文具や筆記具に異様な愛着を持つ殿方は多いと思いますが、こんな夢のような空間があることを雑誌で知りました。
青山の骨董通りを少し歩いて住宅街へと曲がると、この店はあります。静謐にして贅沢な空間に、入った瞬間から眩暈の連続でありました。座ってじっくりと万年筆の試筆ができます。万年筆を入手するならば、GINZA ITO-YAや丸の内オアゾの丸善よりも、ずーっと良いです。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
歌舞伎座で二月大歌舞伎のうちから、番町皿屋敷と義経腰越状を幕見席で見てきました。
三月は十八代目 中村勘三郎襲名披露ですから、春と三月の穴場にあって余り人気はないのかなと思っていたら、大甘で休日の歌舞伎座は着物を着飾った老若女々であふれかえっておりました。(ちなみに三月の歌舞伎は発売と同時に売り切れのようです)
<昼の部>
<夜の部>
番町皿屋敷は有名な「皿屋敷」伝説をベースに近代風に仕立て上げた岡本綺堂の代表的な新歌舞伎で、人気歌舞伎の一つのようです。お菊が家宝の皿を割ってしまい手打ちにされてしまうところは怪談と一緒なのですが、なぜにたかが皿一枚のために人の命が奪われなくてはならないのか、ということを岡本経堂は「男の純真な心を疑われた無念」に帰しています。
岡本は、お菊(時蔵)が心を寄せる青山播磨(梅玉)を男気のある純粋な人物として描いています。それ故にお菊が家宝の皿を、播磨の心を確かめるためにわざと割ったということに、播磨は憤慨し許すことができません。しかし、どうもこのストーリーには無理があり、お菊が不憫でなりません。
「俺が家宝の皿を割ったから手打ちにするような心の狭い男と思うな、最愛のお菊に疑われたことが悔しいのだ」といって、お菊を自ら斬捨て、井戸に遺骸を放り込み(!)、そして男やもめ、もはや喧嘩しか生きる道はない(!)として終わるのですが、なんぢゃこりゃ!?です。
ストーリーはイマイチですが、名台詞も多いらしくあちらこちらから掛け声が頻繁にかかります。青年播磨は梅玉の当たり役だけあって堂には入ていますし、お菊の時蔵もよかったです。でもねえ、私の隣は外国人でしたが、このストーリーをどう思ったことでしょう。
◇
続く義経腰越状は文句なしに楽しめる歌舞伎です。舞台上手の幕だまりからツケの音が聞こえた瞬間に「歌舞伎はやっぱりこれぢゃなくちゃア!」と思ってしまいます。舞台床を踏み鳴らして泉三郎忠衡(左團次)が登場するなり、あちらこちらから「(タ)カシマヤッ!」の掛け声がかかります、これだよ、これ、ああ幸せ。
義経腰越状の見所は、なんといっても軍師として名高い五斗兵衛(吉右衛門)が、悪臣の錦戸太郎(歌六)と伊達次郎(歌昇)兄弟に酒を飲まされ、次第に酩酊してゆくさまと、その後の三番叟の舞です。
次第に酩酊するという芝居は、新春大歌舞伎の新皿屋舗月雨暈(魚屋宗五郎)と酷似していますね。宗五郎(幸四郎)の酩酊ぶりも笑えましたが、五斗兵衛(吉右衛門)の呑み助ぶりもなかなかのもの。あちらこちらから笑いが絶えません。三番叟は五斗兵衛の舞とともに五斗兵衛を追い立てる奴たちのアクロバティックな動きが楽しめます。
ストーリーは、たわいもないもので、いったい義経はどうなってしまったんだ?という思いで終わるのですが、これはこれ、支離滅裂ともいえる筋書きが何とも潔いものです。こういう歌舞伎ならば何度でも観たいなあという気になりますね。
クレンペラー指揮フィルハーモニア管のブラームス交響曲第2番(1956年)を聴いている。
軽く流して聴いただけだが、1楽章から尋常ならざる迫力。特に低音群の鳴り方がただものではない。底支えをするとともに動物的な猛りさえ感じる。テンポは慨してゆったりと、弦がうたうところは、抒情的気分を排してむしろ朴訥すぎる印象さえある。ベートーベンの「田園」を思わせる牧歌性もないわけではないが、全体的なオーケストレーションの男性的なうねりが心地よい。
カール・オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
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年末恒例のベルリン・フィル「ジルヴェスター・コンサート」での演奏で、NHKでご覧になった方も多いと思います。HMVで輸入版が1990円、国内版が2000円でしたから国内版を購入しました。この価格差はイロイロな意味で微妙です。
さて「カルミナ・ブラーナ」と言えば、冒頭の"O fORTUNA (おお、運命よ)" と、続く"Fortune plango vulnera (運命は傷つける)"ばかりが有名で、また土俗的なパワーがバリバリというイメージだったのですが、ラトルの版を聴いてみて、この曲を今まで真面目に聴いていなかったのだと思い知りました。
確かに強烈なリズム、シンプルな反復旋律、劇的コーダは聴きごたえがありますし、刻み付けるようなラテン語のリズムはニ三日は脳内でグルグルと永久運動を起こすかのような力を持っています。しかし、対訳とともに仔細に聴いてみますと、土俗的なパワーばかりではなく、非常に変化に富んだ構成であることに気付かされます。
テーマも「春に(自然と青春)」「居酒屋にて(苦情と日常生活)」「求愛(男女とエロス)」と三部構成、どれもこれも味わいがあります。第二部の"Olim lacus colueram (焙られた白鳥の歌)"のブラックさ、"Ego sum abbas (余は大僧正様)"のオカシ哀し大迫力な嘆きなど、凄い歌詞と音楽です。
しかし一番の聴きどころはワタシ的には第三部でしょうか。歌詞も結構どぎつく、児童合唱に歌わせる曲かよというような内容をシレっと歌わせています。圧巻は"In trutina (ゆれ動く、我が心)"のソプラノ独唱から"Dulcissime (私のいとしい人)"~ここだけでも5回以上は聴いたな~を経て"Venus generosa! (気高きヴィーナス)"と最高潮に達し"O Fortuna"となだれ込む場面でしょうか、ここでのティンパニの強烈にして硬質な響きは凄い。
ラトルの演奏がどうの、ということは上手く書けませんが、ベルリンの性能を最大限に発揮させながらも、単なる土俗的な演奏に陥ることなく、曲のもつ現代性や美しさを引き出しているように思えます。第一部"O Fortuna"での速度変化なども、楽譜に忠実な演奏ということらしいですが、かなり刺激的です。また、第1部の終わり"daz diu chuegin von Engellant lege an minen armen. He! (英国の女王を 私の腕に横たえるためなら)"の最後における打楽器の猛打も凄まじいの一言、ライブで聴いていたら"Hi!"で吹っ飛んでいるます。
曲のあちこちで活躍バリトン歌手クリスティアン・ゲルハーヘルはハリのある朗々とした、そして説得力のある歌声を聴かせてくれます。ソプラノのサリー・マシューは、声質としてはメゾ・ソプラノに近いのかな、最後のキレる寸前の高さで歌う"Ah! totam tibi subdo me! (私のすべてをあげましょう)"も悪くはないですが。
書き始めると、ツッコミところ満載の曲ですからキリがないので、このあたりで。
最近は「オレオレ詐欺」とは言わないらしい、「振込め詐欺」というのだそうです。動詞+名詞という組み合わせが日本語的にオカシイということはさておき、その他モロモロの詐欺まがい行為が最近あふれており、その手口は悪質かつ巧妙化しつつあるようです。
「ワンクリック詐欺」「フィッシング・メール」などの手口も非常に悪質ですが、ついつい引っかかってしまう人も少なくないかも知れません。最近も「ヨン様」の画像をファンサイトのように「なりすまし」て送りつけ、写真をクリックしたらスパイウェアか何かをインストールしちまうというものもあったようです。カード会社などを偽るものも日常的だとか。
ブラウザ論争では、IEの脆弱性は有名ですが、Firefoxにも脆弱性が見つかっただの、Firefoxを擁護する人は、ブラウザの脆弱性よりはフィッシングに引っかかる「間抜けなユーザー」が脆弱なんだ(As far as a 'security hole,' it should be more of a user vulnerability, as only a dumb person goes clicking links in e-mails from odd places,
:原文)とか・・・いやはや
あるいは、CNNのヘッドライン・ニュースを偽ったメール配信し、もっとニュースから情報を得たいと思う人をひっかけるというものもあるそうです。今週のAERAによると、個人のHPから個人情報を収集した上での「劇場型」「振込め詐欺」というのもあるそうで、ネット上に個人情報を置くことの危険性も考えなくてはならないようです。
最近の犯罪を見るに付け、何か今までのモラルが崩れ去り、蓋があいたというか、底が抜けてしまったかのような印象を日々受けるとともに、犯罪に対する防衛意識を高めなくてはならないというのは、何ともやっかいです。その延長には犯罪国家であるアメリカの姿がちらつきますから、なおさらに憂鬱です。
歌舞伎座で新春大歌舞伎を鑑賞してきました。実のところ、私にとってはこれが初の歌舞伎鑑賞となります。昼の部は4階の幕見席で最初のニ演目、夜の部は3階席にて三演目を鑑賞。一日じゅう歌舞伎の世界のどっぷり。ああ、何て幸せな世界なんでしょう、これではハマる人が居るのも分かります。
松廼寿操三番叟での三番叟演じる染五郎の踊りの軽妙さ、梶原平三誉石切での梶原平三役の吉右衛門の貫禄、鳴神での鳴神上人演ずる三津五郎の大見得、土蜘蛛での吉右衛門らの大立ち回り、そして魚屋宗五郎での幸四郎の酒乱ぶり。どれを取っても楽しめ、今でも頭の中で囃子や化粧声、ツケの響きなどが頭の中で鳴っています。演目は下記。
��昼の部>
<夜の部>
それに歌舞伎座内の売店には、その場で焼いている人形焼、きんつば、鯛焼きなどの餡ものが所狭しと並んでいて、甘党なら一瞬でクラクラしそうな空間が展開されています。嗚呼、暖かい"きんつば"のしっとりとした肌さわり!かくいう私もクラクラし通しでした。
で、帰ってTV付けたら、中村勘九郎がSMAPの香取クンと歌舞伎について語っていました、歌舞伎を盛り上げようとしているようですね。
いままで、こんな世界をしらなんだとはァァァ~、ほんに、なんと、おろかなことざんしょオオ~。テケテンテンテン・・・イ ヨオーっ! 「成駒屋!」 ああ、おいらもはやく掛け声を掛けてみたいものよのう>早すぎるって。
「おかか1968」ダイアリーでニコラ・ベネデッティ(17)というヴァイオリニストが破格のデビューを飾るというエントリー。
実力の程は分からないけれど、とりあえずメモしておきましょう。それにしても
Nicola was born in Scotland in 1987 and began violin lessons at the age of 5. In 1997 she entered the Yehudi Menuhin School, where she studied with Natasha Boyarskaya. While at the school she performed as a soloist in venues including the Royal Festival, Queen Elizabeth and Wigmore halls. In 1998 she was one of the soloists in Bach’s Double Concerto under Menuhin at the opening ceremony of the 50th anniversary of the Declaration of Human Rights at UNESCO in Paris.
だそうで、早熟ですなァ、たいしたモンす。
ルックスやスタイルなどは音楽とは無関係ですし、好みもありましょうけれど、「商品価値」なんて概念から、ボンド・ガールのようになったら、オシマイだとは思います・・・ひそやかに正しく育ってくれることを祈りましょう。
「NHKを呼びつけた」「番組内容を変更するように圧力をかけた」という報道や発言は全くの誤りである。昨日私が事実誤認を指摘するコメントを発した後も、引き続きそうした報道が行われているのは、誤りというだけでなく悪意に満ちた捏造と言わざるを得ない。衆議院議員 安倍 晋三
安倍氏のブログより
「あなたは普通の政治家ぢゃないんだから」は、田原総一郎氏が安倍氏にカマをかけている時のせりふ。
現代においてショパン弾きといわれる優れたピアニストが多いのに、今更SP時代の古色蒼然としたコルトーのミスタッチばかりのショパンを聴く必要があるのだろうか、などということは考えない。私はあまりショパンが好きではありませんし、そもそも、どこでミスタッチしているかなんて、分かっていないのですから。それでも何気にコルトーの盤を聴き始めたら止められずに何度か聴いてしまいました。
コルトーのピアニズムから漂う気品と素朴な暖かさ、あるいは言い方は悪いかもしれませんが、泥臭さというのでしょうか。これらは洗練の極みとは対象的ですが、浸りきると非常に心地よいものです。ショパンというと聴いていてどこか疲れてしまい、ついおなかがいっぱいになってしまうのですが、彼の演奏はやさしく滋養となって体にしみ込んでくるようです。演奏の技術的なものを補うような、ある種の雰囲気をもった演奏といえるでしょうか。現代では決して聴くことの出来ない演奏かもしれません。
例えば作品10 第6番とか作品25 第1番など、絶品の味わいです。また作品10 第12番《革命》の力強さときたらどうでしょう。無骨過ぎるきらいはあるかもしれませんが、それはそれです。
無骨といえばリストのハンガリー狂詩曲などかなりのもの、演奏も1926年のものになってしまいますからノイズもひどくなってくるのですが、それでも聴けないほどではありません。しかしそういう中にも、非常に繊細な一面も聴けたりして、そこに詩情を感じたりします。
Syuzo's Homepageの「テンシュテット:禁断の部屋 テンシュテットを聞く 第13回 2000/1/4」で紹介されている盤のひとつであると思うのですが、CDの録音年月日が1977年11月24日となっています。Syuzoさんのサイトでは、おまQさんの推定によるとただし書きがあるものの、1981/6/16? (LIVE)となっています。FIRST CLASSIC盤と同一音源であるかは私には判断できませんが、CDショップ・カデンツァの解説ではともにFirst Classicsが初出だった音源だが、その素晴らしさからすぐに売切れ&廃盤となり、
とありますから、1977年の演奏なのでしょう。
前置きが長くなりましたが、Syuzoさんも指摘のとおり、これも並外れた演奏として聴くことができます。音質はちょっと抜けが足りないようですが、ノイズなどが気になるようなものではありません。テンシュテットの演奏は完全に突き抜けていますので、ライブの迫力に浸るには充分といえましょうか。NDRは「復活」もそうでしたが、特に低弦の音色がただものではないです。
マーラーの交響曲の中で1番は、演奏会でもCDでも比較的耳にする機会が多いのですが、ここに聴かれるような硬質で彫の深い演奏は捨てがたい魅力があります。私などがテンシュテットを語ることなどおこがましいのですが、彼特有の推進力、そして激情的ではあっても感情に溺れずに制御された演奏を、ここでも聴くことができます。例えば第三楽章のマーラー特有の美しく甘い旋律にしても、耽美に流れることはありません。
第四楽章も冒頭から畳掛けるかのような表現が圧巻です。『ここで英雄はうち倒された』とのことですが、一体何回打ち倒されたんでしょうね、徹底的に痛めつけられてるつーか・・・。痛めつけた後に甘美なメロディも冗長すぎないという感じ。ラストへの流れも凄いのですが、最後の2音が急に音圧が下がってしまうのは興ざめ、拍手をカットしたためか?。
ブラボーとブーイングが飛び交った伝説の演奏
とのことですが、ブーイング派はどんなマーラー像がお好みでしたでしょうかね。
Syuzo's Weblogで吉田 真著「ワーグナー」の紹介ありました、要チェックですな(つーかSyuzoさんのサイトからのネタが続くな・・・)
考えてみたら「CDで聴くはじめてのワーグナー」のシリーズは、昨年3月に「ラインの黄金」を聴き始めて止まったままです・・・まいいか。
Syuzo's Weblogと夢遊的日録さんのサイトにて、テンシュテット&NDRの「復活」が発売されていることを知り、年末にCDショップ・カデンツァに注文、聴くのを楽し非常に楽しみにしていた盤でした。ところが年末に帰省してCD棚をごそごそとやっていたら、なんとこの演奏はLUCKY BALL盤で既に入手済ではありませんか、マーラー交響曲第1番は持っていませんでしたから、それほど落胆はしませんでしたけど。
購入したときのレビュウがないので、あまり感動しなかったのだろうか?と訝りながらLUCCKY BALL盤を年末に聴いてみたのですが、いやはや、冒頭からの抉り込むような弦の響きに全身ぶちのめされ、そして圧倒されまくった1時間半でありました。本当に空恐ろしくなるような演奏です、こんな演奏が存在するのかというほど。
で、その時の衝撃をもう一度ではないのですが、MEMORIES盤でしつこくもまた聴いてみました。すると、あれ?という印象なんですね。再生装置が違うというせいもあるのか、何か抑え気味な演奏に聴こえてしまいます。冒頭の殺されるのではないかという迫力も半減しています。これは録音の質の問題でしょうか。いずれにしても、凄い演奏であることに変わりはないんですが、機会があれば聴き比べてみたいところです。
確かにビジネスとして考えた場合、Googleは画期的でありMicrosoftの出現に匹敵するという人もいます。IT関連のブログやサイトではGoogleとYahooの比較記事など、多方面から研究されています。"Googleは神か?""などという問いかけさえあるようです。こちらとこちら(ちょっと古い)。自慢ではないが、どちらもまだ真面目に読んでませんが。
東芝と富士通とNECの時価総額を全部足し合わせても、創業からたった六年、わずか二千七百人のグーグルの時価総額に及ばないのはなぜか。いったいグーグルとは何なのか、その台頭は何を意味するのか。
産経新聞「正論」 【正論】米ミューズアソシエイツ社長(在シリコンバレー) 梅田望夫: IT産業の潮目が読めぬ日本勢 モノづくりの強さ過信を危惧す 《米国で進むパワーシフト》(2005年1月10日)
成熟した産業、あるいはコモディティ化した産業において、他社との差別化を図ることの難しさは、マーケティングや開発、営業の最前線に籍を置いていなくとも、毎日身にしみて感じている人も多いと思います。
擬藤岡屋日記にエントリーされていたMisleading ~ Lexus in the U.S.は興味深く拝読いたしましたが、私が一番注目した点はココ。
- それまでのカー・ディーラのイメージを一新するような豪華な内装の店舗と洗練された接客を教育されたスタッフ。
- 時に顧客と接触するメインテナンス作業員の制服(所謂つなぎ)は1日2度着替えさせる。
- 週末には無料洗車サーヴィスを実施し、その際にはフリー・ブレクファーストを提供。
- 顧客に代車を提供する必要がある場合には、レクサスの最高級グレードを提供。
- シカゴのレクサス・ディーラでは顧客がオヘア空港の朝一番機の搭乗前に車を預けられるように、朝5時からメインテナンス工場をオープン。
- レクサスの中古車としての価値を維持するため、周辺地域の中古車ディーラの在庫に目を配り、中古のレクサスが市場出た場合はレクサス・ディーラが即座に買い取りメインテナンスを施し自ら販売する。
企業は何を売るのか、商品とともにサービスにおいて顧客満足を獲得し付加価値を付とするということは、分かっているようでいてその実できてはいないことが多いと思います。中国に売却して話題になったIBMのPC部門の責任者は「安値で業界一ではなく、顧客満足で業界トップを狙う」とどこかに書いていました。
顧客が何を一番求めているかは、机に座っていては一生分かりません。企業には現場からの顧客体験を分析し戦略へと変えるスピードと柔軟性が求められます。
古くて新しいテーマですが、私の属する業界においても、安値戦争だけではない最後の生き残りの鍵があると思っているのですが、現場の声のフィードバックは大きなうねりとはまだなりません。
また、レクサスの成功の一因である、新富裕層にターゲットを絞ったマーケティング戦略、徹底したブランド・マネジメントによるブランド・エクイティの獲得など、研究すべき点は多い事例でしょう。日本も二極化してゆくなら(良い悪いは別として)、セグメントの再構築だって必要なわけです。
昨年12月8日に発表されたIBM PC事業の中国聯想集団への売却、および1月3日の日経新聞で報道されていた日立製作所の「パソコン利用全廃・専用端末で情報漏洩防止」という記事は、ポストPCというようなものを予感させるものがあります。
DELLを思い出すまでもなく、PCはもはやコモディティ化してしまいましたが、それでも事業を続けて利益を得る、あるいは差別化や優位性を維持し続けるには、低コストの追求による薄利多売か付加価値の高いサービスにて稼ぐかの選択しかないわけです。
IBMはPC事業からの撤退は、事業を継続しても負債を重ねるだけだと判断した結果でしょうが、IBMはもしかすると、もっと付加価値の高い新しいアーキテクチュアの登場を見据えているのかもしれません。
そんな中で目にした日立製作所のPC全廃の記事。目的は個人が会社の情報を漏洩することの防止策であるとのことですが、企業はよりセキュリティが高く効率の良いシステムへ移行してゆくことの先駆けであるように思えます。
思い起こせば、80年代後半からMS-Windowsの発売に伴い爆発的にPCが普及し、90年代後半にInternetの普及により、ネットワークの構築がビジネスモデルまでも激変させてきましたが、IT産業においてもひとつの時代が変わりつつあるのでしょうか。
このような変革の激しい時代において、企業の生き残り戦略は熾烈を極めているようで、1月4日の日経新聞では、船井電機の戦略が掲載されており、なるほどと思った次第。いわく、デジタル家電などの最先端技術は投資も多い反面、技術が日進月歩であるため利益も見込めない。それよりは、比較的安定した製品においてコストダウンを図り、多量に売る。これはこれで見事かなと。
日立、社内業務でパソコン利用全廃・専用端末で情報漏えい防止
日立製作所グループは社員が業務で利用するパソコン約30万台を全廃し、情報漏えい防止型のネットワーク端末に切り替える。新端末は内部に情報を一切保存できず、盗み出されても顧客情報や製品開発情報などが流出する危険がない。機密情報の流出防止が企業共通の課題に浮上するなか、パソコンメーカーでもある日立のパソコン全廃は、企業の情報システムのあり方を大きく変えそうだ。
企業への罰則を含めた個人情報保護法の全面施行を4月に控え、国内企業は情報流出防止を強化している。従業員による情報の不正持ち出しやパソコンの紛失・盗難への懸念は強く、日立は新型端末の外販にも早期に踏み切る計画。(日経新聞Web版 1月3日07:00