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2004年5月29日土曜日

ラウタヴァーラ:ピアノ協奏曲 第1番


ラウタヴァーラのピアノ協奏曲第1番(1972年)を聴いてみましたが、これも非常に面白い曲で結構気に入ってしまいました。

情念とロマンと現代性が渾然となったような味わいのある骨太の曲です。ただしご家庭で大音量で聴いていると慣れない方からは苦情が来るかもしれませんが(笑)

この協奏曲は作曲家自身の非常に個人的な作品であるらしく、初演も作曲家自身が行ったそうです。ラウタヴァーラ自身の解説によると作品には以下のような意図が込められているそうです。

I was diappointed at that time with the strict academic structuring of serialist music and the ascetic mainstream style of piano music, which I found anaemic. In the concerto, therefore, I returuned to the aesthetics of expressiveness and a sonorous, 'ground-style' keybord techique.

ラウタヴァーラの音楽に対する考え方が端的に表されていますし、1972年に作曲されていながら「ポストモダン的」と言われることにも、成る程と合点がいったりします。それにしても、このような音楽がフィンランドで生まれるとは、フィンランドの音楽的土壌の深さに驚いてしまいます。

曲はといえば、第一楽章冒頭の叩き付けるような破壊的にしてほとんど苦痛さえ伴うような音響と不協和音、それに被さるアルペジオにまず慄然し、一方で堂々たる音楽的骨格には畏敬の念を覚え、たった数秒間でラウタヴァーラの世界に引きずり込まれてしまいます。中間部のピアノソロは鉛色の美しさに鈍く輝いており、曲の持つ男性的かつ硬質な正確を際立たせています。

第二楽章ではゆったりとした音楽から寂寞とした叙情性溢れる音楽に心を休め、続く現代音楽的なカデンツァでは事の成り行きに唖然としながらも、神経を集中して聴き入り、休止なく突入する第3楽章ではちょっと俗っぽく性急なリズムと旋律ではないかとは思うものの、また臆面もないフィナーレには少々鼻白む思いもないわけではありませんが、体は勝手に拍子を打ち前のめりに走り出しています。

それにしても、この劇的なまでの荒々しい激流に身を委ねることの心地よさ、確実に癒しになっているから不思議です。

このような曲を演奏しているのが、ラウラ・ミッコラという女性ピアニストだというのですから、これまた驚いてしまいます。彼女は1974年フィンランド生まれのピアニストで、つい最近来日し東京で演奏会を開催したそうです。

●ピアノ協奏曲 第1番 Op.45
演奏:ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団、録音:1997年8月 グラスゴー、ヘンリー・ウッド・ホール、NAXOS 8.554147

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