらあたりの表現の鮮やかさと鋭さが、ムラヴィンスキーの音楽を「冷たい」と感じる人がいる所以なのかもしれません。一切の妥協がありませんから。

圧巻はやはり終楽章にありました。圧倒的かつ怒涛の推進力でありながら、微塵も美しさを失わない。良く整備されたスケートリンクの上を一気に滑り、エッジを利かせて華麗にジャンプするかのような絶妙のスピード感と運動性能、削られた氷の破片が頬をピシリと打つかのような爆発。オーケストラは金管も木管も打楽器も弦楽器も、全てが一体となってフィナーレを演じている。

心底、久々に聴くチャイ5はええなあ~(;_;)

参考

チャイコフスキーの交響曲を聴く

2005年12月23日金曜日

【音盤】ブラームス:交響曲第3番/テンシュテット&LPO






テンシュテット

ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番


  1. ベートーベン:交響曲第7番
  2. ブラームス:交響曲第3番


  • テンシュテット(指揮) ロンドンpo.
  • Royal Festival Hall,London,22 November 1989(Beethoben)、Royal Festival Hall,London,7 April 1983(Brahms)
  • BBSL 4167-2



ベートーベンの7番が余りにも素晴らしい演奏でしたが、このブラームスもなかなか聴き逃せません。独特の温かみと優しさに満ちた演奏です。爆演とかいう種類のものではないのですが、フツフツと内側からこみ上げる重厚さと説得力に満ちていて音楽を聴く喜びを満喫できます。


たとえば2楽章の中間部などを聴いていると「ああブラームスっていいなあ、ベートーベンみたいに頑張んなくたっていいや」という愉悦に浸ることができますし第3楽章の寂寥感を伴った美しさは特筆モノで、いつまでも聴いていたくなります。


テンポは比較的「ゆっくり」しているように感じます。他の演奏と比べて聴いたわけではありませんので、実際はどうなのか分かりません。そう感じるのは曲全体を支配する大きな波のようなものを感じさせてくれる演奏だからでしょうか。コケ脅しのようなところは微塵もなく細部も丁寧です。終楽章も適度に抑制された表現の中にゆるぎない意志を感じます。ここでも大波のようなうねりを感じることができ、その揺れに身をまかせているうちに曲は静かに幕を閉じます。ああ、満足。




2005年12月22日木曜日

【音盤】ベートーベン:交響曲第7番/テンシュテット&LPO

テンシュテット
ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番
  1. ベートーベン:交響曲第7番
  2. ブラームス:交響曲第3番
  • テンシュテット(指揮) ロンドンpo.
  • Royal Festival Hall,London,22 November 1989(Beethoben)、Royal Festival Hall,London,7 April 1983(Brahms)
  • BBSL 4167-2

来年がモーツアルト・イヤーだからというわけではありませんが、iPodに入れたモーツアルトばかり聴いていたときに、Syuzo's Columnでこの盤の紹介を目にしました。その中での文章に、

ベートーヴェンを箱庭のような所に押し込めて、「ベートーヴェンって、そんなに凄くないじゃん。モーツァルトみたい」とロココ風の衣装を着せて軟弱に喜んでいる演奏ではない。これは不屈の精神と巨大な愉悦という、ベートーヴェンの凄みをしっかりと知らしめてくれる演奏である。

ということが書かれています。この文章は演奏スタイルというだけではなく、モーツアルトの音楽とベートーベンの音楽の決定的な差異について端的に語っています。ベートーベンをどのように解釈して演奏しようと、それは間違いではないのでしょうが、ベートーベンが表現した音楽は、モーツアルトという天才がどんなに技巧を凝らしても決して表現できなかった(しなかった)世界を提示していることだけは確かなでしょう。

音楽が『意志』を持ち始めた、と言ったのは思想史家の丸山眞男です。

音楽という芸術の中に『意志の力』を持ち込んだのはベートーベンです。『理想』と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に描いて、<響き>=<音響感覚>でそれを追求し、表現する。凄まじい情熱ですね。これを『ロマンティック』と言わずして、他になにがありますか。(「丸山眞男 音楽の対話」中野雄著 P.75-76)

以前に触れましたが慶応大学教授でもある許光俊氏は「オレのクラシック」の中で、そういう近代の生み出したクラシックは、突然、古くなってしまった(P.49)と指摘します。

しかし、こういう力強い圧倒的なベートーベン演奏を聴くにつけ、改めて音楽の持つ力と今の時代にベートーベンを聴く意味について考えざるを得ません。この演奏はもはや、弦がどうだとか、ティンパニのロールが凄いとか、そういう感想を超えています。第三楽章あたりから、もはや涙が止まりません・・・感想はsyuzoさんや以下を参照してください(;_;)

HMVサイト

2005年12月5日月曜日

年末まで更新できません3

そういえばアファナシエフのベートーベン(ディアベッリの主題による33の変奏曲)もiPodに入っていたなと思い出し何気に聴きだしたものの、またしても愕然としてしまう。これがベートーベンなのかと驚き、余程ムソルグスキーの「展覧会の絵」よりもグロテスクではないかと思う。今はアファナシエフの演奏を受け入れる余裕がこちらにはないみたいだ。



2005年12月4日日曜日

年末まで更新できません2

iPodに入れた音楽に唯一癒されているが、結局いつも聴くのはモーツアルトばかりなり。モーツアルトの音楽がこんなにも人を癒すものだとは、ついぞ知らなかったし、巷に溢れる「モーツアルト効果」というものも、あながちブラフではないのだなと思う。しかしながら、そう思っていた頭で聴いたアファナシエフのモーツアルトは従来の演奏とは余りにも違う次元を表現しており、しばし愕然。書きたいことはあるが、以上の状況につき後日。