- ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
- ショスタコーヴィチ:交響曲第9番
- 2002年6月30日(第5番)、5月14日(第9番)
ゲルギエフのショスタコーヴィチ交響曲第5番を聴いてみました。日本語盤の解説は宇野功芳氏です。例によって絶賛の嵐ですが、さて私の聴いた感想といたしましては・・・
ゲルギエフは昨年7番が話題でしたが、今回はポピュラーな5番と比較的マイナーな9番のカップリングです。ゲルギエフは何度も書いていますが、私の好きな指揮者の一人ではあるのですが、昨年の日本公演でのマーラー(3番)にしても、話題と言われたショスタコービチの7番の録音にしても、今ひとつ心琴に触れるところまではいかなかったというのが正直な感想でした。
ゲルギエフの持ち味の一つであった粗々しさというものも、商業的な芸風として扱われるフシもありましたし、もしかしたらゲルギエフの真髄は、風評とは別のところにあるのではないかと考えたりもしていました。
そういう意味から、ショスタコの5番は期待と不安を錯綜させながら聴く事になったのですが、実はこれはなかなか言葉に表すことのできない素晴らしい演奏に仕上がっており、久しぶりに満足ができました。
私がCD評のお手本とするClassical CD Information & Reviewsでは以下のように書いています。
いずれも演奏も技術と表現の両面において完成度が高く聴き応え十分の名演といいうるものですが,私のようにこれまでこのコンビが聴かせてきた荒々しさやざらつきのようなものを求める向きからすると,物足りなさを感じてしまうかもしれません。
私は逆にそうは感じませんでした。荒々しさやざらつき というものは、もしかしたら彼の持ち味ではないのではないかとさえ、今回の演奏で思ったのです。
ショスタコの5番としては、演奏的な解釈はオーソドックスのように思えるのですが、1楽章冒頭からフィナーレまで、表現力の多彩さ、そして音楽的なふくらみと包容力はかつてないほどのように思えます。テンポは全体的にゆっくりに感じますが、重要な部分では大胆なアゴーギグをかけたりもしています。打楽器や金管楽器の迫力、それに低弦のパワフルな刻みなど、曲全体に驚くべきの生命力を与えているようです。
しかし、一番驚いたのは。第2楽章の最後のオーボエ・ソロの部分のスローテンポでも、脳天を叩き潰すかのような打楽器の強打を伴ったフィナーレでもなく、第3楽章の恐ろしいまでのヴァオリンのpppをバックに奏でられるメロディでした。この演奏では時間さえもが引き延ばされ、銀色に輝く一本の糸から真珠のような数々の想いがハラハラと零れ落ちるかのような、あるいは音楽が分解され再構築されてゆくかのような感じを覚えました。演奏は非常に丁寧ですし音楽的な効果を計算しつくしているように思えます。
日本語盤の解説は例によって宇野功芳ですが、彼の言う「格調高い悲劇」ということは、今ひとつ理解できませんでしたが、ゲルギエフの表現力の多彩さを聴くという意味からは満足の行く盤でした。
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