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2001年5月30日水曜日

【シベリウスの交響曲を聴く】 バルビローリ指揮 ハレ管による交響曲第2番




指揮:バルビローリ 演奏:ハレ管弦楽団 録音:Dec 1952 The Barbirolli Society, CDSJP 1018(輸入版)
バルビローリ協会によるCDで、これは1952年の録音である。バルビローリのシベリウス・ディスコ・グラフィーが解説の後ろにあるのだが、これによると彼は交響曲第2番を四度ほど録音している(1940、52、62、66)。最後が全集として発売されているものだと思われるが、このディスコ・グラフィーを見る限りにおいては、他の交響曲で四度も録音したものはない。3、4、6番などは一度しか録音していないようで、彼の「お気に入り」だったことが伺える。
バルビローリといえばシベリウス演奏では日本で 人気のある指揮者なんだと思う。そのルーツともなるような演奏といえるか。誰かもHPで述べていたが、この演奏を聴くと、「ハレ管の演奏は非常に腰の軽い演奏である」という感想に同意することができる。録音が古いせいか音質も少々 雑であるし粗さも目立つのだが、一般的にシベリウスの演奏というものをイメージしたときの冷ややかさや怜悧さ、あるいは激情の中 にも凛とした感じを味わうことができる。
「腰が軽い」とは言っても演奏自体が軽々しいというのではなく、フットワークの軽さと言った方が良いのかもしれない。 ゆえに独特の、時に荒々しいまでの推進力を感じる部分もあるのだが、感情にまみれきった演奏ではなく清々しさが漂うという印象だ。 老齢さとか晦渋さは全くなく、若々しい演奏というように言っても良いのかもしれない。若さゆえのほとばしりはあちらこちらで聴くこともできる。聴いていて、嫌味なところがなく非常にストレートに曲が伝わってくるように思える。
そもそも、この交響曲は人気の高い曲ではあるし、続く3番以降の交響曲とは一線を画した(まだ後期のシベリウスの世界の萌芽が見られる程度)と思われがちである。形式の点では第三楽章から第四楽章を連続して構築していることから、「有機性」の現れと見る解説も多いが、むしろ私は、2楽章のありように注目してしまう。
彼の書いたこの第2楽章は幻想曲風でありしかも、そのテーマからしてもある種の暗さと死の陰を投げ掛けている。だから、終楽章のフィナーレでの圧倒的な勝利もこの曲の魅力といえるが、バーンスタインの施した解釈のような演奏があっても良いと思えるのだ。バルビローリは、迫り来る死の陰、そして、ある種の葛藤を超えた先の喜びなどを、余計な心情を付与することなく、しかもエレガンスに我々の前に提示してくれているように思える。
演奏の感想というものは、こうして書いているとつくづくと語彙の貧弱さを呪い、伝えたいことの半分も表現できないもどかしさにかられる。
ひとことで言うならば、「結構イケてる演奏じゃん」ということなのだ。HMVの廉価版CDで、もののついでに買ってみた盤ではあるが、 2番を聴いた限りにおいては、そのイキのよさと「いかにもシベリウス的な音」という意味においても、一聴の価値のある演奏ではないかと思うのだ。もっとも、バルビローリの他の演奏との比較で聴いている訳ではないので、あくまでも今の時点での感想であることは断っておく。
(*) S.SudaさんのHP(Tapiola)によると、 「バルビローリ協会の CD は、第3楽章と第4楽章の変わり目を誤って」いるとのこと。楽章演奏時間は上に示したものが正しいそうです。

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