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2004年5月31日月曜日

サヨクを論破する理論武装?


産経新聞社の月刊誌「正論 2004年6月」は《サヨクを論破するための理論武装入門》という、ワクワクするような記事でしたので、買って読んでみました。文責は石川水穂氏、産経新聞論説委員です。

15頁ほどの記事は全部で7章に分かれており、1.自衛隊イラク派遣と集団的自衛権 2.国旗・国家問題と朝日社説 3.首相の靖国公式参拝は合憲 4.朝鮮人強制連行という歪曲 5.間違いだらけの慰安婦問題 6.南京事件の重大なうそ 7.竹島・尖閣諸島はまぎれもない日本の領土 という内容です。

集団的自衛権に関しては、『どうしても必要』であると説きますが、その理由の第一が『日本国民にとって、イラクより深刻な北朝鮮の脅威が現実化』することに危惧を抱いていることにあるようです。北朝鮮の脅威が消えたらどうなるのでしょう、新たな脅威を作るのでしょうか。

国旗・国歌問題は、ここのブログでも数度触れましたが、東京都の通達に関しての教師処分とからめて朝日新聞を批判してるのですが、産経は授業で『国旗・国歌の意義や由来を含めてきちんと教えておけば[...]むりなく国旗に向かって起立し、国家を歌うことができるのです。[...]生徒の自主性とは何の関係もありません。』と書きます。それって、政治的プロパガンダとどう違うのでしょう。

教員には当然、国旗・国歌の指導義務』があると書きますが、「良心的行為の自由」についてはどう考えるのでしょう。そんなもの公僕には存在しませんか。

靖国神社に関しては、『戦没者慰霊の中心施設として、遺族をはじめ日本国民の崇拝を集めて』いる、靖国参拝は『遺族や国民が待ち望んでいる』と書きます。「遺族」の部分は正しいでしょうが、「国民」と書くのはいかがなものでしょう。少なくとも国民である私は、崇拝も待ち望んでもいませんが。

同じような論法は『靖国代替施設構想は遺族や多くの国民から批判』『どんな形で死んだにせよ、死者を必要以上にムチ打たないのが日本の伝統的な国民感情』などというすり替えを行っていきます。死者にムチなど打ちたくありませんが、罪については裁かれ罪を贖ってこそではないですか、単なる恩赦ではないでしょうに。それとも戦犯たちにも「受命の抗弁」が成立するのですか。

続いて首相の靖国参拝を意見とした福岡の判決について、『裁判官個人の政治的信条の吐露』でしかなく『独善的』『裁判を利用した一種の政治運動』と舌鋒鋭く批判しています。これは、「SAPIO」(小学館)に掲載されている小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言」でも同様のことが書かれており、小林氏に至っては、私的なサヨク的見解を述べたに過ぎない『暴論』であると怒りをあらわにしています。(SAPIO 5/26号)

しかし、現段階では、福岡地裁の判決の背景がどのようなものであるにせよ、靖国参拝がグレーゾーンであることに変わりはないというのが私の実感です。

朝鮮人強制連行や慰安婦、南京大虐殺に至っては、もはや根も葉もないでっち上げとする主張なのですが、例えば、

  • 「朝鮮人強制連行」は、朝鮮総連系の学者の造語
  • 徴用は法律に基づく戦時勤労員動員であり、それを「強制連行」とはいわない
  • 日本の群や警察が強制連行したことを裏付ける資料は一点もない
  • 「従軍慰安婦」という言葉は戦後の造語
  • 創氏改名の「強制」も間違い、差別もなかった
  • 南京大虐殺の「40万人」は学問的に検証された数字ではない、荒唐無稽な数字
  • 南京の人口は日本軍の攻略後もほとんど変わっておらず、10万単位の虐殺などありえない
  • 「南京大虐殺」は戦後、米国経由で東京裁判に持ち込まれた

などなど、いろいろと列挙してくださいます。自虐史観から抜け出し、自国の歴史を問い直そうという態度には、何度も述べますが敬意を払いますし、「学問的に検証」しようとする努力にも頭が下がる思いです。

しかし、私はサヨクではありませんが、残念ながら産経の主張には全く論破されませんでした。

ああそうなんだ、以前のエントリーにトラックバックしてくれた、k-tanakaさんの言葉を思い出した。

藤田の指摘から産経のつまらない主張に立ち戻って考えれば

そうだ、つまらないのだ産経の主張は、そんな暇があれば藤田省三の著作でも紐解き、天皇制とか国家について内省した方がましであると、ようやくにして気付いたよ。

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