私的なLife Log、ネット上での備忘録、記憶と思考の断片をつなぐ作業として。自分を断捨離したときに最後に残るものは何か。|クラシック音楽|美術・アート|建築|登山|酒| 気になることをランダムに。
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2006年6月29日木曜日
直島めぐり【その3】ジェームズ・タレル
安藤氏とジェームズ・タレル氏によるコラボレーション作品は地中美術館と「民家プロジェクト」の南寺で接することができます。
タレル氏といえばアリゾナ州のローデン・クレーター・プロジェクト(未完成)が有名です。このアート作品はクレーターという自然のすり鉢の中から天空を眺めるというものです。あたかも宇宙空間を切り取ったフレームの中から見せるという壮大なるものです。以前TVか何かで放映され、いかにもアメリカ的なスケールのでかさに驚いたものです。
地中美術館にある「アフラム、ペール・ブルー」は、室内インスタレーション作品。光の中に脚を踏み入れるかのような不思議かつ非現実な体験が得られます。ただ危険防止のために柵とアラームが設置されているのは残念。これでは地下鉄ホームではないですかっ、タレル氏の非現実感を「この先危険」を知らせる無機質なアラーム音が、まったくただのジョークにしてしまっている罪は大きいと思います。
南寺で体験できるのは「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」という作品。こちらは、そういう莫迦げた演出はありませんから、素直にタレル氏の作品世界に浸ることができます。
まず鑑賞者は全くの「暗室」に通され、ベンチに座ることを促されます。室内は目を開いているのか閉じているのかさえ判然とせず、目の前には網膜に明滅する模様しか見えません。ちょっとした根源的な、実存を脅かすかのような恐怖さえ感じます。
ふと長野善光寺の胎内巡りをふと思い出します・・・(空間の広がり感はまるで異なりますが)、あそこでは「鍵」に触れると極楽浄土が約束された筈。タレル氏の「鍵」は光。室内に入り5~10分すると暗闇に慣れてくることで、部屋の正面に薄ぼんやりとした映画のスクリーンのような弱い光が見えてくると説明されました。光が見えたらそこに向かって歩いて行ってよいと・・・。
本当に自分にも「光」が見えるのか、不安と期待に捉われながら、自分がどこに居るのかも分からない暗闇で待つこと数分。それは不思議な体験でした、徐々に目の前に何かが見えてきたときの覚醒の感覚と感動。
説明すると、ただそれだけの作品なのですが印象は強烈でした。何も見えなかったところから浮かんでくる光のスクリーン。一旦見えてしまうとそれを背景に明滅する先を歩く人の幻影さえ認識できます。全くの暗黒の中で自分や同行者を再び見出したときの不思議な驚き。あたかも3D画像が初めて「見えた」時の驚きや悦びに似ていましょうか。
この手の作品は、「時間がかかる」ため、日本やスウェーデン、ノルウェイなどでは受け入れられるものの、アメリカやドイツでは展示が難しいとタレル氏は言います。日本人であることを喜ぶべきでしょうか(笑)
タレル氏は「光や空間の芸術家」と紹介されます。アートや芸術が人に感動を与えたり、自己を再認識させたりするものであるのならば、タレル氏の作品は改めて一級の作品であると思うとともに、はじめてインスタレーション作品の持つ「力」を思い知った次第です。
●直島めぐり1 ベネッセハウス
●直島めぐり2 地中美術館
●直島めぐり3 ジェームズ・タレル
2006年6月27日火曜日
直島めぐり【その2】地中美術館
安藤忠雄氏の地中美術館は2004年7月18日にオープンしました。クロード・モネの絵画とともに、現代美術作家であるジェームズ・タレル氏、ウォルター・デ・マリア氏の作品が常設展示されています。
予め写真や雑誌などで、建物の概要は掴んでいたつもりですが、実際に安藤氏の建築を「体験」してみますと、彼の作品の中でも群を抜いて素晴らしいと感じました。今年オープンした表参道ヒルズが、全くいいところなしであり落胆させられたのとは、えらい違いです。
表参道ヒルズは、そのプロセスそのものが「作品」であったというのが私の評価ですが、直島プロジェクトはプロセスと結果を含め彼の代表作足りえていると思います。安藤氏の作品は、商業的な垢にまみれてしまうより、建築が屹然として存在を主張できるカタチの方が合っているのでしょうか。建物を地面に埋めてしまうということは、究極の環境配慮なのか、環境に対する欺瞞と冒涜なのかは議論が分かれると思いますが・・・
ここに収められたモネの作品も、静謐な空間と柔らかな自然光によって生来絵が持っていた美しさと力を取り戻しているかのようです。モネの聖地ともいえる新装されたパリのオランジェリー美術館がどういった展示空間になっているのかは分かりませんが、今まで接したモネの中では、最も絵画に適した環境であると感じました。
モネは大好きな画家ですから、このような空間で睡蓮シリーズに接することができたことには深い喜びと至福さえ感じます。自然光に照らされた絵画は通俗名画的な俗悪性を一切脱ぎ去り、霊的な雰囲気さえ漂わせていました。
ジェームズ・タレル(米国:1943年生まれ)の展示スペースのひとつである「オープン・スカイ」は、鋭利に切り取られた空と、そこから降り注ぐ光の変化を楽しむ空間芸術です(左写真)。これには全く驚かされました。ウォルター・デ・マリアの展示スペースも素晴らしい。(ジェームズ・タレルについてはエントリを改めます)
しかし何よりも一番驚いたのは、やはり安藤氏の建築そのものでした。特に三角コートを結ぶ回廊の壁を切り取る開口幅35cmのスリット(左、下写真)は驚きでしかありません。建築の持つ有無を言わさぬ説得力という点において圧倒的です。
印象派のモネも、展示されているのが晩年の睡蓮シリーズですから、もはや抽象絵画、光と色彩の洪水と称しても良いような作品。建築家の安藤氏と、モネや光の芸術家であるタレル氏などの現代美術が、違和感なく融合しているのも、ともにギリギリまでの純粋性を志向しているという点で共感しあうものがあるのでしょうか。
ちなみに、掲載した写真や図面は「あちこち」から無断転載したものです。
2006年6月26日月曜日
直島めぐり【その1】 ベネッセハウス
香川県の直島に今年の5月オープンしたばかりのベネッセ・ハウス「パーク」に宿泊。安藤忠雄氏のコンテンポラリー・アート・ミュージアムと、2004年に出来た地中美術館、それと家プロジェクトなどを駆け足で観てまわってきました。
下の写真はホテルのバルコニーからの風景、なんともリッチです。部屋からは瀬戸内海が一望でき、山からは鶯の鳴声が朝の5時くらいから聴こえてきます。
宿泊施設も安藤氏の設計ですから、エントランスロビーからして、こんなカンジです。最近はコンクリートに長大な横スリットというのが、彼のお気に入りのようです。
レストランに向かう廊下も、こんなふうにコンクリートで出来ています。ここでは縦のスリットが綺麗ですね。
レストランのウッドデッキの目の前は砂浜。長閑な瀬戸内海が望めます。天気が良いと四国まで点在する島々が見えるのでしょうね。瀬戸内海は交通の要所らしく、タンカーやらフェリーがひっきりなしに往来しています。
パンドラの箱とフラット化
Syuzoさんのブログを読んでつらつら考えます。
私も仕事とは別に、この先どういう世の中になっていくのかの興味がつきません。「パンドラの箱」を考えるキーワードの一つは、私の場合は「フラット化」ということです。情報化やIT化が産業革命に次ぐ大きな変革であると説いたのはドラッカーだけではありません。
「フラット化」ということが気になっていたら、本屋でトーマス・フリードマンの「フラット化する世界~経済の大転換と人間の未来」という本がたまたま目に付き、読み始めています。フリードマン氏は自著の「レクサスとオリーブの木」を引き合いにしながら、グローバリゼーションが大きく三つの時代として存在していたと説明します。
ひとつは旧世界と新世界の間で貿易が始まった1492年から1800年頃まで(グローバリゼーション1.0)。次が多国籍企業による世界統一の時代で産業革命を含む1800年から2000年まで(グローバリゼーション2.0)。そして今はグローバリゼーション3.0に移行したのだと。個人や小集団が簡単にグローバル化することが可能になったということ。確かにこれは劇的な変化です。
私の常識は、私の子供にはもしかすると伝わらない。私たちの成功体験は、彼らの世代には無意味なものとなるかもしれない。私たちの時代の幸福感は彼らの不幸でしかないかもしれない。未来はどこに向かうのか。政治の力が復権することはありえるのか、経済や資本主義主導ではない社会は到来するのか。個人と組織の関係は変化するのか。哲学や文学は、あるいは音楽やアートは何を表現するのか。神は終に絶滅するのか、あるいは劇的復活を遂げるのか、Googleが神だなんて、あまりに莫迦げていませんか?
2006年6月23日金曜日
町田康:へらへらぼっちゃん
町田氏のエッセイ集です。彼が「くっすん大黒」を発表したのが1996年のこと、ここに収録されているエッセイは1992年からのもので、彼が小説家としてデビューする前の文章であるという点で興味深いものです。
内容は彼の小説世界そのままで、内装業者友達の世話による「ペンキ塗り」や「冷蔵庫」に関する逸話も、彼の体験に基づいたものであることが理解できます。
それにしても不思議なのは、3年間も働かずに昼間から酒を飲み時代劇を見続けるという生活を続けながらにして、人間的にも家庭的にも破綻しなかったという驚くべき彼の持続性。
何もしないで遊び呆けることの難しさ。彼の処女小説「くっすん大黒」が上梓されることになるに当たって、
私はこの本を、これから就職する人や仕事をやめてぇ、と思っている人に読んで欲しいなあ、と念願している。(「遊びの苦しみ」P.227)
なんて書いています。彼の「遊んで暮らす」というのは筋金入りでして、その覚悟はあるかと。
なにしろ当方は、必死になって何もしないで遊んでいようとしているわけだから、昼酒を飲んでみたり、再放送のテレビ時代劇を日に五本も見たり、都々逸の稽古をしてみたり、木桶に飯と菜を盛って、犬のように手を使わずに食ってみたりと、いろいろ試しているのである。(「旅人・遊び人」P.13)
なんだそうであります。ココだけ読むと、キの印としか思えないのですが、まあそれが町田康なんですねぇ。
町田小説にどっぷりつかってしまった人には、彼のルーツが分かるようなエッセイでもありまして、ビール飲んだりハム食ったりしながら、芝清之編「東西浪曲大名鑑」、坂口安吾「明治開花安吾捕物帳」、八剣浩太郎「大江戸愛怨伝」、織田作之助「江戸の花笠」なんて読んでいるんだものなあ、そうか、そうか、やっぱりそうであったか、なんてね。思ったりするわけです。
大槻ケンヂの巻末の解説も抜群。
ここで、ふと思ったけれど、彼の小説の読者層というのは、やっぱり十から二十代の若者なんではなかろうかと、いい大人が「町田康はオモロイ」なんて書いているのは、もしかすると、間違っているかもしれない・・・。場違いなライブハウスにスーツ着て聴きに行ったような、恥ずかしい違和感。そろそろ町田巡りもオシマか?しかし・・・町田本を読むのを止めたら、次は誰に熱中できるというのだ?
2006年6月21日水曜日
町田康:権現の踊り子 ほか
興味のない方には「いい加減、町田ネタはうんざり」と思われるでしょうが、面白いのですから仕方がありません。個人的な備忘録としてのブログですから、興味ない方はスルーして下さい(苦笑)。
で「権現の踊り子」という川端康成文学賞を受賞した作品を含む短編集。面白いのは「工夫の減さん」という、ことごとくマイナスかつネガティブな作品でしょうか。
減さん(名前がそもそもネガティブ)は、全く役に立たない「工夫」を繰り返し、その「工夫」が本人の幸せにも周りの人たちの便利にも全然寄与せず、しかも減さんが、多大な苦労をして日々「工夫」をしながら生きていることを周りの人は理解していないという不毛、絶望、断絶、滑稽。ああ、町田文学の全てがここに濃縮されています。
「それにつけても減さんは工夫の好きなやつだったよねぇ」と話しかけた。
女は俺の顔を見て、「そうだったっけ」と言って首を傾げた。俺は、
「けっこうそうだったよ」と小さい声で言って麦酒を飲んで噎せた。
思わず知らずに答えて噎せる主人公。噎せざるを得ない、この無理解と摩擦と哀しさ。
他者が徹底的な「他者」となり、自分だけが取り残され絶望的な狂気に至るさまをB級ホラー的な味わいで描いた「ふくみ笑い」も、時代劇好き町田氏にして描けた、人格が破綻た水戸光圀を主人公とする「逆水戸」も、モンクなしに面白い。中崎タツヤあたりにマンガ化してもらいたい味わい。
しかし・・・町田文学は、確かにどこにも向かっていない。ヘタをすると人間の虚無と立ち向かって、へらへらと笑っている。なんで、こんなことをするのか、どうしてこうしなければ自分は生きられないのか。笑いながらも深淵を覗いている。
2006年6月20日火曜日
町田康:告白
時代劇の好きな町田氏が、近代的自我を持たない社会の中に、極端に自意識過剰な自我と思弁を持ち込んだら、両者に生ずる摩擦とかズレがさぞ面白かろうに、と思って描き始めたのかどうかは分かりません。しかし内容は、そういう単純な意図をはるかに越える内容を描ききっています。
小説は近代的過渡期に生まれた悲劇を描くに留まりません。人が成長してゆく過程の中で、思弁的かつ自己弁護的なるものを捨て「大人」に成ることに付いてゆけない者の圧倒的孤独をも描いており、そういう点においては、現代的かつ町田的テーマでもあります。
熊太郎の持つ存在の哀しさ。それは近代的自我持つ主人公と他者との間に横たわる深い溝として説明されます。彼だけが思弁的内向性を有していたが故に、他者に自分の考えが「伝わらない」ということ。しかし、彼の考えだけが伝わらないのではなく、他者の思弁も、熊太郎はそんなものは存在しないとアタマから否定していことによって、彼には一生理解することができないのです。存在しないと考えるものを理解することはできません。
他者と自分の痛いまでの違いの認識、自己認識あるいは、極端なる自意識。行動よりも思弁が圧倒するということ。決して埋まらない自己と自己、そして自己と他者との間の断絶の中で、分裂と不信、甘さと自己愛に支配された彼は、救いと自己の解放、現実との整合などを求めて、どこまでも、どこまでも、捩れていきます。
現実と折り合いのつかなさ、世渡りのヘタさ、真面目にやればやるほどに、ズレてゆく主人公の姿は全ての町田文学の典型です。しかし、「告白」で描かれた狂気の結末は、不条理やユーモアという笑いのオブラートを取り除いたが故に、彼の他のどの小説にも似ず悲劇的です。最終的に熊太郎は救わなかったような描かれ方をしています。彼の見つけた自己の内部の「曠野」、果てしない虚無と絶望。銃声は彼の何を殺したのか。
もう一度、いやしかし、彼は本当に救済されなかったのだろうか、と考えます。ここには、「人は何故人を殺すのか」ということ以上に、「人は何故に生きるのか」「何故に死すのか」という命題をも含んでいます。熊太郎のダメ姿を自己投影する読者も多いはずです。そこに町田文学に対する共感があり、そして深く考えさせられます。
改めて思う、町田氏は凄いです。classicaのiioさんに教えられて町田道に入りましたが、最初からこの本を読まなくて、つくづく良かったと思います。感謝の意を込めてTBしておきます。
2006年6月18日日曜日
山口恭子:だるまさんがころんだ、猿谷紀郎:碧い知嗾/岩城宏之 & OEK
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せっかくなので、山口さんと猿谷さんの作品についても言及しておきましょう。
最初の山口さんの曲は「だるまさんがころんだ」という無邪気なタイトル、しかし童謡風のほのぼのさとは全く異質の音楽世界、静と動の激しい対立と緊張が表現されています。山口さんはこの曲が残響の長いホールで演奏されることを意識したそうです。長く引き伸ばされる音、小刻みなフレーズ、弱奏とたたきつけるような音塊、そして最後の消え入るような終わり方が印象的。5分程度の短い曲ですが、響きの生み出す面白さと不思議なイメージを堪能できます。《本当は怖い「だるまさんがころんだ」》
猿谷さんといえば、「ディープインパクト~栄光」で有名な作曲家(らしいです)。慶応義塾大学法学部卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院作曲科に留学し優秀な成績で卒業されているという異色かつエリートな経歴。彼の書くプログラムノートも哲学的で難解。
雑踏の中に時折飛散する少し碧みがかった花弁のような真理を拾い集めてみたいとあるのですが、私には雑踏の中での無秩序で不安な断片のようなものしか聴き取れず。こちらの曲は、今の私には余り馴染めませんでした。猿谷さんは現代作家の中で確たる地位を築いている方のようですので、他の作品も機会があれば聴いてみたいと思います。
一ノ瀬トニカ:美しかったすべてを花びらに埋めつくして・・・/岩城宏之 & OEK 高木綾子
- 山口恭子:だるまさんがころんだ (1999)
- 一ノ瀬トニカ:美しかったすべてを花びらに埋めつくして… (1995年度オーケストラ・アンサンブル金沢委嘱作品)
- 猿谷紀郎:碧い知嗾 (2003年度オーケストラ・アンサンブル金沢委嘱作品)
- 岩城宏之(cond) オーケストラ・アンサンブル金沢 高木綾子(fl)
- 2003年4月24(1)(2) 2003年9月19日(3) 石川県立音楽堂コンサートホール(ライブ録音) WPCS-11723
どれもが日本の現代音楽の「今」を象徴する3人の若手作曲家による注目作品を集めた1枚であるとのこと。
一番の注目は、高木綾子さんがフルート・ソロをつとめる一ノ瀬トニカさんの作品。これが恐ろしく素晴らしい。高木さんのフルートは文句なしに良い。彼女独特の一本芯の通った音が曲に存在感を与えています。とにかく、冒頭の室内楽とフルートの交信からして美しすぎる。何なんでしょう、この懐かしさに満ちた、それでいて新しい感じのする音楽は。
作曲者自身によるプログラム・ノートには
一種の浮遊感(足取りとしては確かなもの)というキーワードがあります。確かに浮遊感のような、移ろいの美しさと儚さはあるものの、弱々しかったり女々しかったりするようなものではなく、不思議な確信と希望に満ちた感覚。立原道造の『天の誘い』という詩にインスパイアされて作曲したのだそうです。
中盤での高木さんのフラッターと跳躍を伴った技巧的なパッセージ、それに呼応するかのような弦と打楽器の交信、オーケストラによるクラスター的音響とフルートの叫び。音楽は次第に盛り上がって。
そこからラストに至る音楽は、美しすぎて言葉になりません。
岩城氏の音楽を聴くつもりが、一ノ瀬トニカさんと高木綾子さんに、完膚なきまでに叩きのめされた一枚となってしまいました。
その一ノ瀬さんの作品をもっと聴きたいっ!と思ったら、来週の目白バ・ロック音楽祭で聴けるではないか!目と鼻の先!っと思ったらっ!来週は岡山出張ではないかっ!ふひょーん!! ちなみに高木綾子さんのフルートは7月の奏楽堂で接するから良しとしよう。
ふと思ったのですが、名前が「トニカ」ですって?本名?「現代音楽」なのに美しいわけです。
2006年6月17日土曜日
本城直季:small planet
本城氏も最近、あちこちの雑誌で、その写真を目にすることが多くなりました。大判カメラの「あおり機能」を駆使して、実写でありながらも建築模型のような不思議な写真を撮っている写真家です。
本当に、仔細に見れば見るほど、オモチャのように見える都市の姿。逆転の発想ですが、今までこんな作品を撮る人は、確かにいなかった。彼の作品をして「神の視点」と評する人がいます。しかし上からすべてを見下ろす神という絶対的なものではなく、地上を限りなくイトオシク思いながらも、そこに自分が居ない感じ、すなわち「死んだ直後に空中にポカンと彷徨う」といった雰囲気の方が強い。
だから、「嘘っぽさ」と不思議さとシュールさを併せ持ちながらも批判精神はない。作品には乾いた快楽が横溢していて、それが作家の意図したかしないかとは別に、作品を仔細に眺める者をふと哀しい気持ちにさせます。これも百聞は一見にしかずです。
Amazonして分かったが、本城氏と同じような作風の作家は、海外にも居るのですね・・・。Amazonも、使いようによっては、やっぱり便利鴨。
2006年6月16日金曜日
山口晃作品集
山口晃という作家をご存知でしょうか。日本橋三越の開店時のイラストで広く知られていますが、このたび作品集手にとって開く度にびっくり。耽溺、何て素敵なっ!
日本美術をたくみに引用
した、その卓抜なる技法。日本画と大友克洋氏が合体したかのような画風。マシンに対する偏愛、緻密さ、計算されつくした技法と偏執的なまでの細部への拘泥。細密な絵画を見入ることの快楽、眼の至福。クラクラし通しです。百聞は一見にしかず。しかしルーペを付けるくらいなら、もうすこし大判にして欲しかった。
2006年6月15日木曜日
町田康:屈辱ポンチ
「けものがれ、俺らの猿と」と「屈辱ポンチ」という二編が納められています。どちらも町田節が全開の中編小説です。ダラダラと改行少に続く活字を読み進むうちに、脳内は痺れるような町田ワールドに支配されてしまいます。
内容は典型的なダメタイプの主人公が巻き起こす脱力的努力の連続劇。だからといって「またかよ」といって飽きてしまうわけではなく、やっぱりそれでも面白いと思ってしまいます。町田氏は凄いなと。
「けものがれ、俺らの猿と」という奇妙なタイトルの作品における登場人物とストーリー展開は、本当に陳腐な言い方ですが不条理そのもので、更にはB級ホラー的な雰囲気さえ漂わせており秀逸です。途中で登場する田島という人物の得体の知れ無さ、ワケの分からなさ、通じなさから生じるジンワリとした恐怖。相手の真意が理解できないままに振り回される主人公の姿。そして主人公が頑張れば頑張るほど、底なし沼に沈んでいくかのようなドツボの展開。かくも不器用でいること、現実との接点を欠いている姿は、確かに喜劇ではあります。
「屈辱ポンチ」という、これまた意味不明の人を小莫迦にしたようなタイトルの小説も、目的や真意の分からないミッションに真面目に取り組む主人公達を描いています。その真面目さがクソ真面目であるほどに現実的な効果は全く得られない。彼らの努力とはほとんど無関係に、それを嘲笑うが如くに世界は動いていきます。この現実とのズレに笑いながらも、ふと考える。
本当に心の底から町田喜劇を笑えるのか、自分の成しているミッションに本当に意味があって、目的を理解しているのかと。いやオレは本当にストレートに世界と「つながっている」のかと。
( Amazonへ)
2006年6月12日月曜日
梅田望夫:ウェブ進化論
梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読み終えました。多くの示唆に富んだ本です。本書を読んで感じたことは、何度かに分けてエントリしましたので同じ事は繰り返しません。Googleの凄さとか、Googleと楽天の違いやWeb2.0について知るために本書を読むことも有用ですが、私はもう少し別な刺激を受けました。
誰もが認めるように、Googleのミッションの途方もなさにはあきれるばかりです。それを宗教のごとく信じ、全ての企業活動をそれを具現化させるために邁進させているという点においては、ビジョナリー・カンパニーの資質を有していおり極めて興味深い。
しかし私の関心点はGoogleの凄さにはなくGoolge的な企業がもたらす社会が、今後どのようにパラダイムシフトしてゆくだろうかということ。高度に発展してゆくIT社会において、今後の組織と人間はどのように関わってゆくのか、テクノロジーはどこまで人間を幸福にするのか、ということです。
私が想像しているのは、P・F・ドラッカーが指摘する知的労働者がIT革命によって得られた情報ネットワークを通じて、個が余計な介在なしにダイレクトに社会に向きあっている姿です。例えばリナックスの開発に携わるような動き。固有の組織に属さずに、組織に属したのと同じような、あるいはそれを上回る結果と自己実現を得るということ。あるいは大きなミッションに参加しているということから得られるモチベーション。これは既成の階層的組織構造で働く姿とは、大きく異なっています。
社内イントラネットが登場し始めた頃、私は本支店の情報を集めて整理するだけの部署、あるいは仲介役となるような役職は、いずれその役割を終えるだろうと感じました。組織構造がITによってドラスティックに変質する予感を覚えたものです。あれから10年、一部ではその胎動はあるものの、固定化した組織はまだ磐石のように見えます。
そういう企業であっても、知の源泉はシステムやデータベース、ましてや幻想に終わったAIなどではなく、人そのものであること。企業の一番重要な経営資源は優秀な人材であることは、今更ながらに自明のことです。人的ネットワークを有することが能力の一部だったり、優秀な人材を活用するための仕組みを必死で探っています。
しかし、あと数年するとどうなっているのか。情報の共有と知のフラット化がある程度実現された場合、個としての存在価値と組織活動は、どこへ向かうのか。企業と企業の関係もしかり。e-コマースの普及と発展は、調達コストの低減と、今までの調達先や系列の再編へ向かう可能性も秘めています。
顔の知らない誰かから重要な品質のモノが買えるか、最後はマン・ツー・マンだ、ということも充分理解します。思い返せばe-mail黎明期、メールを送った後に失礼に当たるからと電話もしていました。今では「ダメ押し」「催促」の意味でしか改めて電話などしません。それでも仕事はドンドン進みます。(というか、余程の用件でなければ相手の都合を待って電話などしている時間はない)
私事ですが、16~17年前に社内で掲示板機能を用いた情報共有システムが立ち上がったことがあります。どこかの誰かがある問題に悩んでいるという書き込みに対し、即座に驚くほど多くの反応が得られました。まだ1200bpsの電話回線でピーガーやっていた時代です。何かとんでもないことが起こるかもしれないという、予感がありました。
しかし、それは長続きはしませんでした。社内上層部からは「一部のマニアのお遊び」と思われていました。掲示板参加者も年を重ねるに連れ経験を積み、そういうシステムでは飽き足らなくなってしまいました。掲示板参加者が増えすぎたことは議論を発散させ、また経験知を生かすことができずに、テーマも堂々巡りに陥ったことが原因のひとつです。知的集合体が新陳代謝によってレベルアップしなかったのです。また一番重要なコストに関する情報がネットの開放性にそぐわなかったということも、多くの一般社員が「お遊び」と感ずる原因でもありました。(これは、今書いて思ったのですが、別な問題を内包しているようです)
それでもネットにおいては、社内ではあっても、上司も部下も、年長の経験者も新入社員の別もなく、全くフラットな空間でした。あの人と、この人の違いは何によるのか、上司と部下の関係はどうなるのか。組織対組織は。そういう今の常識とは違った社会が、全ての人にバラ色であるのか、グレーなのか。しかし、箱は開いてしまっている。
金聖響指揮:読売日響 第79回東京芸術劇場マチネシリーズ
東京芸術劇場で読売日響のマチネシリーズを聴いてきました。
- モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537 《戴冠式》
- R・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》
- 6月10日(土)14:00 東京芸術劇場
- 指揮:金聖響 読売日本交響楽団
- ピアノ:コルネリア・ヘルマン
- コンサートマスター:デヴィッド・ノーラン
以下のレビュはネガティブなものになってしまいましたが、考えてみれば、贅沢にして傲慢な感想です。ハイレベルな音楽をいつでも聴ける環境に居ることに、改めて気付き感謝すべきかもしれません。
1曲目のモーツァルトK.537。ピアノは日本でもたびたび演奏しているコルネリア・ヘルマンさん。彼女は写真で見る限り非常に美しい方で追っかけも多いのだそうです。母親が日本人であることもあってか、親しみやすい顔立ちです。
今日もドレスは、彼女のトレードマークなのか深い赤です。金氏のモーツァルトは、オケの人数も多くオーソドックスなモーツァルト演奏のように感じました。鮮烈なことはしない。それは彼女のピアノも同様です。
モーツァルトの突き抜けた長調の明るいこの曲に対し、彼女のピアノは少しくぐもった柔らかな音色に聴こえる。ガンガン攻めるピアノではない決してない。指先からの変化は、ときにはっとするほどの微妙な色彩を聴かせてくれます。でも、それが金氏やオケと、いやこの曲の雰囲気と合っていたか。
というのも、彼女はモーツァルトを得意としているとのことですが、今日のピアニズムからは、むしろシューマン的な香りを感じ取りました。彼女の演奏は、天真爛漫でいながら計算づくのモーツァルトの天才による至福とは違った、もっと端正なモーツァルトでした。
続く《英雄の生涯》ですが、この空疎とも云える曲を金氏がどのように料理するかにも、大きな興味がありました。しかしこの曲に期待する浪漫という点からは、今ひとつであったなあ、というのが正直な感想。「戦場の英雄」あたりの音量は凄まじいものがありましたが、粗さも否定できない。圧倒的な暴力の氾濫という雰囲気は出ていましたが。コンマスのノーランさんの奏でるテーマも、あまり心に入ってこなかった・・・。
《英雄の生涯》というのはR・シュトラウスが音楽で描いたわざとらしい戯曲だと思っています。金さんの指揮からは統率力と抜群の制御能力の高さを感じます、どちらかというと理知的といえましょうか。これを演奏するならば、阿呆くさいくらい成り切って演奏しなくては中途半端なものとなってしまうような気もします。生意気で勝手な感想で恐縮です。もっとも私の聴き方が、過去の名演奏家のイメージにひきずられ過ぎているという気がしないでもありません。
読売日響の音は良いですね。ドイツもの、特にマーラーやワーグナーなどをこのオケで聴くと格別だと思います。
ヘルマンさんのピアノは、できれば小さなホールのソロで、シューマンとかブラームス、あるいはモーツァルトのソナタなどで聴いてみたいものです。おそらくはコンチェルトとは違った魅力を聴けると確信します。今回は金聖響さんのブログを読んで、是非とも聴いてみたいという気になって駆けつけました。金聖響さんの演奏は、やっぱりベートーベンあたりを聴いてみたいですね。
2006年6月11日日曜日
パンドラの箱
syuzoさんのコメントにレスしていたら長くなってしまったので、エントリとします。(>読み返したら、ちっとも「レス」になっていませんでしたが・・・)
梅田氏の本を読みながら、ふとe-mailを仕事で普通に使うようになったのはいつだったかと、振り返ってみた。今でこそ社内、社外を問わずe-mailの存在なしには業務は出来ないほどになったが、私にとってのe-mail使用歴は、たかだか10年も経っていない。
今から10年前といえば1996年。我が社は阪神大震災(1995年1月)を契機に、社内ネットワークの重要性にやっと気付いた時期である。そういう本社から支店に戻ったばかりの私は、部内や部外にネットワークのメリットを啓蒙者のように説き、実践し結果を示さなくては、その本質を誰も理解してくれなかった。NEC N5200シリーズのLAN-FILEで構築されたていたデータベースをWindows95で動くACCESSに変換し、当時流行しはじめたISOに対応した部内RDBシステムを独自で構築し、誰でもが自分のPCから使えるようにした。Niftyはまだ隆盛を誇っていた。FCLAやFCなどの存在は懐かしい。パソコン通信は日常生活の一部であった。
15年前といえば1991年頃。携帯電話はまだ一般的ではなく、肩から箱のようなものを提げなくては使えなかった。PCのOSはMS-DOS3.*で、私のパソコンに対する関心は、テキストファイルをいかに効率的に扱うかであった。sedやawkなどのunixから転用されたスクリプト言語を四苦八苦しながら使っていた。テキスト入力はお決まりのVZ Editor。C言語やC++を趣味と見栄で覚え、TurboC++を使って愚にもつかないプログラムをいくつか作った。パソコン通信にどっぷり浸かり、見ず知らずの人と繋がる快感を覚えていた。
20年前といえば1986年。パソコンは職場には存在しなかった。ワープロを使う人は先端的と思われた。今ではパソコンで動くような技術計算プログラムを、支店から本社にあるホストコンピュータをタイムシェアリングで夜中に動かしていた。新しもの好きな上司が使うワープロを見せてもらったら、ほとんどラインエディタであった。1988年頃から社内では電話回線を使ったワープロ通信が情報交換ツールとして実験的に使用されはじめた。東芝RUPOを自分で買い、社内ワープロ通信やチャットにのめりこんだことで、ブラインドタッチを覚えた。社内ネットワークを拡充したり、Niftyのフォーラムに入り浸ったりしていた。
それ以前、学生だった私は、卒業論文は手書きであり、梗概は事務の女性が活字を組んでガシャガシャやっていた(なんていうんだっけ、あれ?)
私の本来業務は情報システム関連であったことは一度もない。開いた「パンドラの箱」はITだけの世界ではない。従来「固定」「不動」と思われたものが「流動化」したことによって世界は激変した。
ではこれから、5年、あるいは10年先の「仕事の仕方」を想像できるだろうか?何は変わって、何は変わらないのだろうか。企業の本業とは何だろうか。日本の強みとは、そのとき、どこにあるのだろうか。
ちなみに、独学で苦労して覚えたAccessやらC言語は、自分で使わなくなったら綺麗さっぱりに忘れてしまった。あたかも一夜漬けの勉強のようなありようである。
2006年6月10日土曜日
ネットの「あちら側」と「こちら側」
梅田氏の本に触発されAmazonのアフィリエイトに関心を持ち、Amazonのサービス概要や、製品のカスタマーズ・レビュなどを読んでみた。
自分のレビュを自サイトの「こちら側」ではなくAmazonの「あちら側」に置いて、相互に関連付けを行うというAmazonのビジネスモデルは素晴らしい(Amazonのオリジナルかは知らぬが)。しかし、ネット販売会社はAmazonだけではない。CD販売の大手ではHMVやTowerも似たようなサービスを展開している。
このような類似サービスのひとつひとつにアクセスし関心のあるレビュを読むというのは、実はかったるい作業である。もっとユニークな製品に関するレビュは、まとまって読めないものかと考える。今の状況は、ユーザーから見れば「あちら側」の世界の「こちら側」争いとも言える。
アマゾンもHMVもブログによるトラックバックという機能を付与すれば、ネットの「あちら側」と「こちら側」は有機的に結びつくことになる。しかも、それが「人間の手を煩わさず」に自動的に行われるようになると、状況は一変するのではないだろうか。
以前「クラシック ポータルサイト」というエントリを書いた。あれからも、世界は進化している。ネットの世界という「あちら側」で知の再構築が成されたとき、そこからは何が生じるのだろうか・・・
ちなみに「あちら側」と「こちら側」という概念も梅田氏の本による。
2006年6月9日金曜日
梅田望夫氏の「ウェブ進化論」
これからはじまる『本当の大変化』は、着実な技術革新を伴いながら、長い時間をかけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ、逆にゆっくりとだが確実に社会を変えていく。(P.18)
ニュートン力学の世界から見た量子力学の世界と同様に、リアルな世界からネット世界を見れば、それは「不可思議」「奇妙」「ミステリー」以外の何ものでもなく、その異質性や不思議さをそのまま飲み込んで理解するよりほかない。(P.39)まさにP・F・ドラッカーの指摘した「ネクスト・ソサイエティー」そのものではないか!
同僚と飲みながら、「うちの業界は10年前とちっとも変わっていない」というハナシになった。確かに表面的には何も変わっていない。取り残された産業というイメージさえ付きまとう。しかし仕事のやり方は、ある面では劇的に変わった。相変わらず旧態依然としたシステムにとらわれるか否か。
クライアントのキー・パーソンと会食していたときに、彼らは「パンドラの箱は空いてしまった。元には戻らない」と言っていた。そこに我々の業界は気づいているか、ついていっているのか。