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2021年1月18日月曜日

裏や闇を追うと、すぐに陰謀論に行きつく。待っていてもやってこない。

政治や社会の動きの裏を探っていくと、すぐに陰謀論に行きつきます。

陰謀論と更にその先には、荒唐無稽と思われるような言説が広がっています。
どれもが事実と言われても検証できないような怪しい情報ばかりです。もう一歩先に踏み込むと、地球外生命体やら物理世界ではない存在が仄めかされます。一般的な常識人はデタラメ、妄想と一笑に付すことでしょう。

米大統領選の最中も、QAnonなどの陰謀論の危険性が一般紙でも取り上げられました。彼らが唱える「狂った陰謀論」の内容は、私が解説するよりも下記の記事によくまとまっています。

昨年10月のThe Financial Timesの記事(from 日経電子版)でも「(シオン賢者の議定書のような)思考で世界を見渡し、全ての混乱はある謎の陰謀グループの悪意が引き起こしていると考えれば頭を使わずにすむ」「(陰謀論は)政治や社会の困惑するほどの複雑さを、誰でも理解できる単純な公式に当てはめる」と酷評されたりしたものです。

陰謀論がSNSで蔓延したことから、ビッグテックらが一斉に投稿を規制(言論監視と統制)し、その行きついた先が米大統領のTwitterからの永久追放にまでつながったことは、記憶に新しいことです。体制側は極右の危険思想、テロリズムを誘発すると断じました。

世の中に陰謀論が蔓延するのはどうしてでしょうか。
現状に対する不満感や精神的な不安感、欠落感、疎外感を感じ、満たされたり、すっきりすることがないという人は少なくないでしょう。リア充とは多少縁の薄い人たちかもしれません。陰謀論はその隙間に忍び込むのでしょうか。今まで知らなかったことが説明され、自分の潔癖性や正義感も試されるような気がして目が覚めるような気がします。

そうだったのか、今まで騙されていたのか! 何かおかしいと思っていたけど、そういうことだったのか!! という具合に。漠たる隙間が満たされます。
「わかった」なんて、そんなに簡単に、本当は「わかる」わけないなどないのでしょうに。

どこで踏みとどまるのか、それとも荒唐無稽、中二病的世界に真実を求めるのか。
いくら情報を求めていても、その境界線はどんどんと曖昧になっていくことに気づきます。今まで培ってきた常識が溶融してしまいます、境目はありません。

ある人たちは情報を「保留」、すぐに捨てないで「箱」に入れておいて、と言います。そのスタンスは、情報へのアプローチとしては良い方法です。

引き続き情報を多方面から収集していると、それが確からしいか、その逆か見えてくることもあります。その筋の情報ばかり集めると、どんどん集まってきますから、逆にオカシな情報に強化、感化されてしまうこともあります。

不確かな情報の渦の中で、いくらかでも確からしい情報を探すのは、とても難しいことです。エビデンスは得られませんから、最後は直感に従うことになります。自分の直感を「信じて」しまえば簡単です。しかし、信じるということは、一面で疑うことを止めるということです。

世の中にこれほど、偽情報、攪乱情報があふれていると、うっかりと嘘情報を信じてしまっていないとも限りません。大手メディアでさえ、嘘情報を平気で流し、一国の大統領までもがそれに気づかないという世の中です。意図的であったり、邪気であったり、もしくは悪意をもってフェイクを流す輩もいることでしょう。

それを言っているのは誰、どういう経歴? 今までの言説は? 今どんな立場のお方? その組織はどう言うところ? バックは? 情報のソースは? 証拠、論拠は? それは一次情報なの? 公開されていますか? 誰もがアクセスできますか? それが修正、偽造、偽証でないとどうやって確認できますか?

あの人と、この人の言っていることのソースは、あれだ(やっとみつけた)。同じことを言っているようだけど、ソースが違う。同じところから情報を得ているのに、言っていることが異なる。

自分で調べても、キリはありません、闇は限りなく深く際限がありません。情報を集めることに疲れてしまいます。

正直なところ、信用できる人にすがった方がよほどに楽だとは思うことになります、時間もムダだし。

このどうどう巡りから早く解放してほしい、皆が納得する情報を早く公開してよ、陰謀論と罵った奴らの鼻を明かしてやれるような、明白な事実を公開して!! と陰謀論を信じる人は待ち焦がれる日々が続いていると思います。

しかし、その場に留まる限りは、陰謀論者が望んでいるような解放を得られることは、おそらく、ないのだろうと、この頃は思っています。

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