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2006年10月23日月曜日

浮世絵展とかタワー展とか

所用で両国に行ったついでに、江戸東京博物館で開催されているボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵展を観てきた

初日の日曜日であったが、混み方はそこそこ。最初こそ団体客やらオバチャンたちがペチャクチャおしゃべりしながら一枚一枚鑑賞しているので列は遅々として進まなかったが、急ぐこともあるまいと流れに乗ってのんびり鑑賞。気付くと回りの人ごみは逸散しており悠々と浮世絵を鑑賞できた。どうやら団体客やらオバチャンらは疲れて、どこかにいってしまったようだ。ゆっくり観たおかげで2時間以上かかったが・・・。

ボストン美術館の日本作品の所蔵量の多さには驚くばかり。これらの浮世絵は明治時代に来日したアメリカ人医師が買い集め美術館に寄付したものらしい。その数があまりにも膨大なため、作品の調査は進まずというくらいだから、二束三文で買い集めたのだろう。おかげで震災や空襲をまぬかれて現存しているということなのだろうか。

それにしても、江戸は、いや日本は変わってしまった、という思いを強くする。ついでに常設展も観たが、結構楽しめた。東京の地層の下には、戦災の焼け跡も、震災の瓦礫も埋まっているという標本を、不思議な思いでしばし眺めた。展示数が多すぎて、思わず荒木経惟の「東京人生」を見逃してしまったのは痛いっ!

本日はK図書館に行って、東京の古地図やら江戸の名残関連本をウダウダと眺める。中で持田晃氏の「東京いつか見た街角」という写真集が目に止まる。これは戦後から昭和40年代頃の東京のスナップ写真。持田氏はプロの写真家ではない。14歳の時から写真をはじめ、撮りためたものを出版したものである。写真を観ると改めて東京の激変ぶりに驚く。いや変わったのは都市や風景だけではない。日本人の「顔」も本当に変わった。

何時の時代が一番幸せであったかなんて誰も分からない。今しか現存しないのだから。その今を最良のものにするしか次世代はない。

話題になった「ALWAYS 三丁目の夕日」は残念ながら見ていないが、あの映画も東京タワーがまさに建設中の昭和30年代の東京を舞台にしていた。まだどこにも高い建物がない中に屹立してゆくタワーは極めて象徴的だ。

昭和30年代にノスタルジーを感じる人は多い。それは団塊の世代ばかりではなく、現代の若者にも共感を呼ぶ何かがあるらしい。


東京タワーと言えば、先週は銀座に出たついでに、銀座INAXギャラリーで開催されている「タワー -内藤多仲と三塔物語- 展」(無料)を観てきた。三塔というのは東京タワー、名古屋タワー、通天閣のことである。塔に耐震設計という考え方を持ち込んだ内藤は「塔博士」と呼ばれた。

塔には電波を発信するという実利的な意義があるが、高い塔を、それも昭和30年代前半にそれを造るということには、実利的な意味以上のものがあったハズだ。東京タワーの姿を「優美」と表現する美意識を私は持ち合わせていないが、その姿から独特の温かみと懐かしさを感じることは否定できない。これもノスタルジーなのか。だとするとノスタルジーの本質とは何なのか。