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2004年5月5日水曜日

オーケストラ リベラ クラシカ/ハイドン交響曲ほか

  1. 交響曲第15番
  2. チェロ協奏曲ハ長調
  3. 交響曲第44番「悲しみ」

  • 指揮:鈴木秀美
  • 演奏:オーケストラ・レベラ・クラシカ
  • 録音:2002年11月29日、浜離宮朝日ホール ライブ録音

定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。

定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。

ハイドンという作曲家は沢山の曲を残している割には曲の知名度は低いようで、かく書く私もハイドンに親しんでいるわけではありません。以前にアダム・フィッシャー指揮によるオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団のCDを聴き、ハイドンも捨てがたく、いやいや聴きようによってはモーツアルトよりも余程よいかもしれないなどと思ったものですが、それ以来は再びご無沙汰でした。

��LCの奏でるハイドンを聴いてみましたところ、何と生き生きとしていることかとびっくりしてしまいました。生命力と躍動感に溢れ、CDから音楽の粋が飛び出してくるかのような演奏です。古楽器と小編成のオケによる音は恐ろしいほど統制が取れていて、それでいて繊細さや華やかさをふんだんに振りまいてくれます。

交響曲第15番も楽しめる曲ですが圧巻はやはりチェロ協奏曲でしょうか。鈴木氏のチェロの迫力ときたら、これが古楽の演奏かと思うほどにスリリングかつエキサイティングです。そして、どの音の断片にも音楽の喜びが溢れているかのような演奏です。枯れていていながら肉感的であり、繊細でありながら図太く、優雅でありがなら力強い、こんな感覚をハイドンから得られるとは思いもしませんでした。第一楽章後半のチェロのカデンツァなど鳥肌ものです。

アダム・フィッシャーの演奏もそうでしたが、ハイドンの曲には(モーツアルトとは異なる)疾走感が伴っているように思えます。鈴木氏の演奏もアダージョとアレグロでの緩急や表情の対比が見事で、それゆえに優雅なところはあくまでも典雅で、疾走するところは限りない運動性能を感じさせてくれます。つまり全くダルではなく、高揚したハイテンションな感情が維持されます。

ふと考えるとこれが古典派の音楽なのだろうかと、無知無学な私などは思わずにいられませんが、私的にはこういう演奏は全然OKではあります。

交響曲第44番は短調の曲で「悲しみ」という副題がついていますが、第一楽章の引き裂くような弦の強い響きから始まる曲もキビキビと極めてキレのよい演奏に仕上がっています。やるせない冒頭のテーマが第一楽章は繰り返されますが、一度聴いたら頭から当分離れません。

『クラシック・ジャーナル002』(アルファベータ)で石原俊氏は、

第三楽章は長調で書かれているにもかかわらず、サウンドが《悲しみ》の方向に引っ張られるのだが、鈴木はそのあたりに透明感を持たせている。終楽章は透明な悲しみに向けてオケ全体が疾走してゆく。

と書いていますが、成る程音楽評論家というのは的確な表現をするものです。

悲劇的なテーマではあっても、ベタベタしたロマン派的感情ではなくドライな表現になっています。キレが良くてドライとくればアサヒビールになってしまうのですが、キレだけでどこか物足りなさや欠乏感を感じることはついぞ無く、聴き終わってみればまたしても楔のような深い感動を覚えているのでした。

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