2011年9月29日木曜日

2011年9月25日日曜日

企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展

2011/09/25 企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展



  • 開催概要
展覧会ポスター
(写真上)「Poppy: Glowing Embers」、ニューヨーク、1968年
(下)「Flower Pleats (Issey Miyake Design)」、ニューヨーク、1990年
Photographs copyright by The Irving Penn Foundation


21_21 DESIGN SIGHTは9月16日より、企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展を開催します。本展は二人の視覚的対話によって生み出された創造に焦点を当てるものです。

アーヴィング・ペン(1917年 - 2009年)はファッション、ポートレート、静物写真などを手がけた、20世紀後半を代表する伝説的な写真家です。ペンと三宅一生の最初の接点は、1983年の『ヴォーグ』誌編集ページで初めてペンがISSEY MIYAKEの服を撮影したことでした。「こんな見方ができるのか」と驚いた三宅は、その後パリコレクションで発表してきた服の撮影を依頼しました。87年春夏コレクションから99年の秋冬コレクションまで13年間にわたり年2回の撮影がニューヨークで行われ、この間三宅は一度も撮影に立ち会うことなく、ペンにすべてを任せ、それぞれのクリエーションを介した「Visual Dialogue(視覚的対話)」が交わされたのです。撮影された写真は250点を超え、その一部はポスター、写真集、展覧会と、さまざまなかたちで発表されました。

本展では、二人の創作活動のプロセスに一貫して関わった北村みどりのディレクションのもと、これらの表現を集大成し、二人の視覚的対話による創造の軌跡をたどることで、新たな表現を生み出す想像力と恊働のありかたについて考えます。
会場構成は世界的に活躍する建築家の坂 茂。超高精細プロジェクターによる写真の大画面投影や、マイケル・クロフォードの原画とパスカル・ルランによるアニメーションの上映のほか、田中一光デザインのポスターが初めて一堂に会します。また、ペン自らの手による貴重なオリジナルプリントや撮影用スケッチも特別公開します。




展覧会名:
企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展
会期:
2011年9月16日(金) - 2012年4月8日(日)
時間:
11:00 - 20:00(入場は19:30まで)
休館日:
火曜日(11月1日3月20日は開館)、12月27日- 1月3日
入場料:
一般¥1,000、大学生¥800、中高生¥500 小学生以下無料
(すべて税込、15名以上は各料金から200円割引)
会場:
21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)
〒107-0052 東京都港区赤坂9-7-6
tel. 03-3475-2121
アクセス:
都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線「六本木」駅、千代田線「乃木坂」駅より徒歩5分

主催:
21_21 DESIGN SIGHT、公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団
特別協力:
アーヴィング・ペン財団
後援:
経済産業省、東京都、港区
助成:
駐日アメリカ合衆国大使館
特別協賛:
三井不動産株式会社
協賛:
セーレン株式会社、A-net Inc.、ISSEY MIYAKE INC.
協力:
キヤノン株式会社、キヤノンマーケティングジャパン株式会社、
アルテック、マックスレイ株式会社、株式会社 オプティカルソリューションズ
(順不同)

展覧会ディレクター:  北村みどり
ドローイング:  マイケル・クロフォード
アニメーション:  パスカル・ルラン
展示ポスターデザイン:  田中一光
会場構成:  坂 茂
グラフィックデザイン:  佐藤 卓
コーディネーション(U.S.):  金井 純

ツァッブ夫妻展

カリグラフィー
タイポグラフィー
フォント
Palatino
西麻生 ギャラリー ル・ベイン







2011年9月20日火曜日

【本棚】クラシックジャーナル マーラーを究める

クラシックジャーナル マーラーを究める

久しぶりに買ったクラ本だが、瑣末な差異や話題をことさら大げさに論じたり、きわめて主観的にな感想を、あたかも作曲家の考えを代弁するかのような幻想を含め、究極のヲタ本である。

この内容についていけるか、拒絶をするか。

こういう話題を続けているから、クラシックはドン詰まりなのだと思わされる。

好きな人にはたまらないのではあろうけども、客観的に読んでどうかと考えると、とても価値に値しないのではないかと。

どこか、気持ちの悪さを感じるのは、思い入れが過剰に強すぎるせいか。

それでも久しぶりにマーラーやブルックナーの断章を聴かざるを得なかったのは、性(さが)というものでありましょうか。


2011年8月19日金曜日

空海と密教美術展

空海と密教美術展を観ての感想メモ。
  • 2004年の「空海と高野山」展を凌駕するものではなかった。
  • 展示内容も少々かぶるものがあり。
  • 空海=弘法が書の大家であったことを改めて認識。
  • 今回の目玉の最終展示を曼荼羅のように見せているというのが売り物ではあったが、肝心の大日如来とかの本尊=中心が来ていないことの欠如感は否めない
  • 前回は運慶、快慶の仏像の迫力に圧倒されたという感あり、物量も多かった。
  • 今回は、二度観してもそれほど、おなかいっぱい感はなし。

2011年8月7日日曜日

展覧会:磯江毅=グスタボ・イソエ 特別展 練馬区立美術館


西武新宿線 中村橋駅すぐ近くにある練馬区立美術館で開催中の、磯江毅 特別展を観てきました。スペインで写実絵画の技法を学んだ磯江氏の真髄を余すことなく伝える展覧会でした。

磯江氏の絵は、ホキ美術館で接した数点しか知らなかったのですが(今回の作品展を観て、ホキにあった数点が磯江氏の作品であったことに気付かされたということです)、今回は圧倒されどうしでした。写実の重みとでもいうのでしょうか、凄い絵画だなと。「写真のような」という言葉は、観ていてついぞ口をつくことはありません。写真では決して表現しえない、絵画というものが有する力に、ぐうの音も出ないほどに屈服させられたとでも言いましょうか。

2011年8月6日土曜日

諏訪敦絵画作品集「どうせなにもみえない」

諏訪さんの最初の作品集は発売数も少量だったらしく、どこも在庫切れ。ネット上では2万5千円程度で取引されているとの情報もあるため、今回の諏訪さんの作品集「どうせなにもみえない」も、手に入らなくなる前にと、発売日とほぼ同時にゲットしました。

2011年7月7日木曜日

2011年7月5日火曜日

諏訪敦 絵画作品展 「一蓮托生」 成山画廊に行ってきました

画家、諏訪敦氏に興味をもったので、九段にある成山画廊で開催中の作品展を観てきました。



作品は、「成山画廊」に関するもので、画廊主である成山明光氏と、彼が見出した美人女性画家 松井冬子氏のドローイングと肖像画などが数点。NHK日曜美術館でも最初に紹介された、松井冬子の二面性を表していると解説されたドローイングも展示されていました。

2011年7月4日月曜日

HNK日曜美術館 諏訪敦の写実絵画

日曜美術館で諏訪敦氏の写実絵画についての番組が放映されました。
    記憶に辿りつく絵画 ~亡き人を描く画家~
事故で亡くした娘の肖像画を描いて欲しいという画主の依頼に、画家がどう取り組んだかというドキュメント。



絵画とか写実の意味を問い直すという点で、非常に興味深い番組で、かつ日曜美術館にしては感動的な出来でしたので、忘れないうちに記しておきましょう。

2011年6月13日月曜日

渋谷駅と東急百貨店 2011年6月

再開発が始まっている渋谷駅の現況を撮影。駅前も常に工事状態です。





東急文化会館のあったところも、超高層ビルが建設中です。

2011年5月8日日曜日

ホキ美術館に行ってきました

日本初の写実絵画専門美術館としてオープンしたホキ美術に行ってきました。設計は日建設計の山梨知彦氏ということで、建築業界的にも話題の建物です。






ギャラリーには、これでもかとばかりに、写真とも見紛うばかりの大作が並んでおり壮観です。

しかし美術館を歩み進めるうちに、何となく重い気持ちになってきました。

そのまとまらない感想のメモです。
  • 写実絵画の「気持ち悪さ」「違和感」
  • 特に、森本氏の絵など。
  • 女性を「静物」とみなしているのではないか。
  • 肖像画ではない、愛でる対象物としての女性。
  • 対象に対する愛
  • 老人の妄想、理想化された女性像、こんな女性、今時いないだろうみたいな。
  • ひとつの「顔」の女性を描き続けること
  • 老人になっても「女性」「性」を求めることのいやらしさ、あるいは醜さ
  • モデルが家族か、単なる雇われのモデルか
  • 女性の無防備さ、意味のないポーズ
  • 自らの技量に対する執着
  • 蝋人形のような
  • 一点のしみも曇りもない女性像
女性から見たどうなんでしょうかね。

2011年5月2日月曜日

【本棚】「ユニクロ帝国の光と影」横田 増生

 「ユニクロ帝国の光と影」横田 増生 (著) 読了。



「一勝九敗」とか「成功は一日で捨て去れ」からの引用多すぎ。独自取材が少ない。

だから、あまり真新しいことも書かれていない。

ユニクロの「影」の部分を書きたかったのだろうけど、ワンマンな柳井氏の姿は最初から想像できるし、ワンマンな奴にいい奴がいないことも自明だろうさ。規律やマニュアルがここまで厳しいというのは、本書で知ったけど、柳井氏がどこまでそれに関与しているかは書かれていない。

ワンマンなオーナー社長によって発展した企業が、その後どうなっていくのか。アップルと比較するのは、(あまりにも)何だけど、興味はあるね。ユニクロもアップルも浮沈の大きい会社だから。どちらも「安定」なんて考えていないというところは、凄いなと。

2011年5月1日日曜日

【本棚】永遠の0 百田尚樹

「永遠の0」読了。児玉清の帯コメントは嘘ではなかった。確かに落涙するのをこらえる事は難しい。どこで感動するかは人それぞれだろうけど。1956年生まれの作者がこの小説を今書いた意味。戦争を知る人が居なくなっていくという事実。伝えたい思いが溢れる。

一人の特攻隊員のベールを剥いでいく行為の中で、次々と語られる戦争の経験談。そして明らかになる一人の人物像は、現代の日本の姿や我々を逆照射するという構成。

小説としての出来には、失礼ながら疑問がある。戦争経験者の語りに比べ、主人公らの彫刻の仕方は浅い、簡単な前提条件としての人物設定と葛藤とその後があるのみ。それは仕方ない。しかし、作中の戦争経験者の語りの言葉はフィクションであったとしても重くつらい。

小説にはいろいろなものが込められている。当時の日本の(階級)社会、戦争が失敗した原因、特攻の真実、飛行機乗りや空中戦の姿、軍隊と規律、官僚制、軽んじられる正、豹変するマスコミ、死を覚悟した若者達の思い。そして、主人公の強い意志と熱い愛、約束。戦争美化でも批判でもない。

戦争はそのときの国の一番良いところと悪いところが出る、とは作者内田氏の言葉。それは、今の震災後の日本という国のありようまでも示唆しているようである。一気に読めるし、エンターテイメントなのだろうが、読むのが久しぶりにつらい本であった。「感動したー」とか言う感想の出る本ではない。

付け加えるなら、祖父母のなれそめとか、その手の最後に明かされる「物語」を私は評価していない。それらがもはや不要なくらいに、十分に語り尽くされていた人物像に、いったい屋上屋を加える事は、安易な読者サービスでしかないのではないか、というのは厳しい読み方か。

次はこれでも読もうかな。

半藤一利氏 『昭和史』 - Chikirinの日記 (id:Chikirin / @InsideCHIKIRIN) http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110501


2011年4月11日月曜日

【本棚】東野圭吾「幻夜」

「白夜行」と二部作を成す。
上記作品では二人の主人公の内面や謎が全く解き明かされなかったが、本作は、主として二人を中心に物語が進む。
そういう点で、謎解き的な作品となっているため、前作を読んだ人には面白いが、作品の深みとか余韻の点では前作に劣る。
しかも美冬の行動に共感とか納得がいかない。単なる悪女を描いただけに終始している。
物語としては面白い。
書いているうちに、ひとりでに美冬的な悪女が勝手に動き始めたか。

哀しい物語との評価が高い「白夜行」ではあるが、本作に対する伏線もある。
亮司が死んだ後の雪穂の冷たい態度だ。そこに万感の悲しみあこめられているという読み方もできようが、それにしても女性だけが幸福をつかんでいくにしては、男性に見返りが少ない。

こういう構図は「秘密」「容疑者Xの献身」とも重なる設定だ。
女性が生き生きと、自分の人生をステップアップさせていくために、男性が自己犠牲的な役割を果たすという構図。
秘密は、妻が夫のために身を引いたという読み方ができる一方で、妻が本来の自分の生を取り戻すために、夫に対して真実を秘密にしたという読み方も出来る。

生を取り戻すという点では、東野のテーマは解放とかよりも、再生とか脱皮とか、それ以上の完全な生まれ変わりを目指しているように思える。

ミステリーに内包されたテーマを求めることは粋なことではない。物語の面白さを堪能するだけで良い。東野の筆力をもってすれば、読者をひきつける作品を書き続けることは、難しいことではないだろう。

しかし、「書く」という行為を何のために行っているのか、という作家の源泉に遡ったときに、作家には書かなくてはならない関心事とか問題意識などの「書くための核」があるはずで、それはあまりぶれないのではないのだろうか、と思うのである。人間は、そう簡単に生まれ変わることなどできない。