2013年7月22日月曜日

今回の選挙で投票するに当たり、政治.comなどの傾向サイトを参考にしたか

その際に、憲法96条改正、9条改正については「反対」として判定した。

以前は、自衛隊が違憲であるままの状態の方が、国家としておかしいというような考え方をしていたのだが、
日米安保条約をそのままに、自衛隊を軍隊にすることができないように
日米関係、軍事同盟について抜本的な見直しを含むような9条改正は、いまの中途半端な日米議論おいては得策ではないと考えるからである。

米国の傘はそのままに9条を改正することは、米国が望む方向とも思えない。
一方で、中国の協力化や韓国の嫌日化などが進む中で、アジアの中での日本と周辺国、アメリカと中国と日本の関係も微妙に変化せざるを得ない。

そういう関係の中で、米国追従を放棄することも、軍隊をもった国家として独立することも
どちらも、日本にも日本人にも、その覚悟はまだできていないだろう、と思うのである。

2013年7月15日月曜日

【本棚】村上春樹の1Q84を読んでのメモ

これで完結している
純愛
欠落
空白
喪失
欠落
そういうものを埋めるもの
月の多義性
表と裏
失われた分身
性の意味
孤独
人が生きるということ
何を求めているのか
心の問題
精神
宗教的なもの
それを必要とする人としない人

喪失と再生の物語
失うということ

リトルピープルとは?
良きもの?
啓示を与える
ただ犯す、壊す存在ではない
自分探しの旅
淡いロマン
あるいは幻想

アドベンチャー
小説としての面白さ
謎は謎のまま

説明しないとわからないものは説明してもわからない
最初から説明的なものを拒否

小説の入れ子構造。

2013年7月6日土曜日

【演奏会】大野和士指揮 新日本フィル ブルックナー7番

2013年7月5日(金)19時15分
すみだトリフォニーホール
指揮 大野和士
新日本フィルハーモニー交響楽団



シャリーノ/「夜の肖像」(1982年)
ツィンマーマン/「ユビュ王の晩餐のための音楽」(1966年)
ブルックナー/交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版、1954年)


ワーグナー生誕200年を記念したプログラムなのだが、ワーグナーは一曲も演奏しない。大野氏がこだわりぬいたプログラムとはいえ、ひねり過ぎの感がなきにしもあらず。

シャリーノはバイオリンのフラジオレットの上に、静かな音か薄膜のようにかぶさる10分程度の曲。無調?という点ではワーグナーにつながるか。

ツィンマーマンもメジャーな曲ではない。バイオリン、チェロなどの弦が入らず、逆にオルガンやギター、ピアノ、ハープ、エレキギターなどの楽器が加わる。いろいろな曲からの引用が展開されるが、期待させたほどには乗り切れない。最後の乱痴気騒ぎのような場面(幻想の暖断頭台への行進とワルキューレが奏されるところ)も浮ついた印象だけを残す。

オモチャ箱をひっくり返したような感じ、という点では、むしろマーラーにテイストが近いように思える。

休憩をはさんでの今回のメインとなるブルックナー7番。大野氏の指揮は、過大な感情は移入せず、速めの軽快なテンポで曲を進める。盛り上がるところもしっかり音量はあり、目立った大きな破綻もない。少し雑と聴こえるところや、ブルックナー的な音の重奏感が不足しているように思え部分がなきにしもあらず、聴く場所が2階席であったせいだろうか。

しかしながら、どこか不完全燃焼の残るプログラムと演奏であったことも確か。私が聴いたのはワーグナーの息吹だったのか、正真のブルックナーだったのかと自問。


それでも、この手の音楽は生で聴くのに限ると思う。現代音楽は、聴き方や集中力が異なるから、組み合わせは別の曲が望ましいと思った次第。情よりも理が勝ったプログラムであったか。

2013年7月2日火曜日

東京ー元田久治 アートフロントギャラリー 代官山

見慣れた風景が、地震や洪水、あるいはその他の外的な要因で崩壊し、人間が不在となった世界を描く。

というと、暗くネガティブな印象を受けるが、実際に作品に接した時には、むしろ暴力的な印象よりも、静謐感や哀しみとともに沸き起こる懐かしさを感じる。

それは、リトグラフという技法のもつ肌合いや温かさ、そして昏さゆえなのだろうか。作品は大きく、図録や写真から受ける印象程に画面は細緻でない点も、実物を見て初めて確認できた。

見慣れた風景の中に生じる違和感とか、歪み。そして引き伸ばされた時間。画面の中では空間も時間も歪められている。破壊やカタストロフに主題があるのではなく、その後の置き忘れられた時間がつくる、廃墟のみが有する穏やかな荒廃というゆるやかな時間の歩み。

廃墟に植物をからめることで、さらに人間の時間軸から離れた永遠と新たな生命感、再生を感じる。

それが、いかなる再生なのかは示されていないけれども。


2013年7月1日月曜日

本日でGoogle Readerのサービス終了

7月1日をもってGoogle Readerがサービスを終了する。


IT Techなど幾つかの記事にもあるように、情報収集ツールとしてRSSが役割を終えたということだろうか。

ニュースフィードを集めるという役割、それらはTwitterやFacebookなどの、ストリーム情報にとってかわられたことになっている。知り合いやフォローする人がすすめる情報の方が、生な信頼できる情報であるということなのか。

分からないでもないが、そうであっても自分的にはネットから得られる情報源は相変わらずRSSが中心であり続けている。私はもう少々RSSに付き合わなくてはならない。

2013年6月22日土曜日

【演奏会】文化センター ヴェルディ生誕200周年記念 三ツ橋敬子+東京交響楽団 ヴェルディ「レクイエム」

指揮:三ツ橋敬子
独唱:藤田美奈子、中島郁子、村上敏明、須藤慎吾
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新宿文化センター合唱団
合唱指導:山神健志




新宿文化センター合唱団は、この演奏会のために結成された合唱団。はじめて行くホールだが、地方の文化会館のような雰囲気。本格的なクラシックを聴くには音響的に少し厳しい、長時間聴いていて疲れる。それであってもベルディのレクイエムのような音楽は生演奏に限ると思った次第。「レクイエム」ではあるが、随所にベルディ節が感じられ、それはそれで満足。テノールの村上敏明さんは、ハリといい声のツヤといい素晴らしかったですね。


個人的には、久しぶりのオケを伴うコンサートであったし、東京交響楽団であったので、そこそこ満足していたが、一緒に行ったI氏の演奏後の感想は、ひとこと「ママさん合唱では、これが限界。合唱が薄い。」というもの。

今日も合唱が弱い
ママさん合唱の限界
ソプラノがお水系
オケが入らないところでズレまくって
カルテットが狂ったまま
そこにオケがかぶさるみたいな感じで
ホールも市民会館レベル
音が硬く疲れる、響く

みたいな感想。それでも東京交響楽団はブルックナーとかやっているからまだ鍛えられている。指揮者に対しては何もなし。

ちょっと厳しいか。


久しぶりにディープなクラシックファンとの演奏会であったので、多少複雑な思いで会場を後にした。






2013年6月9日日曜日

映画:プロメテウスをiTunesで

プロメテウスをiTunesで

リドリー・スコット監督、iTunesより500円レンタル

期待したが、ほとんど「エイリアン」
ストーリーも、突っ込みどころ満載で雑
深みもない
ただのエンタメ
女性の圧倒的な強さと生存能力の高さも「エイリアン」級

デヴィット・リンチとよく監督間違えるけど
スコットは単純なんだね、映画が。


2013年5月26日日曜日

フランシス・ベーコン展 東京国立近代美術館






ラファエロ展 国立西洋美術館

予想はしていたものの、すごい混み方にかなりウンザリ。会場に入る前から、ラファエロ、それほど好きではないし、みたいな負けモード。

ラファエロは素描などを含めて20点くらい。画集が小さくて高いのには驚く。




2013年5月13日月曜日

2013/05/13 山口晃展 付り澱エンナーレ@そごう美術館(横浜)



★以下は個人的なメモです。作家さんを敬称なしでの表記はお許し下さい。


今まで何度か見た絵も多い。

特に初期の三越とか六本木の絵など

練馬美術館で見ているものも多い


銀座画廊でやった、東京俯瞰図は今でも描き込みが増えているのだろうか?


付り澱エンナーレの展示は上野の美術館で見て以来だが

彼が、いちおうは現代美術作家であることを思い出させてくれた


今回の圧巻は、ドナルド・キーン氏の本の挿絵だろうか

こういうチマチマ感とマンガはうまい

親鸞はイマイチな印象

こういうイラストを五木寛之氏が許していたか


総じて、会田誠と比べても仕方ないが

彼の絵にはユーモアを通じた若干の批判精神はあるが

毒ではなく

強烈な会田の個性と才能とは対極にあるような


会田も確かに絵がうまいと感じたが

山口の前ではうまさが彼の技量として確立できていないというか

彼の実態を表すのは現れた画にあるのではなく、

いかようにも変化自在な

(いちおう技術に裏付けられた)表現のパフォーマンスであるということ

会田の実態は絵がすべてみたいな

2013年5月12日日曜日

日曜美術館 フランシス・ベーコン

日曜美術館 フランシス・ベーコンを観てのメモ。

大江健三郎氏とか浅田彰氏とかが解説している
大江氏が真面目な顔して、
「ぼくは、こういう絵は美しいと思う」
と解説する。
何か、どこか、ズレているような

2013年5月6日月曜日

【本棚】グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた 辻野晃一郎

辻野晃一郎
1957年 生まれ
1984年(25歳)慶應義塾大学大学院工学研究科修了
1984年(25歳)ソニー入社
2006年(49歳)ソニー退社
2007年(50歳)Google入社
2009年(52歳)Google日本法人代表取締役社長
2010年(53歳)Google退社

Googleを辞めたいきさつが良くわからない。
激務の3年間で、2010年になってGoogleの体制見直しの中で日本法人社長が廃止になったのを機に辞めたような書きぶり。
むしろ、辻野氏のやり方というか、マネジメントの仕方がGoogleに合わなかったのではないかという気がする。
あくまでも印象だが。
業績不振のグループをどうやってモチベーション高めて、目標に向けてベクトルを合わせるか、みたいなやり方。
Sonyの事業部やカンパニーでやったやり方。
強力なトップが意思をもってひっぱる。まさにリーダーとしての役割だろうけど、批判も多かろう。
それぞれの組織のリーダーとなった時に、辻野氏が発してきた数々のメッセージについては共感すべきものも多い。
彼のやり方が良いかどうかは別として、組織をまとめて結果を出すという、リーダーに与えられた役割という点では学ぶものが多い。
何かのリーダーになったら、その部位だけ切り出してきて使えるかもしれない。
彼のやり方が社内で相当に摩擦を起こしていたであろうことはあるにしても。
思い入れがが強いだけに、業務温度が高いだろうし。

しかし、ビジネスにおいて結果を出すということは、稲盛氏にしても、そういうことか。
振り返ってみると、生産計画部はビジネスではない、事業でもない。すなわち結果責任も成果もない。
ここが問題なのではないか。
というのが、ファーストインプレッションで感じたこと。

組織の枠にとらわれない生き方。
組織は肥大化すると内部に向かっての非生産的な仕事に費やす時間が多くなる。
これではスピードに対応できない。


(ファーストインプレッション)
SONYのダメさ加減のわかる本
普通の企業と同じになってしまっていた

2013年5月2日木曜日

【本棚】迷い迷って渋谷駅 田村圭介

1970年生まれ
早稲田建築出身
昭和女子大 准教授

渋谷への想いが強すぎて、少し鼻につく
二つのリングにしても、だから何それ?みたいな。
図が小さくて薄くて、建築のデザイン屋にありがちなセンス
文書もやたらと権威的なものからの引用やら、複雑難解なものからの敷衍など、これもコンセプト好きな建築屋な見られる傾向
ああ、こういうところが私はキライだったんだと思い出させてくれる。
渋谷の不思議は、素直に成立過程を図面に大きく表してくれれば、それでいいのに。やたら自分の理論に持って行こうとして、一般読者のことをあんまり考えていない。
x軸だの第ニ象限だの、お笑いか、わざわざ難しくするなよ。
大学のセンセイだから仕方ないか。

2013年5月1日水曜日

アントニオ・ロペス展 Bunkamura ザ・ミュージアム

アントニオ・ロペス・ガルシア
スペインリアリズム絵画の巨匠
現代のリアリズム画家の中で、最も私が尊敬、畏敬する画家。

彼であっても、画業の最初からリアリズムではなかったことに、軽い驚き。

圧倒的な大きさの絵の前では、ただ呆然と佇むのみ。描かれたものは、あるひとときの風景であるのに、そこに流れる悠久の時間。



 

2013年4月30日火曜日

牧野邦夫展 練馬区立美術館



レンブラントを師と仰ぐというが、画風はレンブラントではない。日本の土着性や土俗性を土台にボス風味を混ぜた日本西洋絵画のような。

2013年4月21日日曜日

2013年4月11日木曜日

2013年3月31日日曜日

カボックを描いてみました

カボックを描いてみました。


長年育てていますが、花が咲いたのは初めてです。

2013年3月22日金曜日

会田誠展 六本木アートミュージアム

展覧会を観てのメモ。
それにしても、会田誠が六本木とはいえ、美術館で個展をやるほどにメジャーというか、世間に受容されるとは!

(以下、まとまらない雑感)

欲望と混沌の批判精神
過剰さ
エロ、グロ
明るさ、能天気、快楽でありながらストイック

圧倒的な画力、大きさとエネルギー

批判と
考えない人ということ
徹底的な自虐
幼児性と大人の表情

圧倒的な孤独と孤高。
でありつつの迎合に見える表出。

権威とか上司への挑戦
爆発、表現せずにはいられない衝動

こうして並び連ねると
芸術家であれば誰もが持つ素養

しかし、会田誠を会田誠をたらしめているのは、その過剰さと混沌。まさに歯止めを失った現代日本の表象か。
日本の膿とか上澄みが澱のように凝固して作品として結実する。

あるときは、シリアスに、あるときは目を覆うばかりの表現として。

偽悪的でありながらに純粋。

見るものの隠れた何かを刺激する。

2013年3月15日金曜日

松井冬子 「散逸」展 成山画廊

松井冬子「散逸」展
2013年1月19日(土)~3月16日(土)
13:00 ~19:00 水・日・祝祭日休廊
成山画廊

成山画廊という小さく、非常に私的な空間のせいか、内面的で本来秘匿されている「見てはいけないもの」を見せられているような気持ちにさせられる。







2013年2月27日水曜日

高村薫:作家的時評集2000~2007

amazonのレビュウで「高村薫氏の評論だが字数が少なく、意味がない」みたいな評価があった。

最初読み進むうちは、否定的な意見だと思ったものの、後半に至り、確かに薄い文章の連続では、問題意識の提起で終わっており、これではいかがなものかと思ったことも確か。
しかし、「新リア王」を書いたのが、団塊の世代として次の世代に、その知識その他を継承できなかったこと、後の世代から、日本語というか考えるための言葉とか文章というものが失われてしまい、せめて作家の役目として、あるいは矜持として、多少難解な文章をしたためる必要があった、との意識は理解できる。

まさに私が「新リア王」の書評を、どう書いてよいかわからずながらも、彼女の文章の蓄積でしか表せない事柄があると考えたことは、的外れではなかった。
複雑なものを複雑なままに提示するとかいうこと。そのための文章。複雑な思考は複雑な文章でなくては表現できないということ。

世の中は、ともするとシンプルに分かりやすくと言われている。難しいことをやさしく解説することが、評価されもてはやされる。それは、一面で鮮やかであり、目の前のモヤモヤも晴らしてはくれるのだけど、それによって失われたものも多いということ。
こうかいて、いわゆる、これがアナログとデジタル世代の差なのかと思い至った。1と2の割り切りというほどに単純ではないが、いわゆるCDのサンプリングレート技術にしても、ある音域をカットすることによって失われた「何か」。とか。

彼女が極めて「政治」に傾倒していった様子もよく分かる文章であり、また当時の状況と現在の第二次安倍内閣の勢いを見るにつけ、あの当時と今で一体何が変わっているのか、安倍氏は本当に信頼するに足りる人材に変わったのか、考えざるを得ない。彼女が問題視していた憲法、原発問題にしてもだ。

日本の状況は相変わらず好転はしていないし、その根本原因は経済よりも政治にあり、その政治の原因を作っているのは、ほかならぬ国民なのではないか、との思いも強くする。
彼女が、小泉内閣の郵政解散の後の選挙結果を見て「自分が少数派であることを知った」との認識は、共感するとかいう以上に、彼女を支持する者として複雑な思いである。
-------------
政治とは複雑なものであるのに、それを単純なワンフレーズ政治、簡単なキャッチ、劇場型にしたのは小泉首相であったかもしれないが、それを望んでいたのは国民であったともいえる。テレビがどんどん低俗化していき、視聴者の反応までを先取りするかのようなテロップが流れる番組が増えたのも、それを見る視聴者のレベルが下がっているからか。あるいは、どちらも国民や視聴者を蔑視したりレベルが低いとしている目線から生まれたのか。どちらであったにせよ、それが受容されている事実からは、国民の知的レベルが低下していることは否定できない。高村氏が、あと数年すると、いまの文章さえ読めない若者が増えるのではないかという懸念は、おそらく正しい。ネットやTwitter、Facebookでのコミュニケーションは、そのような風潮を助長する方向にある。

このようなことを考える派が少数派であること。
たまに営業のマネごとをして、夜の街に繰り出してみれば、得意先も社員も、どうしてしまったのだろうという呆け方、享楽の仕方。歯止めが失われ、品性も品格の欠片さえも見いだせない。こんな世界で、この先生きていくのかということまでをも考えざるを得ない。





2013年2月4日月曜日

市川團十郎も逝去!!66歳

市川團十郎も逝去!!66歳

歌舞伎座など建て替えないで、18代目や12代目の演目を、ひとつでも多く、伝統と伝説の昭和の歌舞伎座でやって欲しかった。合掌。この喪失感たるや!


2013年1月5日土曜日

【本棚】世界の経営学者はいま何を考えているか 入山章栄

ちきりん推薦ということで

世界の経営学者の前線の紹介だが
それでも問う
経営は科学とか学問なのか
統計的に処理された理論だったり論理だっりするのか
カンに頼る経営は危ない
しかし、ここで研究されている学問が経営の実務に役に立つとかの疑問は残る

こういう分野も必要とは思うが、金融業が、高等数学を用いることで、違った方向に行ってしまったことと、どこか似ている気がする。

2012年12月24日月曜日

シャルダン展 三菱一号館美術館

日本発の個展だが出品数が少なく絵も小さい。
もっと見たいという気もしたが、これが限界か。
18世紀のフェルメールというキャッチは、理解はできるが若干の違和感。

ファブリの画集がガラスケースに鎮座していたのには、若干びっくり。高校生時代に、この画集を求めて神田の古本街を徘徊したことを思い出した(今でも所有している)。
その画集表紙にもなった花瓶の花の絵が観られただけでもよかったと思うべきか。

それほど思い入れのある画家であるのに、図録は買うのを控えたは失敗だった。




2012年11月17日土曜日

棚田康司ーたちのぼる

練馬区美術館で開催中の棚田康司展ーたちのぼる に行って来ました。

以下は、まとまらない雑感。





痛々しさ
弱さ
それでいて
抵抗
意思を持った潤んだ目
未分化な精神
アンバランスと不安定さ
そこから始まる何か
祈りとか
神話的なもの

初期の荒々しい暴力性
あるいは
仮面
顔がない
まだ人格が形成されない
恥
内面性

ある時期からそれをさらけ出す
弱々しい恥ずかしいまでの内面
照れ

でも
そこには
曲がらない強さとか
前向きさ

やはり抵抗と創造

生まれたてとか




2012年9月29日土曜日

ブランディーヌ・ランヌーのゴールドベルク

 YouTubeでブランディーヌ・ランヌーさんの演奏を聴いていて、やはり彼女の演奏は好きだなと思います。

ラモーの以下のビデオなど、以前も良いと思いましたが、改めて聴いても、やはり良いと思います。

Naxosに昨年録音のゴールドベルク変奏曲もあったので、聴いてみました。これまた素晴らしすぎる演奏で、打ちのめされました。


特に、第15変奏の静かな短調のカノンの後で前半を終え、第16変奏のフランス風序曲で後半が始まるところは圧巻で鳥肌もの、息を呑みます。彼女の演奏の場合、独特のタメみたいなものがあるのでしょうか、情感に訴えるところが多いように感じています。

これが、HMVのCD評にあるように、演奏時間の長さ、チェンバロにも関わらず、ゆっくりと、音を爪弾くことの効果によるものなのでしょうか。今までは、サラリと流れていた時間が、スローモーションで分解されるようにありありと音が現前し、その構築美を表すような、そんなイメージというのでしょうか。

ランヌーの演奏スタイルも独特かもしれませんが、このゴールドベルクを聴いてしまうと、他の演奏では物足りなくなってしまいます。

以下、長いのですけどHMVから紹介文を全文コピペしておきます。

2011年11月1日 (火)

バッハ:ゴルトベルク変奏曲
ブランディーヌ・ランヌー
(チェンバロ)
日本語解説書付き

ゴルトベルク変奏曲。グレン・グールドを引き合いに出すまでもなく、この曲はピアノでもチェンバロでも、さらにはもっと違う楽器でも、あるいは諸々の編曲でも、驚くほどたくさんの名盤に恵まれてきたのは、いうまでもありません。そしてこの曲を知る人の数だけ、心の名盤やいつまでも思い出す名演があることでしょう。しかし、フランス古楽界きっての大御所になりつつある異才、パリ音楽院を卒業後レオンハルトとボブ・ファン・アスペレンの2巨頭に師事した後、明らかにユニークな存在感を放ちながら「古楽のメッカ」フランスで充実したキャリアを積み重ねてきたブランディーヌ・ランヌーが、ここに満を持して録音した『ゴルトベルク変奏曲』は、それら既存の演奏をすっかり忘れさせてしまいかねない、おどろくべきユニークな演奏です。
 快速をきわめたグールド55年盤なら40分もしないで終わってしまうこの曲に、CD2枚が費やされています。前例がないわけではありませんが、それはつまり、30の変奏すべてにおいて、前半・後半の繰り返しをきっちり守っているうえ、冒頭のアリアの演奏がとてつもなくゆったりとしているから。そして、それで比類ない演奏が成立してしまっているのですから、もう驚くほかないのです。ピアノならペダルがあって音を伸ばせるから、ものすごく遅い演奏でも音楽的に成り立つけれど、チェンバロはペダルで音を伸ばせないうえ、どんなタッチで弾いても同じ音量ですから、「ゆっくり弾く」はこの楽器の特性をほんとうに知り尽くしていないと、まず不可能なのです。ですがこのCD、1音1音がとほうもなく含蓄ゆたかに響く(これはZig-Zag Territoires特有の、直接音と残響がほどよく溶け合う自然派録音に負うところも大きいのでしょう)、その魔術的な、ほとんど永遠につづくような遅さのアリアに、まちがいなく耳が吸い寄せられてしまうはず・・・
 そしてランヌーがなぜ全ての変奏を前半・後半きっちりリピートするかというと、そこまでが「チェンバロ音楽としては当たり前」の作法だから。チェンバロはピアノとは違いニュアンスを細かく弾き分けるのではなく、曲の「元のかたち」と「即興で装飾を入れたかたち」を両方弾き示して、その変化の妙を味あわせる、というのが、バッハの時代にも行われていた最もオーセンティックな演奏スタイルだったのです。
 『レコード芸術』で特選に輝いたフォルクレ作品集でも、ランヌーは18世紀当時の流儀に従い、録音セッションの場で即興的に音を加えるという、チェンバロ本来の正統的な演奏スタイルを貫き、それがフランス音楽ならではの美質をいや増しに引き立て、音盤を名盤たらしめていたわけですが、そうした即興性はこの『ゴルトベルク』ではもはや「本質」。何もかもが尋常ではない、けれどもそれはすべて「歴史的蓋然性(オーセンティシティ)」を追求しつくしたがゆえのこと。『ゴルトベルク変奏曲』を改めてイチから解き明かしてくれる(そもそもなぜ「アリア」なのか?くらいのところから)解説書がこれまた静々と革命的で(例によって全訳付)、読み進めながら聴けば作品理解はさらに深まり、曲のイメージに新たな側面が加わること必至です。(マーキュリー)

【収録情報】
・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988

2012年9月17日月曜日

【本棚】リンダ・グラットンの WORK SHIFT 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図 を読んでのメモ

話題の本「WORK SHIFT」を読んでみた。
とりあえず読書メモとして。

  • グローバル化、IT化による従来職種の消滅、海外との競争
  • 長寿命化、年金の破たん、定年の延長
  • 仕事を人生の中で、どう位置づけるか
  • 何のために働くのかという問いかけ
  • 何を人生のなかで優先課題とするか
  • 60歳以降をどう生きるか、そのために50歳代で何をしておくべきか
  • 100歳まで生きる世界
  • 従来型の働くイメージを更新する必要
  • 何かを得るために、何かを捨てる覚悟
三つのシフトの実現
第一のシフト 
  • ゼネラリストを止める
  • 専門知識を深める
第二のシフト
  • ネットワークの活用
  • 再生のための人間関係
  • 解決のための人間関係
  • 相談できる相手
  • 意識的につくらないとできない
  • 全人格的に離せる相手
  • カメレオン的人格→集団により性格、人種が異なる
第三のシフト
  • 消費ではなく経験を主体とする
  • 金銭を対価とするのではなく、得難い経験を得るために働く
  • 何かを得るためには何かを諦める
  • 対価を得るには代償をはらう
  • 金銭の多寡ではない

2012年9月9日日曜日

個展:船田玉樹展 練馬区立美術館

展覧会最終日
自転車にて美術館まで
まだまだ暑い
見ておいてよかった
油絵や水墨画にはあまりひかれなかったが
屏風に精緻に書き込まれた松や梅、桜などの大樹は見ないとわからない迫力
執念のようなものを感じる

河童絵は好ましい
こよなく酒を愛したという玉樹
絵を描くことも「酒を呑んで酔っているのと同じ(で、はためいわく)」
中央画壇から離れて孤高の画家に
広島に行ったのは疎開、そのまま居つくことに、本人の意思ではなかったものの

年をとってなお、多作にこだわること
















2012年9月2日日曜日

奈良美智 君や僕に ちょっと似ている

横浜美術館で開催中の奈良美智の展覧会を観てきました。
奈良さんの作品は、印刷物では多く目にしていますが、実物を見るのは初めて。
巨大な少女像は、印刷物では単純に思たものの、実際は非常に繊細にて多くの色彩が使われていることが分かり、非常に驚きました。
以下は簡単なメモとしての備忘録。
  • むかしの少女の絵は「自画像」であったということ。
  • 本人の意図と世間の需要のずれ
  • 徹底した反抗心、ハスに構えた態度
  • 今回の個展は「春少女」に象徴されているか
  • まっすぐに向かってくる目線
  • たしかに菩薩のよう
  • 未来的
  • 子供でありながら大人
  • ロック的、喧噪の世界が消えている
  • ブロンズ像の多面性
  • 客層が若い
  • 作者がどう考えようと「カワイイ」として需要される
  • 孤独とかなしみ
  • 孤独に向き合わないと出てこない絵とか立体
  • 現代美術の中での位置付けとかスタンスとか




 


2012/09/02 稲盛和夫:高収益企業のつくり方

これを読むと稲盛氏の経営エッセンスがすべて詰まっていそう

  • 会社は個人の夢を実現する場ではなく、従業員の生活を保障する場
  • 会社経営には大義が必要
  • 家族的な経営
  • アメーバ―組織、できるだけ細分化して事業部制
  • 細分化することで利益の仕組みが見えてくる
  • 売り上げを最大に、コスト(経費)を最小にして利益を向上
  • 利益率は税引き前で10%以上、金利の倍は稼ぐ
  • 業績連動型の給与体系は、好業績でも低業績でも調整が入る、合理的な給与体系は難しい。
  • 人の心を考えなくてはダメ
  • リストラはやむを得ない、ただし、リストラすることを従業員が理解されるほどに経営者は努力していたか
  • 現場を知らなきゃだめ。従業員と一緒になって仕事をする。
  • 管理職とは言っても、マネジメントしたり采配するだけではなく。
  • コンパ=飲み会で腹を割って話し合う。楽しい飲み会ではない。
  • 経営者がまず思わなくてはダメ、真剣に思っていない、信じてもいないことを実現できるわけがない。
  • 経営者やリーダーは能とかではなく、徳が大切。あの人のためなら仕事をするか、ついていくか。
  • 分かるまで話す。


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