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2004年5月25日火曜日

相変わらずクラクラする産経新聞

産経新聞の主張や産経抄は、ときどき眩暈がするような文章が掲載されていて、楽しませてくれるのですが、今日の産経抄も絶品と言えるのではないでしょうか。


来春から小学校音楽教科書に十三の唱歌や童謡が復活することを受けて、『もうひとつどうしても入れてほしかった曲がある。この時期に季節はずれかもしれないが「冬の夜」という唱歌だ。』としてその歌詞を紹介してます。



産経が是非入れて欲しかった理由を表す歌詞は、二番にあり


▼「囲炉裏の端に縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて 耳を傾けこぶしを握る」。恐らく日露戦のことだろうか。父親が自らの「歴史」を語ることによって、子供たちとの絆(きずな)を確かめ合っていたことがよくわかるからだ。

だと書いています。今回の拉致被害者家族の帰国と絡めて、


親と子が囲炉裏を囲むように互いの苦難の歴史を語り合ってもらいたい。真の家族の絆をとりもどしてほしいのである。

と主張するのですが、私には違和感しか感じません。戦争体験を語り継ぐことは重要ですし、風化させてはならないものですが、日露戦争まで持ち出し『過ぎしいくさの手柄を語る』ことを奨励するのは、私などいかがかと思うのですが、自らの歴史が間違っていなかったと主張する産経にとっては、悲願のことなのでしょう。


自虐史観に反対する人の主張は、私とてその気持ちを分らないのでもないですが、どうしても裏に日本の絶対的優位さと日本の正しさ、中国、韓国、アジア諸国に対する不信と蔑視が透けて見えてしまいます。例えそれらの諸国が不正と不義だらけの嘘で塗り固められた非人道的政権であったとしても、取るべき態度は産経的主張ではないのではないかと思うのです。


国の歴史というのは、一致していれば幸せですが、得てして相対的なもののはずです。日本の観点からは仮に解放戦争であっても、世界の観点からは依然として侵略戦争として裁かれました。それを覆すことは、いくら右派の方々が歴史的根拠を持ち出しても、変わらないし、日本はそこから出発すべきではないのではないかと思うのです。


今回のイラク侵攻にしても、それ以前の米英の中東戦略であっても同様でしょうに。その前提あっての外交や対話ではないかなと、思うのですが・・・


翻って日本は世界の中で経済的に豊かな国ですが、本当に他国から見て「幸せな国」でしょうか。帰国された子供たちが心の底から帰ってきて良かったと思える世界一の国でありますように願ってやみませぬ。

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