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2001年6月13日水曜日

大阪の小学校 殺傷事件で思う(2)

大阪の小学校殺傷事件のことを思わずにはいられない。「治療処分」「保安処分」などの是非が議論されてゆくだろう。

今日の朝日新聞は、安易な保安処分に進むことを諌め、「病院に長く閉じこめるのは、人権侵害であるうえ治りを遅くする」という基本発想のもと「不起訴などになった後の処置が、医療側の判断だけに任される」ことに触れ、「治療・社会復帰の過程に、何らかの形で司法がかかわる、という方向での論議は欠かせない」と結んでいる。

一方、産経新聞は、治療処分を「先進国では当たり前の制度である」といい、「精神障害者の犯罪は九割が不起訴になっている」現実に言及し「専門施設で充実した医療を受けさせる方が、加害者の人権を尊重する道ではないか」としている。

朝日は人権重視の前提で司法のありかたや精神治療のありかたを、産経は治療処分を前提とし治療しくみの改革などを訴えている。一方が治療処分反対、一方が賛成というような単純な図式ではない。やはり根本的に、刑法39条を含め、一般の我々が安心できるシステムが確立されていないのだ。

昨日の感想で、人権以前に極刑をという極論が生じやすいことを書いた。犯罪というものが何故発生したのか=人の心の闇がどうして生じたのかを、犯罪者を通して研究することは必要だ。もし今回、アメリカのように犯人が即刻、散弾銃で殺されていたとしたら真相はそれこそ闇の中だ。

一時的に心身喪失状態であったとしても、人間としての心や人格までもが全て消滅していない限り人権を有することは認めよう。しかしなのだ、殺されたものたちの人権は、何によって償われるのだろう。犯人が「真人間」になって社会に復帰することなのだろうか? 今回のような犯罪が起きないような社会に変ることだろうか?

一時はやったサイコスリラーものでの快楽殺人犯とは少々異なるが、彼らを調べてゆくと必ず幼児期に虐待を受けているというのを読んだことがある。幼児虐待を受けたから必ず殺人犯になるものでもない。人間の心に潜む闇に向かうには何が必要なんだろうか。

この問題を考えると、ますます混乱してしまう。

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