丸山の思想メモ
- タコツボ-官僚的、ササラ-通奏低音(バッソ・オスティナート)。丸山を捉えて話さなかった音楽。
- 日本の思想や制度に対する輸入感
- 自発的ないしとしての思想、民主でないこと。過去のアンチテーゼとしての現代
- 思想史の中でササラに対応するものとしての天皇制
- 「である」静的、身分・階級 → 「する」動的、能力主義
- 丸山と福沢諭吉
私的なLife Log、ネット上での備忘録、記憶と思考の断片をつなぐ作業として。自分を断捨離したときに最後に残るものは何か。|クラシック音楽|美術・アート|建築|登山|酒| 気になることをランダムに。
丸山の思想メモ
渡辺保氏は著書「歌舞伎」において、歌舞伎の「殺し場」を「陶酔の場所」と副題を付け以下のように説明しています。
��歌舞伎の殺し場が)かほどに甘美で美しいのはなぜなのか。(中略)そこに実は歌舞伎の本質がある。「殺し」の瞬間において役者の身体がもっとも美しく見えるからである。(中略)歌舞伎はその殺人の甘美な身体の意味をただ絵にして見せただけだ。別にサディスティックなあるいはマゾヒスティックな趣味の産物ではない。(「歌舞伎」渡辺保著 文庫版P.268-269)
殺しの場面における精神と肉体の緊張が極度な凝縮、そこに甘美な陶酔を誘う役者の身体の緊張した輪郭
が現れ、これがこそが歌舞伎の美学だと説明しています。
本書では「××殺し」と呼ばれる六つの演目と、「××斬り」といわれる二つの演目を紹介し、さらに詳しく「殺し場」について説明しています。「××斬り」とは、吉原百人斬りの「籠釣瓶花街酔醒」と油屋十人斬りの「伊勢音頭恋寝刃」のふたつのこと。
「××斬り」の方は幸いにして両方とも観る機会がありました。「籠釣瓶」において勘三郎演ずる次郎左衛門が、玉三郎の八ツ橋を斬った場面は(演技が大げさすぎるという批判も目にしましたが)思えば本当に印象的な場面でした。まさにあの一瞬のためにあの演目が存在すると言っても過言ではなかったかもしれません。玉三郎の死に様が余りにも美しすぎるため、その美しさに素直に陶酔することに対し反発さえ覚えたものです。分かりやすい「美しさ」とは言い換えるならば「俗っぽさ」をも併せ持つ、それ故に「俗さ」を許容できないという勘違いした態度です。しかし歌舞伎というもののあり様を考えてみれば、玉三郎の「死に様の美しさ」に陶然とした方が余程素直であったのかもしれません。
似た様なテーマの「伊勢音頭」は、殺される側は勘三郎が演ずる万野でありましたから「殺し場の美」というものは感じませんでした。むしろ、鞘走って過って傷させてしまったことによって、彼の中で何かが崩壊してゆく。連続した殺しの場面は適度に様式化されており、静かに人を次々と斬る貢からは妖刀の魔力や狂気が表現されていたように思えます。血糊の付いた衣装で逃げ惑う人が登場する様には少し驚きましたが、それでもナマなグロさは減じられていたようです。
ところで、九月大歌舞伎の「平家蟹」です。これは岡本経堂作で福田逸氏の演出なのですが、これがどうも後味が悪い。玉蟲が玉琴と那須与五郎を毒殺する場面なども、それでも冗長過ぎる上に、苦しみ方がヘタにリアルであるため芸に違和感がある。今月の歌舞伎座のガイド本によると芝翫丈の発案で原作に相当手を入れた
とありますが、照明や音響効果を含めて歌舞伎の枠を少し広げる演出は効果的であったのかも疑問です。
経堂の主題である「狂気・執念」は嫌という程に伝わってくるものの、逆に玉蟲持っている時の流れや源氏に屈さない潔さは相殺されてしまっていないか。「妄執」を全面に打ち出すのもいいのですが、それでも殺しの場面がむご過ぎてまた滑稽でちいとも美しいと感じる場面がない。
福田氏は決して今風に新奇なことをしたわけではないが(中略)近代古典を現代に活かし、更にそれを次世代に受け渡したいといふ芝翫丈の熱い想ひを、なんとしても実現させ
たかったと先のガイド本に書いていますが、私はもう一度「平家蟹」を観たいという気にはなれません。また歌舞伎の演出がいたずらに「リアル」に近づくのは、私にはあまり好ましいものとは思えません。劇は理解しやすくなりますが、何か大切なものがゴソリと抜け落ちているような感覚を覚えますが、いかがでしょう。
ちなみに岡本経堂の「平家蟹」は明治45年の大阪浪速座で六世梅幸の玉蟲で初演された新作歌舞伎。玉蟲は誇り高い平家の女官。かの屋島の合戦で那須与市に射抜かれた檜扇をかざしたのが玉蟲と紹介されます。生き残った彼女の平家に対する怨念ただならぬというのに、玉蟲の妹玉琴は何とあろうことか那須与市の弟の那須与五郎と末を誓ってしまうのです。玉蟲は二人を許し祝言を挙げるフリをしながら、神酒の中に混ぜた平家蟹の毒肉で二人を毒殺し、自らも平家蟹に誘われるように壇ノ浦の海へと誘われてゆき幕となります。
縁の下に蠢く平家蟹も不気味ですが、何よりも、のたうち苦しむ二人を冷徹に見据える玉蟲の怨念が恐ろしい。それもこれも、歌舞伎でありながら演出や台詞が現代劇に近いせいでしょうか。底知れぬ暗さが全体に漂い殺しの場面だけではなく歌舞伎の持つ形式性や美学が非常に薄いように感じました。
暑い暑いと思っていたのに、台風が去ったらまるっきり秋の空気に入れ替わっている。気付いてみれば暑い盛りから鳴いていた虫たちの声も一層夜空に染み渡っている。
表に書いたが、渡辺氏の「歌舞伎」はイロイロと示唆に富む。歌舞伎を語っているのだが、その裏には時代の美学がにじみ出る。
時代がにじみ出るといえば、やっと2章まで読んだ「日本の思想」(丸山眞男)が発刊されたのは1961年のこと。マルキシズムなどの解説はさすがに時代を感じるが、彼が根底に見据えていた日本思想論は今現在も全く色褪せていないどころか、彼を越える論客が今の日本に存在していない、あるいは存在することを時代が要求していない、という事実に気付いたとき、慄然とする思いである。
歌舞伎評論の第一人者である渡辺保氏による歌舞伎の解説書。もともと新曜社シリーズの「ワールドマップ」の一冊として企画され現代の思想、風俗、社会現象、文化などを記号論によって分析
しようとしたものであったそうです。
記号論云々は私にはさっぱり理解できませんが、渡辺氏の歌舞伎に対する真摯な考え方に触れることができることと自分の中での歌舞伎観を再構築する意味において非常に有益な書でした。
私がこの本を書くことを決心した理由はたった一つしかない。私自身の歌舞伎の美学というものを書きたかったからである。(「口上」P.10)
まさにこの一言に、渡辺氏が歌舞伎の中に何を観ているのかを理解することができます。幼いころから陶然として役者を眺めてきた渡辺氏には、歌舞伎かくあるべきという信念と真摯な熱意が溢れています。面白いのは彼の本書に対する姿勢です。最初に歌舞伎の美学を書くと言っておきながら、
ところで私たちの歌舞伎の美学というものが一体どういうものであるのかは、いまのところ私にもまったく分からない(「口上」P.12)
などと書いています。本書は「解説入門書」の類とはその本質を全く異にしている
と続け、
この本は、そういう私自身の自己証明のために書かれ(私と同じような感心をもたれるごく一部の方々のためにのみ書かれ)る(「口上」P.12)
としています。とは言っても偏狭な知識や見解をひけらかしたり、引用だらけの凡百の書とは雲泥であり、また難解な歌舞伎論が展開されているわけではなく、少しでも歌舞伎を面白いとか魅力的であると感じたことのある人には、充分に納得できる内容が散りばめられておます。とくに本書を読み進めると、あたかも歌舞伎の舞台が眼前に展開されているかのような心持ちになるところは流石でしょうか。
彼が本書をしたためた意図を再度確認しますと、P.13でもう一度繰り返される自己証明の意味をもつ書物
、自分の内なる歌舞伎を分析することによって時代の証言台に立ちたい
ということでした。その裏には今現在も変遷を続ける歌舞伎というものがあり、歌舞伎を観て育てている観客というものがあり、それらを含めて変遷しつづける世界の存在を渡辺氏は示唆しています。
以前も触れましたが、歌舞伎が変化する理由については時代の感覚が変わったから
であるとした点には深く頷かざるを得ません。「芸」に支えられた伝統芸能である歌舞伎の変遷を辿ることは、ある意味で私たちの時代精神の自己証明でさえある点で、私の中でも興味は尽きません。
あちらこちらで話題になっているルミニッツァ・ペトレのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータをHMVへ注文。本来ならば京都のラ・ヴォーチェさんで買うべきであったのでしょうが、営業協力せずにごめんなさい。
丸山真男の思想の底流に「執拗低音」が流れているという記述を読んで以来、心懸かりになってヒラリー・ハーン(Vn)とキーシン(p)のシャコンヌを繰り返し聴いていたところにこの話題(les soupers du roi ubu 「ラ・ヴォーチェ京都で」9/19)、思わず注文してしまった次第。連休明けには届くことでしょう。感想は気が向きましたら、そのうち。
明日(正確には今日)から世の中三連休。あるプロジェクトに携わっている私の周辺の一部の人たちは、夏休み前後からほとんど休んでいない様子、全く頭が下がる。「昨日も帰ったの4時ですよ~(>今日だっつーの)。明日も来てくれるんでしょう~」などと頼まれると「仕方ね~なア」と思ってしまい、またしても休日出勤だよ。
打ち合わせで、得意先に行ってイロイロ情報交換をしていたら最後に担当者曰く。「ところで、いま、ウチの会社の中で貴方の会社の印象はサイアクなんですよ(笑)」。別件でのことが尾を引いているらしい・・・笑っているけど半分以上マジだな。最後に言うか>つーか、最初に言われたら何も話せないかっ!
「日本の思想」(丸山眞男:岩波新書)を購入し読み始める。成る程ねえ・・・と悟るほどには読み進んでいない。
マスコミはどうしてバカをおっかけたがるんだ? バカは放っておけよ。バカだから何するか分からないので放っておけない、というほど一流のバカでもねーんだからさ。
アサのワタナベクンは倫理観まで破壊して、いったい何を訴えたいんだろうね。
演目は芝翫の「平家蟹」、吉右衛門の「勧進帳」、そして歌舞伎座では48年振りの狂言、梅玉と時蔵の「忠臣蔵外伝 忠臣連理の鉢植~植木屋」の三作です。
歌舞伎初級者の私のことですから、お目当ては当然「勧進帳」なのでありましたが、予備知識の全くなかった「平家蟹」も「植木屋」も、なかなかに興味深くそしてまた面白く、今回も歌舞伎の底知れぬ奥深さを知らされる思いでありました。
以下に雑な感想を綴っておきますが、後日何か思いついたら追記するかもしれません。
「平家蟹」は壇ノ浦の合戦の後に生き残った官女、玉蟲(芝翫)の源氏に対する妄執を描いた怪談です。明治45年、岡本綺堂作の新作歌舞伎なのですが、観終わった感想は、いい意味での「なんぢゃこりゃぁ」というもので、歌舞伎というものは奥が深いのだなと思い知りました。岡本綺堂といえば今年2月に上演された「番町皿屋敷」も彼の作。あの時も、いまひとつ腑に落ちない印象を持ちましたが、今回も前回と同様に「?」と思うこともしばしば。岡本歌舞伎は、彼独特の美学があるようですし、この演目における不気味さ(特に蟹)は計り知れず、充分に堪能させてくれました。
実を言うと途中で芝翫が転んだりしないだろうなとハラハラしながら観ていた事も確か。芝翫の芸はまだまだ観せていただきたいと思っていますから。
惜しむらくは、今日も「掛け声」がかかるのですが、それが何とも一本調子な棒読みのような声。あんな掛け声なら発声しない方がよろしい、迷惑でしかないと言い切る。
「勧進帳」は、渡辺保さんの歌舞伎評と鶴澤八介さんの床本に当たってから望んだのですが、いやはや見事でありました。私は「勧進帳」は團十郎と海老蔵の醍醐寺薪歌舞伎をTVで観たことしかなかったのですが、それでも今回はいちおう二度目ということになりますから見所も把握しておりましたから、初見のときより余裕をもって楽しむことができました。弁慶は吉右衛門、富樫が富十郎です。私は富十郎が結構好きなのですが、今回は役的にはしっかり弁慶を立てていたようです。ここは渡辺さんの評でも言及していますね。
吉右衛門の弁慶に対してワキに徹して抑えに抑えているからである。それはもう出て来ての名乗りでわかる。今までの声の浪費と怒鳴り声と違って抑えて低いところは低く、高音部は張って、緊縮自在の円熟振り、これでこそ名調子といえる。
なるほど、富十郎の「怒鳴り声」も歌舞伎座においては捨てがたい魅力を持っていますが、今回の富樫には不要か、いずれにしても二人の作り上げた緊迫感は凄まじいものでした。
その上で今回の一番の見所といえば、渡辺さんの評とは少し異なりますが、私は弁慶が勧進帳を読み上げるまでの一連の所作でありました。弁慶がハッとばかりに巻物を読み上げようとするまさのその一瞬に、彼の心持が劇空間までもガラリと変化させてしまうかのような鮮やか印象を与えてくれました。
最後の「植木屋」は全く期待せず、寝不足だし一度会社に戻らなくちゃならないし帰ろうかなと思いつつ、痛くなりつつある尻と腰をだましながら観たのですが、いやいやどうして、これが滅法面白く、併せて「つっころばし」という役がかくの如しなのかと理解させてくれた劇でもありました。確かに渡辺さんの評にあるように、梅玉演ずる弥七が、色男の役ではあるものの、ちょっとした「間」に隙を感じたのも確か。でも、こういう劇は素直に楽しめる。今後に期待したいという気にさせてくれました。
本日のサンデープロジェクトは「自民圧勝」の後追い報道でしたが、blog::TIAOのエントリ「(49:51)+(51:49)=327:153 ……民意は何か」と、そこで引用されている「「小泉圧勝」?国民の半分は「反小泉」という事実」というエントリなどは、深く心に留めておくべきでしょう。
歌舞伎などにも深い見識を持たれている一閑堂のpontaさんもこの選挙では、小選挙区制度のすさまじさを実感することができた。
と「メイキング・ドラマ」というエントリで選挙を「総括」されています。民主党も党首が決定しましたし、したたかさに負けたなどと総括している場合ではないでしょう。
◇
昨日立ち読みをしていたら、最近のTVが面白くないことに対し「聴衆をバカにしていながら、聴衆に媚びる」番組つくりが最近のTV番組凋落の原因というような文がりました。(何の本だったかは失念、元NHKの人が書いたのだとか)
これは全てにおいて言えていることではないでしょうか。例えば歌舞伎においても、音楽・芸術においても、教育においても、マスコミにおいても、政治においてもです。
全ては「作り手」と「受けて」の相互の関係性が結果を生むのでしょう。
渡辺保氏の「歌舞伎 過剰なる記号の森」(筑摩書房)を読み始めましたが、「口上」と題された序文の中の一文が鋭く目を射ました。
古典劇としての歌舞伎には、それ自身のなかに伝統的でかつ不変の一つの美学があるように思える。しかし実はそうではないのである。(中略)そこにはむろん変わらないものもあるが、変わったものもある。変わらないものはその形式(たとえば女形)であり、変わったものはその内容(たとえば女形の芸風)である。(P.10)
この変化がどこからくるかといえば、(中略)私は時代の感覚が変わったからだと思う。(中略)その時代の感覚の変化の基本となったものは、私たち観客の感受性の変化でもある。役者とともに、役者と交錯しながら観客の美学というものが変わったのである。(P.11)
先に紹介した中野雄氏の「丸山眞男 音楽の対話」。丸山はカラヤンの振るベルリン・フィルをトスカニーニとNBCのヨーロッパ版
言い、「なんという絢爛としたむなしさ」(P.229)
という一言のもとに評しました。丸山が愛したフルトヴェングラーに象徴された音楽の時代が聴衆とともに変化したことを如実に表した一言です。
再度問う、いったい私たちは、何を観て何を聴いているのか、いや、何を守り何を求めているのかと。
フリードマン(経済学者、市場原理主義の教祖的存在、1976年ノーベル経済学賞受賞)的な自由主義とは、万人の自由というよりは、投資家や企業経営者たちの自由、つまり平たく言えば金持ちがさらなる金儲けに狂奔する自由を説くものにほかならない (P.204 5.キョーソーという名の民族宗教)
ロナルド・ドーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)特別研究員)は『日本型資本主義と市場主義の衝突 日独対アングロサクソン』のなかで、こんにちの「自由化」と言われているものは実は「英米化」にほかならず、それが求めているのは貧富の差を拡大すること、無慈悲な競争を強いること、社会の連帯意識を支えている強調のパターンを破壊することであり、その先に約束されているのは生活の質の劣化である、と述べている。(P.220)
政治体制とは、単なる政治上の問題ではない。どのような政体を選ぶかは、どのような生き方を選ぶかにつながるのである。(P.168 第二章 共和制ローマ 「ローマは一日にしてならず(上)」文庫版)
改革とは、かくも怖ろしいものなのである。失敗すれば、その民族の命取りになるのは当然だが、成功しても、その民族の性格を決し、それによってその民族の将来まで方向づけてしまうからである。軽率に考えてよいたぐいのものではない。(P.172 第二章 共和制ローマ 同上)
著者の中野雄氏は54年東京大学法学部にて丸山を師と仰ぎ、その後オーディオメーカーに入社、ケンウッド会長、常務取締役などを歴任、音楽プロデューサーや昭和音楽大学講師などもされている方と裏表紙の著者紹介にあります。そんな中野氏はもっぱら音楽談義を通じて丸山と半生を共にし、交流の中で得られた丸山氏の音楽観や思想の根底に流れるものを描き出しているのが本書です。
読んでいると、中野氏の丸山氏に対する深い敬愛と思慕の気持ちが溢れるばかりです。まさに彼の生涯のメンターの一人であったのだろうなと思われます。それ故に、本書に描かれる丸山氏の実像は、思想史家としての丸山眞男ではなく、まさに音楽に没頭し、音楽にまみれていることを至福とする、ひとりの音楽愛好家のいじましいまでの姿であります。しかしその姿は単なる愛好家というレベルを遥かに凌駕した洞察力を秘めており正鵠を射た批評には驚くばかりです。
この本には「丸山眞男」というものに代表される難解さは微塵もなく、読後の素直な感想としては「ベートーベンでも聴きなおしてみようかな」とか「丸山の本でも紐解いてみようかな」というものでありました。それほどまでに「音楽」に対する魅力と「丸山氏」に対する愛情が充満した本です。
丸山氏は日本の政治思想史において重要な足跡を残した思想家ですから、政治と音楽との関係について言及しないわけにはいきません。したがって本書では「第一部 ワーグナーの呪縛」「第二部 芸術と政治の狭間で-指揮者フルトヴェングラーの悲劇」として多くのページがナチスドイツ時代の音楽家や演奏に頁が割り当てられています(というかプロローグとエピローグ以外はこの二章しかない)。
フルトヴェングラーとドイツの関係については、Coffee Breakでも軽く引用しましたが、実存にまで関わる深い問題が横たわっています。第二章の最後にフルトヴェングラーの演奏がナチス・ドイツの支配下、しかも戦況不利な極限状態で「最良の姿」を見せた
ことについての二人の対話、
(中野)「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいたい何なんでしょう」
短い沈黙があった。丸山の言葉は、私の問いかけに対する答えではなかったような気もする。
(丸山)「人間の本質にかかわるテーマですね」
返って来たのはそのひと言であった。静かな、何かにじっと耐えているような丸山の口調であった。(p.234)
この部分は、本書の全てを言い表している部分かもしれません。いったい、私は丸山氏が聴いたものと<同じ><音>を、同じ<音楽>を聴いているのだろうかと、自問せずにはいられませんでした。
今日も暑かった。9月中旬というのに34度にもなることなど、北海道育ちの人間には容易に受け入れがたい事実だ。9月中旬といえば内陸部では霜が降り、ナナカマドも一気に赤くなってゆく時期である。季節の変わりようは一日ごとに劇的でさえある。移ろいの速さには悲しみさえ覚える程だ。こうして考えると気候風土が人間精神に及ぼす影響は浅くはないと思う。
「丸山眞男 音楽の対話」の中で、フルトヴェングラーがナチス時代も(トスカニーニ達のように)ドイツを亡命しなかったことに対し
彼は頭の天辺から足の先までドイツ人だったから。彼の音楽観の根本に関わる問題 (P.193)
ドイツという国をドイツたらしめているものは何か、ナチの言うように人種なんかじゃない。武力でもない。文化だ。世界に誇ることのできる『ドイツ文化』だ。これが彼(フルトヴェングラー)の考え方です (P.201)
と丸山の言葉を紹介している。分かっているようで改めて書かれると考えてしまう。「日本を日本たらしめているもの」「北海道を・・・」あるいは「東京を・・・」それは「何」なのか、最後に残るコアなものとは何なのか・・・
本日(もう昨日か)の衆議院選挙自民圧勝に対し私は何も言うことができない。結局、住民票のある投票区に帰ることができなかったのである。ギリギリまで帰るつもりでいたから(選挙以外にも帰りたい理由があった)不在者投票の手続きも行っておらず、結果としていつものごとく段取りの悪さから、ささやかなる政治参加の機会を逸し、くだらない仕事に休日も忙殺されていたというわけである。
帰るのが難しいと告げたとき家人曰く、「無理して帰ってきても一票なんだし・・・」。それはそれで正しい。しかし、実はそれはその一票を投票することでしか直接的な政治参加表明ができないのであるから、個人にとっては「した」か「しなかった」かというグレーのありえない徹底的な差異である点で間違っている。
だから自民圧勝に対しても、刺客たちの当選に対しても、彼らを選んだ多数に対しても、残念だった民主党に対しても私は意見を言うことができない。古館氏の司会する番組の裏で、筑紫さんと久米氏が席を並べている番組の愚劣さなどについても書くことができない。というか、何かを書く以前に、疲れきった昨日の私の身体は22時以降まで覚醒していることを許してはくれなかった。
「丸山眞男 音楽の対話」(中野雄 著、文春新書)を読み始める(つーか、あと少し)。丸山の膨大な著作群に接することなく中年になるまで生きてきてしまったが、音楽に対する彼の指摘がいちいちツボを抑えている点に驚いている。私と音楽の好みが一緒であるかはさておき、音楽に対する接し方、探求の仕方、愛情には脱帽するのみ。ただ中野氏の文章はイマイチ、というかイマ五くらい・・・、本書をしたためた気持ちはわかるのだが。私は「丸山氏の音楽に対する愛情」は読みたいが、「中野氏の丸山氏に対する愛情」には残念ながら興味はないということだ。
考えてみれば丸山を知る人が丸山の音楽観を確認すべく書かれた本なのだから、おそらくは中野氏の丸山に対する敬意や愛情は、丸山を知ってこの本を手にする人にとっては共有できる感情なのだろう。
したがって丸山を知らない無学な私にとっても、中野氏の文章を通じて丸山の思想の片鱗に触れたいという気持ちが(すこーしだけ)起きた点で、結果的には中野氏のスタンスは正しかったと言える。(>何言いてーんだ?)
土曜日、全然仕事が間に合わないので出勤。昨日の会議で、思い余って他部の課長にかなり強い口調で詰問および指示。それがすぐに彼の部長に伝わり、本日は彼の部内にて部長と次長の「喧嘩売るなら買うぞ」から始まる打ち合わせ。こちらもこういう展開になるとビビりながらもワクワク。その後延々と3時間近く額を付き合わせて内容確認。まあ、とりあえずは方向性を定める。それにしても、もう少し柔らかくコトを運ばねばならないな、とはいつものことながら反省。私の腹立ちは彼や部長にではなく会社のシステムそのものにあるのだが・・・てことで相変わらず瑣末的で冴えない生活が続いている。
iTunesがあると音楽の聴き方が全く変わってしまうことに気付く。今もPCに向かいながらクライバーの「椿姫」を第2幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱から聴き始めたが、あまりの音楽の美しさに涙してしまう。そのすぐ後にベーム指揮のコジ第1幕'Soave sia il vento’の天国的な美しさに浸り、デスピーナの小悪魔に苦笑した後、アシュケナージ弾くラフマニノフのEtudes-tableaux, op. 33を聴いたり・・・もう支離滅裂。
Gパンの右ポケットに使い道不明な小さなポケットがついているが、あれはiPod nanoを入れるためのものだったとは、なんとも秀逸なジョーク。
1月に来日してソロリサイタルを開催する予定の、今や押しも押されぬソプラノ歌手アンジェラ・ゲオルギューのプッチーニ・アリア集。以前から気になっていたのですが、仕事も切羽詰まっており難しいことは考えたくないので、こういうアリアでもバーッと聴きながら気分転換を図るのも良いかもしれません。
��月から他部署より転勤してきた彼、前任者から業務を引き継ぎ、訳の分からないままディープな会議に巻き込まれ上司から罵倒されまくっている。会議終了後「言ってること、やっていることが理解できん! 絶対にオカシイ!」とブツブツ。
彼をなだめながらも、ああ、そうだったよなと、君は正しい。私もココに来た当初は、意思決定者のあまりな理不尽さと理屈を越えた(理解不能の)論理、位相的に捩れた組織と業界の放つ悪臭に辟易としたものだ。改めて考えれば何も状況は変わっていない、変わったのはそういうバカバカしさに慣れ、批判の矢をかわす処世術を身に付けた惰弱な自分である。サラリーマンとしては必要な資質だが、ビジネスマンたるには排除すべきものである。
このブログにもためしにTab Cloudを実装してみた。Tab Cloudについは詳述しないが、要はエントリをキーワードをもとにしてリスト化する機能であるらしい。エントリをカテゴリ分けするより自由度が高いようだ。もっともこんなブログにタブを設定したところで便利だと思うのは書いた本人くらいなもの。カレンダーも書いた本人が便利だということで、このページにも実装してしまった。畢竟ブログは過剰なる自意識による自己偏愛と自己満足の所産でしかないと再認識、つまらん。
土曜日である。休日なのだが仕事も気になる。しかし、天気が良いので仕事するのもバカらしい。ということで散歩がてらに会社に行くこととした。
取ったコースは原宿から都心の職場まで。表参道やら裏の脇道をブラブラ往復。明治通りと表参道にはさまれた地区、すなわち神宮前5丁目あたりは、閑静な中に面白そうな店が点在していたり連なっていたり、歩いているだけで飽きない。あっという間に姿を変えてしまう都市の姿がそこにはある。変化が激しすぎるという批判もあると思うが、地方都市にはありえないエネルギーや貪欲さを感じるのも確か。
銀座ともちょっと違った雰囲気で高級ブランド通りへと変身を遂げつつある表参道では、その筋で話題の安藤忠雄の建築がほぼ全貌を現していた。GUCCIやLVの豪奢な建物にも慣れてきたが、今の若者のようにTシャツにジーンズ姿で気軽に入る気はしない。
246を抜けるとおととし話題をかっさらったPRADAの向かいに、更に奇怪な形のヴェロックスが完成間近だ。こうしてみると、いったいどうやって造ったのだろうと疑問が沸いてくる。ヴェロックスではここ御幸通りとともに、明治通りでも店舗を建設中だという。どちらも日本人には思いも付かないデザインだ。
ここまで来て、そういえばと思い出し原宿駅近くまで戻り太田記念美術館で北斎を観る。一服の清涼剤というか別世界だなここは。
再びあちらこちらでグラビア撮影が行われている人だらけの表参道を抜け、根津美術館のあたりを北東に曲がると青山霊園である。ここら当たりは話題のショップもほとんどないため、人通りも交通量も極端に少ない。青山陸橋では暇を潰すタクシーが行列である。お盆も過ぎた墓地には蝉時雨が降り注ぐ、暑苦しいアブラ蝉に混じってツクツクホーシも鳴いている。夏も終わりだなあとしみじみ。蝉時雨をBGMに青空にギラギラと聳え立つ六本木ヒルズは一種独特、異様な光景だ。蝉時雨以外の静寂さが一層隔絶感を際立たせる。
乃木坂トンネルを越えた当たりから、六本木の巨大開発を目の当たりにすることになる。一つはナショナルギャラリー、もうひとつは防衛庁跡地の東京ミッドタウンである。ナショナルギャラリーはほぼ建物は完成の様子、一方の東京ミッドタウンはまさに鉄骨ムキ出しで建設の真っ最中。その大きさには改めて驚きの念を隠せない。
未だ激変しつつある東京の片鱗に触れながら職場にたどり着いたら、はっきり言って疲れきっておりました・・・
太田記念美術館は表参道の裏手に位置していますが、美術館に入った瞬間に外の喧騒が遠い世界のような静かな空間が現出します。
大々的に宣伝しているわけでもありませんから来館者も少なく、ゆっくりと北斎を鑑賞できる至福の時を味わうことができました。
それにしても、改めて北斎の画を見るにつけ、何たる天才性であろうかと驚くばかり。また、その画に対する執念に近い凄まじい気迫まで感じ、まったくもって恐れ入ってしまいました。美術館サイトによりますと「冨嶽三十六景」は天保二年(1831年)頃に出版されたそうで、北斎60歳後半から70歳前半にかけての作品とのこと。それほどの老境にいながら、精力的に写実を試みた北斎の類稀な画境は冨嶽三十六景と併せて展示されている諸作品群からも窺い知る事ができました。
天保五年「冨嶽百景」初編において北斎は自らを「画狂老人卍」の号を用いました。その号には死ぬまで飽くなき追求をする気迫を込めているようです。習作に近いスケッチなども展示されていますが、その表現は自在で写実的意味合いにおいては日本的な様式を持ちながらも、すでに空間や空気までをも表現するリアリティを獲得しており圧巻といえましょう。
世界に目を転じればまさに西欧では印象派が花開きはじめる前の時代。まさに西欧が瞠目した浮世絵の世界は最盛期を迎えていたのですな。
金曜日19時半、何気に会社の隣席の同僚が「最近の部長の××に対する思い込みは、ちょっと異常なくらいに強すぎるよな・・・」という、つぶやきとも、ぼやきともつかない発言から始まった会話。
問題の××に関する話題から部署のありよう、幹部のスタンス、他社との比較、組織改変、社員のキャリアデザイン、会社のありよう、などカイシャにまつわる様々な話題を互いに昔作ったり稟審した資料まで引っ張り出しながら、延々と6時間近く話し続けた。
その間、食事もとらないどころか、一滴の酒や煙草、いや水やお茶さえも口にせずですよ・・・、今の旬の世間の話題は衆議院選挙かニューオリンズか菊治が冬香を殺したことだろうに(>違うって・・・)
9月2日です。日本が東京湾上のミズリー号で降伏文書に調印した日であり、真の意味での「敗戦記念日」です。
果たして私を含め日本人の多くはは、アジアに対する戦争責任とか以前に、ポートモレスビー、ミッドウェー、ガダルカナル、ラバウル、トラック島、インパール、レイテ島などの激戦地を地図上で正しく示すことができるだろうかと改めて思いました。知らないとしたならば、それほどに日本近代の歴史について無知でありすぎるのだと。
この書には、日本が戦争をせざるを得ない状況に追い込まれた時代の雰囲気、軍部(軍部とは何かについても「第一章 旧日本軍のメカニズム」として記述をしている)の暴走から敗戦になだれ込むまでの経緯が、天皇や当時の人たちの話しをまじえながら淡々と描かれています。その意味から、「大人のための歴史教科書」という副題はあながち誇称ではないと思います。
本書は「歴史教科書」とうたわれていますが、いわゆる自虐史観云々から声高に侵略の歴史を正当化するようなものではありません(戦後の「反戦、平和主義」にも「新しい歴史教科書」派のどちらにも批判的)。ひとえに、
あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために三一〇万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない(「はじめに」P.9)
というのが主旨です。私が日本近代史に疑問に思い続けていることを、そのまま文章にしてくれたような本でありました。ではなぜ私が近代日本史に疑問を持ち続けているかといえば、おそらく戦争に至った日本のありようは、今も継続しているのではないかと感じているからです。それは現代のプチ右傾化の政治風土というようなものではなく、もっと深く日本の組織風土、会社風土にまで根付いたもののように思えるときがあるからです。
はからずも著者は「あとがき」で次のように記述しています。
あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。(中略)その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか(「あとがき」P.240 太字は本文では傍点)
たとえばターニングポイントとなった時期の状況について、
危機に陥ったときこそもっとも必要なものは、対局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた。大局を見ることができた人材は、すでに「ニ・ニ六事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は日露戦争を描き、広く国民に明るい近代史とナショナリズムを植え付けた意味で画期的な本でした。しかし司馬は日露戦争の日本を描きながら、暗に昭和の日本を照射していました。明らかに明治の陸軍と昭和の陸軍は別物であったという認識です。
保坂氏も陸軍や東條の無能さを指摘してはいます。しかし常識であった「陸軍の暴走」に対し、太平洋戦争開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍(「第ニ章 開戦に至るまでのターニングポイント」P.92)
は意外な視点でした。真珠湾はアメリカに仕組まれたものであったとの説もありますが(保坂氏はそのスタンスに立たず)、日本の石油備蓄量と続くABCD包囲網は、海軍が仕組んだ結果であったとは・・・! もっとも保坂氏は戦争の責任を陸軍や海軍にのみ転嫁せず、当時の思考麻痺に陥ったマスコミを始めとする日本の状況にも言及しています。
また、当時の天皇のスタンスについてもかなり言及されており、保坂氏の資料が正しければ天皇は最後の本土決戦回避に向け非常に重要な役割を果たしたことが伺えます。
歴史事実や歴史認識に「客観的事実」は存在しないとは思うものの、歴史を正視する努力は怠ってはならないはずです。かようにこの本は、「戦争に対する説明責任」「日本を滅ぼそうとした政策に対する責任」、さらには現在の日本人の姿までを考えさせる良書であると言えましょう。(って私が推薦したところで、どうなるものでもないが)
太平洋戦争で将棋のコマのように犬死させられた無名の日本兵士たち、その無名の兵士たちに殺されたであろうアジアやアメリカを含む多くの方々に心よりご冥福をお祈りする次第です。
衆議院選挙が公示されいよいよ舌戦も暑くなってきた。夏は確実に終わりつつあるが暑いところはまだ暑い。
以前仕事で付き合っていた知人から久し振りにメールが来た。彼の会社は春に会社更生法が適用され、その後外資が支援すると発表されていた。会ってハナシを聞いてみると給料は大幅カット、会社は「10年で上場させる」という方針らしく、これでは先が見えず不安なので同業他社に転職をすることにしたと。幸い彼はすぐに大手から内定を貰う幸運に巡り合えた。果たしてこの場合「おめでとう」と言うべきか・・・とりあえずは、よかったなと。
小泉首相の進める改革。痛みの中で良い方向に脱皮できる人は幸せである。経済的には「淘汰」「再編」とくくられるできごと。いまの私とて10年後どころか5年スパンで見ても先が透明なわけではない。この年になって「先が漠然と不安」というのは確かにやりきれないが、社会環境や経営責任のせいにする年齢でもなくなってきた。
病院の待合室でファッションやライフスタイル関連の月間誌をパラパラ眺めるにつけ、一体どこの世界のできごとかと思うような話題ばかり、やっぱり日本は変質しつつあるのかなと、ぼんやり思う。
ハリケーンで略奪激化 米南部、貧困層に不満
超大型ハリケーン「カトリーナ」上陸に伴い、約48万人の市民の大半が市外に脱出した米南部ルイジアナ州ニューオーリンズで、市内に残った住民による略奪や自動車の襲撃などが激化、地元警察などが警戒を強めている。(8/31)
スピルバーグの映画「宇宙戦争」でも、トム・クルーズの前妻は安全な場所に早々に避難していた。アメリカのような日本なって欲しいと思わないが、そういう将来の方向性まで今回の選挙が背負っているのかは判断がつかない。競争社会ということは上のような帰結でもあるのだから。
あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 新潮新書 (125)
保阪 正康 (著)を読む。感想は表にそのうち・・・。早い人なら1~2時間で読んでしまうだろうが、内容は示唆に富む。批判も多い気もするが・・・
Classicaの話題、スローライフって最近良く耳にするが、単に「仕事したくない、楽したい」て欲求なんぢゃないか。スローライフを満喫できるのは富裕層の中の一部と貧困層の中の一部だけだろうに、現状では。
そういえばレクサスも昨日全国展開ですか、富裕層向けって堂々と日本でも言い始めましたね。米国でも新富裕層をターゲットにしたビジネスが盛んだと数年前のHBRに論文があったよな。
でも「年収300万円で生きる」とか沢山お金持ってる評論家が言うけど、誰も彼らのことを「貧困層」とは言わないのはなぜだ?
gooのブログ検索すると、拙サイトが文字化けして表示される。原因をgooに問い合わせた。誠意ある回答は二度も来ているが原因はつかめていない。