2008年10月1日水曜日

ランニング12日目

10月だというのに、ずいぶんと寒くなってきました。朝のランニングウェアも半袖短パンというわけにはいかなくなってきました。うるさいくらいに聞こえていた蝉の声も、さすがにもう途絶えました。

先週は結構膝が痛かったので、今日は再びウォーキング程度に留めることとに。それでも目標は10km80分走。JH公園外周を数周回ることで約10kmを確保できます。時間を計りながら、途中の路面表示でペースを確認しつつ走ります。

調子が良いので10kmの後、400mトラックを5周ほどして再度ペースを確認。おおよそ1km7.5分程度のペースで走っているようです。このまま膝の調子がよければ1km7分まではペースを軽く上げられそうです。

つくづくフル・マラソンを完走できる人って、すごいなあと思います。今のままでは歩いたって完走なんてできやしません。

2008年9月22日月曜日

ランニングのおとも モートン・フェルドマン


ランニングは孤独にして、ある意味単調な運動です。やっぱりiPodなどによる音楽が欠かせません。

今日の音楽は、Morton FeldmanのPiano&String Quartetです。演奏は高橋あきとKronos Quartet 。

実はこれITSで150円で買った曲です。演奏時間は一曲で1時間20分もあります。Appleで値付けを間違っていのでしょう。これを「お得」と考えるかは音楽的趣味によります。

M・フェルドマン(1926~1987)は図形楽譜の発案者として知られています。まともに聴いたことのある人は、よほどの音楽マニアでしょうか、あるいは音楽通としては普通なのでしょうか。1時間20分もの間、静謐かつ全く盛り上がりのない音楽(これが?)が延々と続きます。

ミニマル・ミュージックとはまた違う。フェルドマンの音楽の静寂さは武満のそれとも違う。単調な繰り返しに、何を聴くかはその人によるのでしょう。

しかし、私とて、この曲を演奏会場で聴いたら、怒るか、爆睡かしか選択はありえない。走りながらとかでしか、このような曲とは親しくなれない。

とはいうものの・・・。この音楽の持つ静寂さ、緊張感、イノセントさ・・・。ふとした拍子にまた聴いている自分がいる。静寂さの秘める緊張感と永続性、氷のような美しさ。退屈と相反する魅力。

聴いてすぐに止めるか、繰り返し聴くか、はたまた走りながら聴くか(笑)。聴くものの忍耐と精神状態と音楽的経験、そして美意識が試されるような音楽です。








ランニング11日目

そろそろランニング・ネタも尽きてきました。ランニングっていったって、週一度のペースです。しかも早歩き程度のスピード。ということで、今日は軽く1kmをアップした後に、400mトラックで無理のないスピードで走ってみることにしました。

早歩きから、少しだけ歩調を速めたというカンジ。ストップウォッチでタイムも計測してみます。すると1km6.5分というペース。このスピードだと息は全く上がらずに快調! と思われたのですが、またしても4km走った段階で膝に痛みがっ!!

無理はできませんから、まだまだ精神的にも肉体的にもイケる思いはあるものの中断。5km程度しか走らないと、なんだか運動した気がしなくて、ちょっと欲求不満です。

いえいえ、それよりも膝が痛まないような対策こそすべきかなと。


2008年9月14日日曜日

ランニング10日目

晴れている日曜日の朝は、軽くランニングすることが習慣化したようです。走るのは早朝と決めていますので、前日も体調を整えるため夜更かしや深酒はしません。走り始めると、気分的にも肉体的にもポジティブになります。そこが一番のメリットでしょうか。

どうやら長く続けられる運動のようですから無理は禁物です。今日も膝が痛くならないように気をつけながら、10km80分走を目指しました。前回も書いたように、このスピードでは「走る」必要はありません。全く快調で、10kmを走り終えた後400mトラックを軽くスピードアップして走り、フィニッシュとしました。

1km7.5~8分のスピード感というのはだいたい掴めました。次は、距離を少し短くして1km6.5~7.5分走を目指してみようと考えています。膝が持てばよいのですけどね。


2008年9月7日日曜日

ランニング9日目

走り始めると膝が痛くなるのは「過負荷」であるとの認識から、今日はムリのないスピードで長時間を目標にトライ。具体的には1km8分程度のスピードで10km走ることが目標です。

やってみるとわかりますが、1km8分というのは「走る」というより「早歩き」に近い。歩幅を広くして積極的に歩くだけでこのスピードは簡単に出ます。ただ走るのと使っている筋肉が若干違っているようで「余程走った方が楽かも」という気もします。

このペースで歩きますと、走るよりも膝にかかる負担は激減、腸脛靭帯も痛まない。息が上がることも全くありません。とはいっても脈拍数はあるレベルを維持していますから、低レベルでの有酸素運動にはなっているのだと思います。ただランニング的にはどうなんでしょう、心肺機能の向上は見込めませんね。とりあえず「長時間止まらずに動く」ことを体が覚えるということでしょうか。

2008年9月3日水曜日

東京中央郵便局 解体前の姿

丸の内の東京中央郵便局は、来年の解体が決まっています。

東京駅前に面して大きな面積を持った建物ですが、再開発されて超高ビルに生まれ変わるそうです。



建物は1933年(昭和8年)にできたもので、設計は吉田鉄郎です。

この建物の一部を保存するのだそうです。

東京駅でも保存復原工事が、また三菱一号館などの復元工事が進んでいます。

自らが壊したものを、保存したり復元したりと、側から見ると節操がありません。

せめてもの罪滅ぼしの気持ちなんでしょうか。

外壁は多少汚れたタイルで決して美しいとは見えません。







丸の内がどんどん再開発されていく中にあって、歴史的な価値はあるのかもしれませんが、東京都民的には残すべき価値のある建物かと問われると、多少疑問です。



2008年9月1日月曜日

[立ち読み]「残業ゼロ」の仕事力、人生力


新聞広告などで大きく宣伝されていましたので、ざっと二冊を読んでみました。もっとも、立ち読み、それも2冊合わせて30分程度です、はずしていたらごめんなさい。


『仕事力』の方はタイトルの通り残業することがいかにムダであるのかを、諸外国のデータや著者の経験に基づいて力説しています。『人生力』は、前著の蒸し返しの部分が多いので、読むなら『人生力』だけでも良いかもしれません。


本書は、残業を続けることが仕事後の人生(著者はそれを「本生」と称しています)をスポイルすることになるという、著者の最も基本的な人生に関するスタンスを強調しています。


著者の「所詮仕事はゲーム、人生に必要なお金をかせぐためのもの」「楽しみは仕事がおわってから」というスタンスに違和感を覚える読者も多いようです。しかし、本質はそこになないと思います。著者だって仕事を人生の一部と考えて「楽しんで」いることは十分に伝わりますから。


私の場合、一番印象的だったのは、以下の式です。


��4時間-(睡眠時間)=(仕事の時間)


仕事の時間には通勤時間も含まれます。これでは自分の時間が残らないのだと。著者は最低でも3時間は毎日自分の時間をつくれ、家族と会話しろと説きます。まず自分に投資しろということです。すなわち、


��4時間-(自分への投資時間)-(睡眠時間)=(仕事の時間)


ということです。「自分への投資」には自己啓発もありましょうし、家族との時間も含まれます。著者は仕事関係のパーティーなどには出席しても、「どんなに親しい人とも二次会は行かない」と書いています。「睡眠時間」も確保すべきリソースなわけです。


自分のリソースさえ計画配分できない輩が、企業利益を叩き出せるわけなどないのかもしれません。残業ゼロの発想とは、人生の生産性を上げ、よりよく生きていく上での不可欠なものと痛感する次第です。


その他、著者の個々の「アイデア」については、実践していることも多く、それほど感銘は受けません。そんなの当たり前だよなといったところ。


いずれにしても定年前後に配偶者から別居願い、離婚届けなど突きつけられないようにすることは、「24時間仕事人間」にとっては痛切な問題でしょう(><)。

2008年8月30日土曜日

展覧会:コロー展~光と追憶の変奏曲


国立西洋美術館で開催されている「コロー展」を観てきました。コローは美術部であった高校時代に好きであった画家の一人。その頃は、独特の水辺の風景画に惹かれていました。今回の展覧会は、コローとしては大規模のもので、しかも彼が優れた人物画家であったことも示す企画になっています。




パンフや半券になっている絵は「コローのモナリザ」と称されている作品。これと「青い服の婦人」が今回の展覧会の目玉になっています。扱いとしては、こちらの方がコローとして有名な「モルトフォンテーヌの想い出」などよりも重い扱いです。


コローの作品の魅力は、静謐さ、建築や人物造形上の揺るぎのない構築力、それと相反するかのような樹木の表現の叙情性にあります。展覧会の副題が「光と追憶の変奏曲」とあるように、コローの絵には彼にしか表現できない詩情が漂っています。


印象派のような軽さや鮮やかさは認められないものの、コローが印象派に先駆けた「眼の作家」であったことは否定できません。彼の作品からは、ひたすらに風景や人物がもつ外的美しさと憧憬と愛情が感じられます。


批判的に観ればば、人物表現については内面性までを感じさせるものではありません。風景表現においても大規模な神話的絵画においてはイメージと技術の硬直を感じます。展覧会という場で多くのコロー作品に多く接した場合、多少の退屈を感じることも否定できません。


それであっても、私にとって、コローはかけがえのない作家の一人であることに変わりはなく、この企画に接することが出来た僥倖を素直に喜びたいと思います。


2008年8月24日日曜日

ランニング8日目

相変わらずに走ると腸脛靭帯が痛みます。

40分程度走って、今日のところはムリをすることは止めました。

ストレッチ、バンデリン、アイシング+休養。走るのは朝6時半から。帰って二度寝するのが慣習化してきました・・・、これでは早起きした意味がありませんね(><)

2008年8月18日月曜日

特別展「対決-巨匠たちの日本美術」


東京国立博物館で開催されている、「対決巨匠展」を観て来ました。人気です。朝9時半会場ですが、既に大人数が並んでいます。確かに見ごたえがあります。「対決」というキャッチと企画は成功しているようです。

美術作品を選ぶのも並べるのも企画(演出)が勝負なのでしょうか、今まで見慣れた作品でも、対比、流れの中で観ると、全然違った背景が見えてくる場合があります。そこに企画(演出)者の意図の押し付けのようなものを感じることしても、我々とてイノセントな眼は持っていないのですから、企画を楽しむのが正解なのだと思います。対決に対する批判をも含めて。

展示作品は膨大で、そのひとつひとつを述べることはできません。詳細はいつものことながら、弐代目・青い日記帳のエントリに譲りましょう。

印象的であったのは、それでも、か、やはり、というのか、展示作品冒頭の運慶と快慶の仏像と伊藤若冲の鶏画は圧巻でしたね。仏像の存在する空間さえ支配するごとき静謐さ、若冲は画面の痛みもなくその鮮やかさときたら驚くほかありません。

こうして日本画を観ていますと、どの時代の作品においても日本画というのは、技術的には大胆さと繊細さが、空間的には対象と間の絶妙のバランスで成立しているようです。若冲の作品にも背景としての場あるいは間というものが存在しています。その意味から蕭白の作品は、異常なまでのエネルギー、執着を感じる異様な作品として感じました。あのエネルギーを受け止めるパワーは私にはありません。

2008年8月17日日曜日

ランニング7日目 腸脛靭帯炎

本日は60分走が目標。ランニングコースもJH公園大外廻へと変更しました。

楽勝ペースで走ったつもりなのですが、またしても左膝が痛みはじめます。途中でストレッチとウォーキングを取り入れながら何とか60分走を達成。少し心配なので、帰ってからインターネットで調べてみると、腸脛靭帯炎、通称ランナー膝という典型的な運動障害に症状が近い。

ムリを重ねると日常生活にも支障を来たすとのこと。原因はストレッチ不足、アライメントの狂い、過負荷などさまざま。対応はストレッチとアイシングなどなど。

確かに準備運動は不足であったし、今までほとんど運動していなかったのに、昔走れたからと年齢不相応の過負荷であったかと反省。1週間ごとに負荷をあげていきましたから。ウィークデーは全く走っていないのにです。

ということで、バンデリン付けてアイスノンで冷やして、気楽に昼寝することとしました。あ~、ランニングの後の二度寝くらい幸せなものは、ありまへん。






2008年8月10日日曜日

ランニング6日目

本日は40分走を目指します、スピードはごく遅く。楽勝かと思われたのですが、ほぼ40分に達そうとした頃から左膝が痛み出しました。走り方がまずいのでしょうか・・・。

無理はいけないと思い軽くストレッチして後はウォーキングに変更。ちょっと冴えません。

2008年8月7日木曜日

万年筆のこと

以前、万年筆のことを書きましたが、現在常用しているペンとインクは購入順に以下の3本です。
  • アウロラ:スターリング・シルバー(M)~アウロラ ブルー・・・書斎館(青山本店)
  • ペリカン:M400(F)~ウォーターマン ブルー・ブラック・・・金ペン堂(細字調整)
  • ペリカン:M300(2B)~ウォーターマン グリーン・・・丸善本店
アウロラは書斎館で購入したもの。書斎館のことは以前ちょっと書きましたね。ペン先は固く重量感もあり結構気に入っています。

万年筆愛好家では有名な神田の金ペン堂の古谷さんが入院されたことは、「万年筆が好きである」で知っていました。現在は奥さんと息子さんが店頭に立っています。M400は奥さんが店頭にいるときに購入しました。細字万年筆を求めて都内の万年筆コーナーを巡りめぐって、最後に金ペン堂にたどり着きました。試し書きさせてもらったところ(>買うことがもはや前提)、今までにない細さに即決でした。

M300は太字でと考えましたのでフルハルターにも脚を伸ばしてみました。森山さんが調整したものをと思ったのですが、調整万年筆の「リスク」を懇々と説明され今回(>今回?)は諦めてしまいました。M300のくせに2Bニブというのが少し異常でしょうか。Yシャツのポケットにいつも差しておいて、エスキスとか原稿の訂正指示を太字でグイグイと書きたいという欲求から購入したもの。結局、丸善本店に三度ほど通って購入となりました。

万年筆を使わない人には「酔狂」としか思えないでしょう。金ペン堂の奥さんが「万年筆を買うと、一本では済まなくなるんですっ!」と説明されていたことを思い出しました。

金ペン堂やフルハルターの様子は、閑があれば、そのうち書いておきましょう。

2008年8月4日月曜日

ランニング5日目

ランニング関連の月刊誌(→Courir)を書店でめくってみますと、「ランナー仕様の「細い脚」になる!」「この秋、フルマラソンに挑戦する初心者ランナーに贈る」みたいなキャッチが多いことに気づきます。雑誌のターゲットは「ビギナー」「女性」としているのでしょうか。

「3ヶ月で10km走る」みたいな特集には、「スピードは1km 8分から、できれば5~6分くらいまでに」との記述。とにかく最初はゆっくりと走る(歩く)ことが基本のようです。

今日は40分連続走を目標にしました。日中は36度くらいになるとの天気予報です。朝6時台でも日差しが暑く、結構バテます。それでも何とか40分走はクリア。

ランニングを終え自動販売機で買うスポーツドリンクを飲むときが、なんとも幸せな瞬間です。

多少膝が痛かったりしますから、矯正が必要な点があるようですが、次はしっかり距離を把握しながら40~1時間走または10km走が目標でしょうかね。



2008年7月30日水曜日

趣味の文具箱(7/31追記あり)


いつも楽しく読んでいる「さんてんり~だ」で紹介されていた『エイ出版 趣味の文具箱 vol.11 』に関する以下のエントリ。
色んな意味でユーザーフレンドリーな部分(目線であったり、構成であったり)が、商用誌としてぎりぎりのラインに来ているような気がします。もうあと数センチ行き過ぎたら取り返しのつかない感じ…
世間の「流れや熱さ」や、世間に流通している情報量が、作り手の感覚とちょーっとずつ微妙に、ズレはじめてそうな危うさ…今は消えていったPC/unix系の雑誌の「全盛期ちょい過ぎ」と同じ匂い
手にとって読んではいないものの*1)、なんと的確な指摘かと鋭く納得。

同様のことがPalm系マガジンとか、プログラミング言語系マガジンなどで生じたことが思い起こされます。記事が「読者より」になればなるほど、エンスー*2)には更に歓迎されるものの一般的な読者(あるいはユーザー)からは乖離していくということなのでしょうか。

どういう方が熱心な読者なのかは、例えばコチラ(→★ちゃんねるDays★)とか・・・。

追記:書店でパラパラ閲覧してみました。
  1. 「各インクのpH度・粘度などの分析表」などというマイナーな記事。すばらしい試験結果を美しいプロット図にしたページには感嘆。思わず自分の使っているインクを探してみました・・・。フムフム、粘度が小さいから裏写りしやすいのかと納得。悪名高い某社のブラックは・・・やはり。
    「コンバータ・カートリッジ・吸入式にそれぞれ入る容量一覧」もマジマジ。ペリカンのM400~M1000までは、実は同じ吸入器を使っている、M300のみ他のラインナップとは別の小さな吸入器を使っている(だから値段がM400とM300は同じ→丸善本店の店員の解説)と理解していたのですが結果は微妙。製品と測定誤差かな、測定数と偏差くらい出せよとか思ったり・・・。
    あと新宿になんともすばらしい萬年筆ショップができているぢゃない!これは行かねばっ!
    って・・・あれ?なんかマジに読んでる・・・!
  2. 「エンスー」も、ひょっとして「死語」?





2008年7月28日月曜日

ランニング4日目

どこかに「いつでも5km、30分程度のランニングを、精神的にも肉体的にも何の苦痛も感じずに出来ることのできる基礎体力が重要」との言葉がありました。

日曜日の朝6時に目覚ましをかけることは、「せっかく遅くまで寝ていられるのに!」という怠惰な欲求を打ち切る必要があります。そこを克服し、眠い目をこすりながらも「会社に行くわけぢゃないから」とストレッチをして走り始めれば、体を動かす快感の方が大きくなります。

今日もJH公園外周を3週程度。トラックで超簡単なインターバルを行ってみました。

総距離数で7~8km程度なのですが、今度は左膝が少々痛くなってしまいました・・・。きわめて軟弱な我がカラダよ。



2008年7月25日金曜日

オーバー・プロネーション?

学生時代にランニング(10kmとか15km走)をしていて、「脛骨過労性骨膜炎(シンスプリント)」と診断されたことがあります。脛の内側が痛くなって全く走ることができなくなります。あれは結構つらかった。

学生時代のような無理や無茶はききません。予防できるならと思いネットで少し調べてみました。

足首が回内気味(オーバー・プロネーション)の人はシンスプリントになりやすく、下腿後内筋群のストレッチとか強化が有効であるとのこと。正しいランニング、ウォーキングフォームというのは非常に重要で、ちょっとした足首のアライメントの狂いが、骨盤や腰、肩や首にまで影響するらしいです。

間違った姿勢で長距離は走れません。走っていて腰にくるのもアライメントの狂いが原因かと思い至りました。やっぱりウェアよりも靴を選ばなくてはならないようです。


2008年7月22日火曜日

ランニング3日目

昨日の疲れが多少残っていたものの、三連休なので今日も走ることに。目標は30分走、距離は問いません。家から軽くアップしてJH公園へ。そして公園外周を軽く3週すると40分くらいかかりました。まずは30分走の目標はクリア。

それでも20分くらいから脚がきつくなりました。息は全く大丈夫、「本当に走っているのか?」というスピードですから。ためしに今日も400mトラックでタイムを測ってみると、400m2分半程度。すなわち1km6分15秒なわけです。このペースで走り続けれるとフルマラソン4時間20分・・・。

初心者の目標は4時間半から5時間で走ることらしく、走ってみて納得。フルマラソン出場への道は険しく遠い!

最後に、400mトラックでのインターバルもどきを。これは、しんどいのですが、こういう練習をしないと心肺機能は向上しないだろうなあとも思います。


2008年7月21日月曜日

ランニング2日目

ウェアもポーチも買ったので、連休の中日に再びJH公園を少し走ってみました。

JH公園には、あまり整備されてはいないものの400mトラックがあるため、今のペースの走りで何秒かかっているのか計ってみました。フルマラソンを4時間で走るためには1kmを5分40秒程度、400m換算で2分17秒程度で走らなくてはなりません。結構楽勝だろうなどと思っていたら、これが以外に「キツイ」ことが分かり驚きました。歩くのよりちょっと早ければいいんだろう?みたいな感触は、もろくも崩れてしまいました。

いくつかのサイトやランニング雑誌を読んで、ランニング初心者のトレーニング目標は下記であることを理解しました。
  • マラソンで苦しいのは呼吸ではなく脚である。ラスト近くなると足が棒のようになり全く動かなくなる。
  • まず30分間、歩かずに走り続ける筋力を鍛える。
  • 息が苦しくなるならば負荷が大きすぎるということ。
  • 30分走ができたら、徐々に時間を伸ばしていく。
  • 30分で5kmくらい走れるペースをつかむ。(1km6分のペースだとフルマラソン4時間13分)
頑張れば半年でフルマラソンを走るのは難しくないとのこと。走り始めてフルマラソンなど大それたことは考えてはいないんですけど、体力つけば、ハーフマラソンくらいは考えてみてもいいかもと思い始めます(>大甘?)。


2008年7月20日日曜日

【音盤】池袋HMVにて/ハーン、エマール

池袋HMVへ。店内では小澤の幻想交響曲がかかっています。サイトウ・キネンの激演ライブです。名演です。しかし最近の心象には会わないなあと思って、ちょっとげんなり。

ラトルのストラヴィンスキーにも食指が伸びるものの、ここはヒラリー・ハーンの「シェーンベルク、シベリウス」とピエール=ロラン・エマールのメシアンを購入。

個人的にはシベリウスよりもヒラリー・ハーンのシェーンベルクに興味あり。メシアンはちょっと試聴してみたら結構イケそうであったのでこれもゲットしてみました。



Schoenberg,Sibelius
Schoenberg:Concerto for Violin and Orchestra,op.36
Sibelius:Concerto for Violin and Orchestra in D minor,op.47
Hirary Hahn(vn),Salonen Sedish Radio Symphony Orchestra





Aimard/Messiaen
Preludes pour piano
Catalogue d'oiseaux
Quatre Etudes de rythem

日比谷のART SPORTへ

池袋にマラソン専門スポーツ店があると知り行ってみました。

ART SPORTという店ですが、日比谷にもショップがあり、皇居ランニングの拠点にもなっている様子。

ヘアバンド、半袖ウェア、ウェストポーチを購入。とりあえず「とにかく走るモード」に持っていかねば、ということです。


2008年7月13日日曜日

まず走ってみる

かねてから、時間的な余裕とかができたら「走ろう」と思っていました。ダイエットしたいとか、東京マラソンで補給水カップを沿道に投げ捨てたいという邪悪な理由、あるいは、ゴルフや自転車はお金がかかるからという庶民的な理由からなどではありません。

理由は別として走ろうと考えたわけです。しかし、「考える」→「まず始める」の間には大きな壁があります。その壁をウダウダしていると乗り越えられません。

で、意を決して「実行」することとしました。

日曜日、まだ寝ていたい6時15分に起床し、近くのJH公園をタラタラ走ってみました。自分では「走って」いるつもりでも、はたからみるとどうなんでしょう。ベタ足でのたうっているに近いかもしれません。

しかし、少しだけ体が活性化した気がします。いつもならダラダラ無為に過ごす休日が長い。これは少しいいかも、と思います。

次なる乗り越える壁は「まず始める」→「もう一度してみる」です。はてさて・・・。この先、休日に天気が良いのに「走る」話題が続かなかったら、1日坊主で終わったということでしょうか。





2008年7月8日火曜日

野田歌舞伎


朝日新聞か何かに、8月歌舞伎座で公演予定の「野田版 愛陀姫(あいだひめ)」のことが紹介されていました。その中で野田秀樹の言葉として「伝統は大切にするが、伝統によりかかった誤解は踏みにじる」みたいなことが、「芝居は楽しませるためのもの」。


分らなくもありません。それでも、どうしても承服しがたい部分もある。中村勘三郎の芸、天才的なところは認めるものの、時代に対する迎合と「軽さ」が好きになれません。「それ」を歌舞伎でやる必要はないのではないかという疑問。


見てもいないのに批判しても*1)仕方ありません。人気の「愛陀姫」に空席など全くありませんから、久しぶりに暑いさなか幕見に並ぶことになるのでしょうか・・・*2)。

◇


  1. 「観てもいないのに批判」は、それ自体意味がありません。私の単なる覚書きとして記録しています。
  2. ・・・結局観られませんでした・・・とほほ。



2008年7月6日日曜日

バウハウス・デッサウ展

上野の東京藝術大学美術館で開催されている「バウハウス・デッサウ展」に行ってきました。大学時代に建築を学び、懐かしさもあってのことだったのですが、結果としては、今の自分の好みとは全く相通ずるところのない感性に「あてられて」いささか気分を悪くさえしてしまいました。

バウハウスという運動は、ひとつの時代の帰結としては避けて通れないものであったのだろうとは思いますが、ある時代の「実験的芸術」は今を生きる時代にあっては学究的価値はあっても一般的な鑑賞には耐えられない、貧相なものは貧相、神経を逆撫でされてしまいました。

バウハウスの授業での実習作品なども展示されており、デザインを勉強する若い人たちには興味深く写るのでしょう、しきりにメモを走らせている美学生が目に付きます。しかし私には、学生時代の経験とオーバーラップし、息苦しさと不器用さ以上ものを感じることができません。ましてバウハウス校舎などは「監獄」にしか見えません。グロピウスが設計した「デッサウ校舎の校長室」も、機能主義のシンプルさと表現はできますが、ちょっと好みではない。


とまあ、珍しく否定的です。しかし、美術館を後にして思ったのですが、私の感じた息苦しさは、もしかすると、ひとつの時代とか様式を打破して新たなものを打ちたてようとしていた、若い芸術家達の、すさまじいまでの探究心と熱意、内的な情動を表現するには自らの手の動き(ペン、模型、筆などのアナログな手段)しかないということに対する無意識の苛立ちのようなものを、展示作品から感じてしまったからかもしれません。彼らの手仕事から生み出される作品や工業製品は、彼らの時代の技術の先を確かに羨望しています。


現在は彼らが生きた時代とは比べ物にならないくらいに、表現技術は発達しました。しかし、そこからは、彼らが感じていたかもしれない、芸術と技術の限界を巡るような「苛立ち」は感じられません、技術の進歩のスピードが余りにも速いからでしょうか、あるいはあまりに豊かだからでしょうか。


開催は7月21日までです。

2008年7月4日金曜日

[演奏会]コバケン&新日フィル:ベト7+チャイ5


本日は、とある企業が主催する公開録音に招かれ、すみだトリフォニー・ホールにてコバケンと新日本フィルハーモニー交響楽団による、ベト7とチャイ5を聴いてきました。自分でお金出したわけではなく「ご招待」なので、偉そうに感想を書くのは憚られます。サラリと述べるに留めましょう。


��月以来、音楽活動も非常にプアーな状況でしたので、久々の生オケは充分に堪能できました。曲も曲でしたし。ベト7は、少しもったりと重いかなという印象でしたが、チャイ5ではコバケン節炸裂ですね。パワフルな曲を続けてですから、オケの皆さんを始めコバケンもお疲れのことでしょう。


昔はチャイ5命みたいなところありましたが、このごろはほとんど聴きません。久しぶりに聴くと、あまりのストレートさに気恥ずかしくなるほどですが、それなりに「スッキリ」感は得られ、まずまずといったところでしょうか。


しかし、これを期に音楽活動が活発になることは、ちょっとなさそうですね・・・。


2008年7月3日木曜日

[立読み]岡崎太郎:1日3分「夢」実現ノート


またまた「自己啓発本」です。若かりし頃はこのテの本を忌避敬遠、嫌悪さえしていましたが、そういう考え方が非常に「傲慢」で「自己中心的」でしかないと、歳を経るにつれ思うに至り、チマチマと読んでいるわけです。相変わらず「手元に置く価値があるか」ギモンなので、立読みの斜め読みなんですが。


2008年7月2日水曜日

[立読み]山本ケイイチ:仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか


極東ブログで紹介されており興味を持ち、amazonのカスタマーズ・レビュでもタイトルの割には「結構まともな内容」という評価。この手の本は無視するわけにもいかず、といって買うほどの内容かはギモンなので立読みの斜め読みです。



成る程、非常にポジティブな内容。何のためにトレーニングをするのかという目的意識を明確にし、確実に成果を上げるトレーニングを実施するという方法論は、ビジネスにも通じる、これからは「IT」「英語」「筋肉」(笑)なのだと。


そりゃあ確かです。しかし、これでは「仕事が出来る人がなぜ筋トレをするのか」ではなく「仕事が出来る人はやっぱり(しんどい)筋トレも継続することができる」ということなのではなかろうか、と自問しながら読み進めました。ただ、そう言ってしまうのでは実も蓋もない。


これからの優れたビジネス・パーソンは、きちんと自己管理を行い、QOL(Quality Of Life)を高めていく生き物であるという、一点の曇りもない健全なる考え方にも感銘を受けました。そういう人間になるべく自己改造することが大事なのだと。それにしても、この手のポジティブな本が書店には、本当に溢れていますね。


なお、さきに紹介した「極東ブログ」の書評のような「グロテスクな側面」は、あまり強く受けませんでした。興味のある方はご一読を。

2008年7月1日火曜日

グループ展:ORDER RECEIVED



ブログ「弐代目・青い日記帳」で紹介のあった、MIZUMA ART GALLERYで開催されていたグループ展『ORDER RECEIVED』に行ってきました。会田誠、池田学、鴻池朋子、天明屋尚、山口晃の5名の作品が、上目黒の画廊にひっそりと展示されていました。(MIZUMA ART GALLERYーやグループ展の概要はTakさんが詳しくレビュしています)

平日の17時頃に行ったためか(当然、仕事を早々に切り上げてです)、観覧者はほとんどおらず、それゆえにマジマジと食い入るように、山口さんや池田さんの作品を眺めることができました(ああ、幸せ)。

私の場合、目当てはやはり山口晃氏です。今回は昨年の練馬区美術館でも展示されていた「成田空港」を初めとして5点ほどが出品されていました。間近で見ると、絵の緻密さと構成力に改めて驚くばかり。本当によくもまあ、チマチマと、あんなに描けるものです。人物がわずか2.5cmくらで表現されているのです、1/70スケールといったところ。凝った仕掛けもあちこちにありますから、近づいたり拡大したりして観なくては面白さが半減するんですよね。深い精神性とか、いやらしい批評性は感じられず、ただひたすらに「細かい」「メカメカ」「チマチマ」に徹しているところがすばらしいです。

チマチマ描くといえば、池田学さんもしかり。動植物や人物を、細密なペンで描くその手腕は職人的と言えます。そして、そこには絵でしか表すことの出来ない対象の再現と再構築があります。

会田さんの作品(写真)も奥の部屋に展示されていましたが、相変わらず毒の強いこと・・・。しかし会田氏とて、彼の世界観を構築するために、チマチマとした作業を組み立てているのだなあと思うと、作品としての毒とか逸脱とか攻撃性も、製作行為という偏執的執念とクソ真面目さの産物であり、そこまでして表現せざるを得ない作家の内実に、見ていて息が詰まるような思いになることも否定できないのでした。

こうしてみると、画家とかアーティストってのは、常人には及びもつかないような想像力と根気を武器とし自分の好きな世界を造っていくという、自己中心的にして単純(?)な快楽原理に支配されている生き物であるなあと、つくづく思い、またしても軽い羨望と疲労感にも似たため息を吐いてギャラリーを後にするのでした。

2008年6月28日土曜日

渋谷タワーにて


渋谷タワーへ。ゲルギのマーラーがちょっと気になったので、1番を試聴。1楽章と終楽章をつまみ聴きしてみました。確かにこれはカロリーたっぷりの騒々しい演奏。6番も賛否両論で評価は分かれたというが、1番も好みは分かれそうです。


ゲルギエフは私的にはかつてのイチオシ指揮者でありましたが、聴者によって思い入れの多いマーラーとなるといかがなものでしょう。イロイロな解釈はあっていいし、現代におけるマーラーの音楽に対する問題提起があってもよいとは思います。ただしゲルギエフのパワーを受け入れる体力は今はないということで見送り。


エンリコ・ガッティのヴィヴァルディも発売されており、これは購入せねばなるまい、と強く思うものの、財布を覗くと野口英世が淋しげに笑っているのみ、ガッティにもまたねと淋しく手を振るのでありました。


2008年6月15日日曜日

iTunes Storeの激安ボックス・・・既に遅し!

「おかか1968」ダイアリーで知っのですが、iTunes Storeで買える激安ボックス。今日アクセスしてみたところ、ほとんどがキャンペーン期間(?)終了の様でした。まだかろうじてダウンロード可能なサー・ジョン・エリオット・ガーディナー「バッハ4大宗教曲集」をゲットしたものの、METの「指環」がNGだったのは痛いです。フィッシャー=ディースカウは、いまひとつ食指伸びず、しかし1.5kなんですよね・・・。


2008年6月13日金曜日

iPhone2.0の続き雑感

先に携帯のデザインについて書きましたが、Docomoの携帯にはデザイン的に物欲を誘う製品が少ない。PRADA Phone by LG などというものも発売されていましたが、お値段も結構なものだったと記憶しています。iPhoneを200ドル前後で発売するということは、デザイン製品に対する価格破壊のような感触を覚えます。

デザインは言うまでもなく、基本機能に対する付加価値です。付加価値はブランドイメージそのものでさえあります。そのデザインのために消費者は多少不便でも金を惜しまない。そしてそのデザイン(ブランド)を有している自分の立位置を内外ともに明示することで自分の中の何かを守っています。これはデザインに拘らないという逆の立場も含めて。

そういう顧客心理があるからこそ、付加価値は高く売れる、値引きしない。しかし、Appleのように「良いデザインを普及させたい」あるいは「デザインこそが全て」という意志または思想は、上記のようなコンセプトをある程度侵食します。

iPhoneの普及目標は、たかだか世界シェアの1%です。しかし、その1%の秘める大きさに、私は期待するんですけどね。iMac使って、本当に世界観が変りましたよ。(>というテクストを書いているマシンは相変わらずPCだけどね)

2008年6月11日水曜日

iPhone2.0発売

Appleが7月11日にiPhone2.0を発売するとのこと。日本の発売日が懸念されていたが、先日の報道では米国と同時発売とのこと。


米国では、1年前のiPhone発売のような衝撃はないようです。それでも、S.ジョブスがiPhoneが高すぎたことを反省し、値段を半分近くにまでしていることには、非常なる意欲と野心を感じます。


日本の場合、独自に進化した、そしてある意味において歪な「ケータイ市場」にあって、iPhoneがマニアやガジェット・ヲタクの購買以上に普及するかは、私には予測できません。ワンセグなど何時使うの?と思っていた機能も、広く普及してしまうと「ついていて当然」と感ずるようになります。

誰かも書いていたように、「使わなくても機能としてある」ということは意外と重要だと思うのです。電子マネーもそうですね。「やっぱ、日本のケータイの方が便利」という方は多かろうと、付爪をしている女性方を含めて・・・。


しかし、それではあっても、私はiPhoneの日本発売に期待しています。言葉は悪いのですが、女子供をマーケットにしているとしか思えないケータイ文化の中に、スマートフォン文化が進入するきっかけはなるのではないかと。そして、何よりもガジェットとして美しいし洗練されています。日本のケータイが、いやブラックベリーを始めとしたWindowsケータイが決して追いつくことのできない文化をそこから感じるからです。