その際に、憲法96条改正、9条改正については「反対」として判定した。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2013年7月22日月曜日
今回の選挙で投票するに当たり、政治.comなどの傾向サイトを参考にしたか
2013年7月15日月曜日
【本棚】村上春樹の1Q84を読んでのメモ
純愛
欠落
空白
喪失
欠落
そういうものを埋めるもの
月の多義性
表と裏
失われた分身
性の意味
孤独
人が生きるということ
何を求めているのか
心の問題
精神
宗教的なもの
それを必要とする人としない人
喪失と再生の物語
失うということ
リトルピープルとは?
良きもの?
啓示を与える
ただ犯す、壊す存在ではない
自分探しの旅
淡いロマン
あるいは幻想
アドベンチャー
小説としての面白さ
謎は謎のまま
説明しないとわからないものは説明してもわからない
最初から説明的なものを拒否
小説の入れ子構造。
2013年7月6日土曜日
【演奏会】大野和士指揮 新日本フィル ブルックナー7番

ツィンマーマン/「ユビュ王の晩餐のための音楽」(1966年)
ブルックナー/交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版、1954年)
ワーグナー生誕200年を記念したプログラムなのだが、ワーグナーは一曲も演奏しない。大野氏がこだわりぬいたプログラムとはいえ、ひねり過ぎの感がなきにしもあらず。
シャリーノはバイオリンのフラジオレットの上に、静かな音か薄膜のようにかぶさる10分程度の曲。無調?という点ではワーグナーにつながるか。
ツィンマーマンもメジャーな曲ではない。バイオリン、チェロなどの弦が入らず、逆にオルガンやギター、ピアノ、ハープ、エレキギターなどの楽器が加わる。いろいろな曲からの引用が展開されるが、期待させたほどには乗り切れない。最後の乱痴気騒ぎのような場面(幻想の暖断頭台への行進とワルキューレが奏されるところ)も浮ついた印象だけを残す。
オモチャ箱をひっくり返したような感じ、という点では、むしろマーラーにテイストが近いように思える。
休憩をはさんでの今回のメインとなるブルックナー7番。大野氏の指揮は、過大な感情は移入せず、速めの軽快なテンポで曲を進める。盛り上がるところもしっかり音量はあり、目立った大きな破綻もない。少し雑と聴こえるところや、ブルックナー的な音の重奏感が不足しているように思え部分がなきにしもあらず、聴く場所が2階席であったせいだろうか。
しかしながら、どこか不完全燃焼の残るプログラムと演奏であったことも確か。私が聴いたのはワーグナーの息吹だったのか、正真のブルックナーだったのかと自問。
それでも、この手の音楽は生で聴くのに限ると思う。現代音楽は、聴き方や集中力が異なるから、組み合わせは別の曲が望ましいと思った次第。情よりも理が勝ったプログラムであったか。
2013年7月2日火曜日
東京ー元田久治 アートフロントギャラリー 代官山
というと、暗くネガティブな印象を受けるが、実際に作品に接した時には、むしろ暴力的な印象よりも、静謐感や哀しみとともに沸き起こる懐かしさを感じる。
それは、リトグラフという技法のもつ肌合いや温かさ、そして昏さゆえなのだろうか。作品は大きく、図録や写真から受ける印象程に画面は細緻でない点も、実物を見て初めて確認できた。
廃墟に植物をからめることで、さらに人間の時間軸から離れた永遠と新たな生命感、再生を感じる。
それが、いかなる再生なのかは示されていないけれども。
2013年7月1日月曜日
本日でGoogle Readerのサービス終了
7月1日をもってGoogle Readerがサービスを終了する。
IT Techなど幾つかの記事にもあるように、情報収集ツールとしてRSSが役割を終えたということだろうか。
ニュースフィードを集めるという役割、それらはTwitterやFacebookなどの、ストリーム情報にとってかわられたことになっている。知り合いやフォローする人がすすめる情報の方が、生な信頼できる情報であるということなのか。
分からないでもないが、そうであっても自分的にはネットから得られる情報源は相変わらずRSSが中心であり続けている。私はもう少々RSSに付き合わなくてはならない。
2013年6月22日土曜日
【演奏会】文化センター ヴェルディ生誕200周年記念 三ツ橋敬子+東京交響楽団 ヴェルディ「レクイエム」
今日も合唱が弱いママさん合唱の限界ソプラノがお水系オケが入らないところでズレまくってカルテットが狂ったままそこにオケがかぶさるみたいな感じでホールも市民会館レベル音が硬く疲れる、響く
久しぶりにディープなクラシックファンとの演奏会であったので、多少複雑な思いで会場を後にした。
2013年6月9日日曜日
映画:プロメテウスをiTunesで
2013年5月26日日曜日
ラファエロ展 国立西洋美術館
ラファエロは素描などを含めて20点くらい。画集が小さくて高いのには驚く。
2013年5月13日月曜日
2013/05/13 山口晃展 付り澱エンナーレ@そごう美術館(横浜)
★以下は個人的なメモです。作家さんを敬称なしでの表記はお許し下さい。
今まで何度か見た絵も多い。
特に初期の三越とか六本木の絵など
練馬美術館で見ているものも多い
銀座画廊でやった、東京俯瞰図は今でも描き込みが増えているのだろうか?
付り澱エンナーレの展示は上野の美術館で見て以来だが
彼が、いちおうは現代美術作家であることを思い出させてくれた
今回の圧巻は、ドナルド・キーン氏の本の挿絵だろうか
こういうチマチマ感とマンガはうまい
親鸞はイマイチな印象
こういうイラストを五木寛之氏が許していたか
総じて、会田誠と比べても仕方ないが
彼の絵にはユーモアを通じた若干の批判精神はあるが
毒ではなく
強烈な会田の個性と才能とは対極にあるような
会田も確かに絵がうまいと感じたが
山口の前ではうまさが彼の技量として確立できていないというか
彼の実態を表すのは現れた画にあるのではなく、
いかようにも変化自在な
(いちおう技術に裏付けられた)表現のパフォーマンスであるということ
会田の実態は絵がすべてみたいな
2013年5月12日日曜日
日曜美術館 フランシス・ベーコン
2013年5月6日月曜日
【本棚】グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた 辻野晃一郎
(ファーストインプレッション)
2013年5月2日木曜日
【本棚】迷い迷って渋谷駅 田村圭介
早稲田建築出身
昭和女子大 准教授
渋谷への想いが強すぎて、少し鼻につく
二つのリングにしても、だから何それ?みたいな。
図が小さくて薄くて、建築のデザイン屋にありがちなセンス
文書もやたらと権威的なものからの引用やら、複雑難解なものからの敷衍など、これもコンセプト好きな建築屋な見られる傾向
ああ、こういうところが私はキライだったんだと思い出させてくれる。
渋谷の不思議は、素直に成立過程を図面に大きく表してくれれば、それでいいのに。やたら自分の理論に持って行こうとして、一般読者のことをあんまり考えていない。
x軸だの第ニ象限だの、お笑いか、わざわざ難しくするなよ。
大学のセンセイだから仕方ないか。
2013年5月1日水曜日
2013年4月30日火曜日
2013年4月21日日曜日
2013年4月11日木曜日
2013/04/11 アルミンク+新日本フィルハーモニー交響楽団 ブルックナー第5番 サントリーホール
2013年3月31日日曜日
2013年3月28日木曜日
2013年3月22日金曜日
会田誠展 六本木アートミュージアム
それにしても、会田誠が六本木とはいえ、美術館で個展をやるほどにメジャーというか、世間に受容されるとは!
(以下、まとまらない雑感)
欲望と混沌の批判精神
考えない人ということ
すごいことになりそう。RT“@mizumaart: 待ちに待った朗報の発表。私の目の黒いうちは実現しないと思っていた会田誠の美術館での個展がついに決定。先の話しですが、(2012年11月17日〜2013年3月31日) 会場は森美術館‼
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) October 31, 2011
日本の恥部や暗部に突き刺さり、批評精神と毒の
2013年3月15日金曜日
松井冬子 「散逸」展 成山画廊
2013年2月27日水曜日
高村薫:作家的時評集2000~2007

2013年2月4日月曜日
2013年1月5日土曜日
【本棚】世界の経営学者はいま何を考えているか 入山章栄
2012年12月24日月曜日
シャルダン展 三菱一号館美術館
2012年12月23日日曜日
2012年11月17日土曜日
2012年11月11日日曜日
2012年9月29日土曜日
ブランディーヌ・ランヌーのゴールドベルク
YouTubeでブランディーヌ・ランヌーさんの演奏を聴いていて、やはり彼女の演奏は好きだなと思います。
ラモーの以下のビデオなど、以前も良いと思いましたが、改めて聴いても、やはり良いと思います。
Naxosに昨年録音のゴールドベルク変奏曲もあったので、聴いてみました。これまた素晴らしすぎる演奏で、打ちのめされました。
2011年11月1日 (火)バッハ:ゴルトベルク変奏曲ブランディーヌ・ランヌー(チェンバロ)日本語解説書付きゴルトベルク変奏曲。グレン・グールドを引き合いに出すまでもなく、この曲はピアノでもチェンバロでも、さらにはもっと違う楽器でも、あるいは諸々の編曲でも、驚くほどたくさんの名盤に恵まれてきたのは、いうまでもありません。そしてこの曲を知る人の数だけ、心の名盤やいつまでも思い出す名演があることでしょう。しかし、フランス古楽界きっての大御所になりつつある異才、パリ音楽院を卒業後レオンハルトとボブ・ファン・アスペレンの2巨頭に師事した後、明らかにユニークな存在感を放ちながら「古楽のメッカ」フランスで充実したキャリアを積み重ねてきたブランディーヌ・ランヌーが、ここに満を持して録音した『ゴルトベルク変奏曲』は、それら既存の演奏をすっかり忘れさせてしまいかねない、おどろくべきユニークな演奏です。快速をきわめたグールド55年盤なら40分もしないで終わってしまうこの曲に、CD2枚が費やされています。前例がないわけではありませんが、それはつまり、30の変奏すべてにおいて、前半・後半の繰り返しをきっちり守っているうえ、冒頭のアリアの演奏がとてつもなくゆったりとしているから。そして、それで比類ない演奏が成立してしまっているのですから、もう驚くほかないのです。ピアノならペダルがあって音を伸ばせるから、ものすごく遅い演奏でも音楽的に成り立つけれど、チェンバロはペダルで音を伸ばせないうえ、どんなタッチで弾いても同じ音量ですから、「ゆっくり弾く」はこの楽器の特性をほんとうに知り尽くしていないと、まず不可能なのです。ですがこのCD、1音1音がとほうもなく含蓄ゆたかに響く(これはZig-Zag Territoires特有の、直接音と残響がほどよく溶け合う自然派録音に負うところも大きいのでしょう)、その魔術的な、ほとんど永遠につづくような遅さのアリアに、まちがいなく耳が吸い寄せられてしまうはず・・・そしてランヌーがなぜ全ての変奏を前半・後半きっちりリピートするかというと、そこまでが「チェンバロ音楽としては当たり前」の作法だから。チェンバロはピアノとは違いニュアンスを細かく弾き分けるのではなく、曲の「元のかたち」と「即興で装飾を入れたかたち」を両方弾き示して、その変化の妙を味あわせる、というのが、バッハの時代にも行われていた最もオーセンティックな演奏スタイルだったのです。『レコード芸術』で特選に輝いたフォルクレ作品集でも、ランヌーは18世紀当時の流儀に従い、録音セッションの場で即興的に音を加えるという、チェンバロ本来の正統的な演奏スタイルを貫き、それがフランス音楽ならではの美質をいや増しに引き立て、音盤を名盤たらしめていたわけですが、そうした即興性はこの『ゴルトベルク』ではもはや「本質」。何もかもが尋常ではない、けれどもそれはすべて「歴史的蓋然性(オーセンティシティ)」を追求しつくしたがゆえのこと。『ゴルトベルク変奏曲』を改めてイチから解き明かしてくれる(そもそもなぜ「アリア」なのか?くらいのところから)解説書がこれまた静々と革命的で(例によって全訳付)、読み進めながら聴けば作品理解はさらに深まり、曲のイメージに新たな側面が加わること必至です。(マーキュリー)【収録情報】・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
2012年9月17日月曜日
【本棚】リンダ・グラットンの WORK SHIFT 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図 を読んでのメモ
とりあえず読書メモとして。
- グローバル化、IT化による従来職種の消滅、海外との競争
- 長寿命化、年金の破たん、定年の延長
- 仕事を人生の中で、どう位置づけるか
- 何のために働くのかという問いかけ
- 何を人生のなかで優先課題とするか
- 60歳以降をどう生きるか、そのために50歳代で何をしておくべきか
- 100歳まで生きる世界
- 従来型の働くイメージを更新する必要
- 何かを得るために、何かを捨てる覚悟
- ゼネラリストを止める
- 専門知識を深める
- ネットワークの活用
- 再生のための人間関係
- 解決のための人間関係
- 相談できる相手
- 意識的につくらないとできない
- 全人格的に離せる相手
- カメレオン的人格→集団により性格、人種が異なる
- 消費ではなく経験を主体とする
- 金銭を対価とするのではなく、得難い経験を得るために働く
- 何かを得るためには何かを諦める
- 対価を得るには代償をはらう
- 金銭の多寡ではない
2012年9月9日日曜日
2012年9月2日日曜日
奈良美智 君や僕に ちょっと似ている
- むかしの少女の絵は「自画像」であったということ。
- 本人の意図と世間の需要のずれ
- 徹底した反抗心、ハスに構えた態度
- 今回の個展は「春少女」に象徴されているか
- まっすぐに向かってくる目線
- たしかに菩薩のよう
- 未来的
- 子供でありながら大人
- ロック的、喧噪の世界が消えている
- ブロンズ像の多面性
- 客層が若い
- 作者がどう考えようと「カワイイ」として需要される
- 孤独とかなしみ
- 孤独に向き合わないと出てこない絵とか立体
- 現代美術の中での位置付けとかスタンスとか

2012/09/02 稲盛和夫:高収益企業のつくり方
- 会社は個人の夢を実現する場ではなく、従業員の生活を保障する場
- 会社経営には大義が必要
- 家族的な経営
- アメーバ―組織、できるだけ細分化して事業部制
- 細分化することで利益の仕組みが見えてくる
- 売り上げを最大に、コスト(経費)を最小にして利益を向上
- 利益率は税引き前で10%以上、金利の倍は稼ぐ
- 業績連動型の給与体系は、好業績でも低業績でも調整が入る、合理的な給与体系は難しい。
- 人の心を考えなくてはダメ
- リストラはやむを得ない、ただし、リストラすることを従業員が理解されるほどに経営者は努力していたか
- 現場を知らなきゃだめ。従業員と一緒になって仕事をする。
- 管理職とは言っても、マネジメントしたり采配するだけではなく。
- コンパ=飲み会で腹を割って話し合う。楽しい飲み会ではない。
- 経営者がまず思わなくてはダメ、真剣に思っていない、信じてもいないことを実現できるわけがない。
- 経営者やリーダーは能とかではなく、徳が大切。あの人のためなら仕事をするか、ついていくか。
- 分かるまで話す。

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