2026年1月8日木曜日

自己完結型の満足は世の中の役に立つのか

年末に書いた、写真家の相原正明さんの言葉が気になっています。

定年後、写真を始める男性の陥りがちな、人との付き合いが苦手だから「風景写真」や「スナップ写真」を撮ることにして、それをどうやったら人に届くようにできるか、的な問いかけに対するものです。

最近流行っているのかどうか、「ひとりキャンプ」とか、単独行での登山とか。「ひとりめし」など、個人でのレジャーや趣味が日本では一般的になりました。

気の合わない人と共にするくらいなら、自分で好きなものを好きなだけ、という、自己満足系の生き方です。

このような生き方に「意味」があるのかと考えていたからです。

これは禅問答にある「深い森の中で一本の木が倒れた時に、音は存在するのか」という問いかけでもあります。

個人がどんなに「感動」したとしても、それが個にとどまる限りにおいては、誰もそれを知ることはできません。「感動」を誰かと「共有」することによって、初めて他者に伝わる。

そういう行為をしない「自己満足」は、その人にとっては至福の体験でしょうが、「意味」があるのかと。

人間は関係性の動物ですから、その感動は他者に伝わらない限り「存在しない」と考えていました、

しかし、ふと思ったのです。

この世は、結局は波動でできているという説があります。このスピ系の言う「波動」というものの実態が何なのかはわかりませんし、現代の科学においては、それこそ存在していないものです。

ただ、色々と考えた結論としては、世界は波動出てきているという、訳のわからない話も、実はそうなんだと思うようになりした。

その前提でのハナシです。

「波動」ですから、「高い」「低い」があり「共振」「打ち消しあい(逆位相)」みたいなこともあるわけです。

個人の「感動」は、結果として個人の「波動を上げ」ます。いわゆる「アゲアゲ」です。

その波動は、誰かに伝えなくても、この世の波動に少なからず還元されるのではないかと思ったわけです。

それは言葉を介さなくても伝わり、言葉を介して誰かと「共有」すれば「共振」してさらに波動は増幅され還元される。

そう考えると、個人の波動が上がる経験は、この世の成り立ちに対して「存在しない」ではなく、何らかの影響を与えていると考えることができます。

おそらくは、人と分かち合った方が「増幅」されるので、より影響が大きいのだと、そういうことなんだと思ったわけです。

世の中をすこしでも良くするには、「良い波動」で満たす必要があります。

波動は、世界そのもがそれでできている以上、人の感情や思いに何らかの影響を受けているわけです。

そう考えると、自己満足型の感動も、何らかの世の中の役にはたっているのではないかと思い至り、少し腑に落ちたわけです。

スピ的な話でしたが、今日はここまでとします。


0 件のコメント:

コメントを投稿