2005年5月13日金曜日

ブログについての春秋の話題

Six Apartの ひらた だいじ さんのブログdh's memorandaにおいて日経新聞 4月30日の春秋の「ブログに関する記事」が紹介されていました。




ブロガーが国内で200万人も居ることに触れ、


▼有名になりたいのか。自分に酔っているのか。書き込みに精を出す40代の男性に聞くと答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。


なるほどねえと、再びしみじみ。世には「誰も読んでくれなくたっていい」って思う、健気というか控え目な方がウヨウヨ居るってことですか。と翻って自分のことを考えて、なぜブログ(非ブログ時代も含めてだが)なら続くのか。

自分を律したいと思ったことはさらさらないですし、春秋記者が指摘するボクやワタシの話を聞いてほしい自称評論家やタレントだとも思いませんが、ネットという実態のない壁の「向こう側」壁に延々と語りかけることそのものに、何かしらの精神的安定を求めているのだとしたら、ある種のそら寒い病理を感じないわけではありません。


書く内容がなくなると、ちょっとサビシイ思いをしますが、だからと言って人のエントリを「盗用」するのも何なので、その時は止めるまでです。時々自分でもアホらしくなるし。


2005年5月10日火曜日

テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番 「夜の歌」


本日は四谷でポルトガル料理を食し非常に良い心持。GW明け早々から、滅多矢鱈と忙しいハメに陥ることもなく何よりと心をなでおろし、帰宅してからそういえばと以前に買っていたテンシュテットのマーラー 交響曲 第7番を聴く。

テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番「夜の歌」
  1. 第1楽章 ゆるやかに~アレグロ・リゾルート・マ・ノン・トロッポ 24'07"
  2. 第2楽章 夜の歌Ⅰ(アレグロ・モデラート) 17'32"
  3. 第3楽章 スケルツォ(影のように) 11'10"
  4. 第4楽章 夜の歌Ⅱ(アンダンテ・アモローソ) 15'30"
  5. 第5楽章 ロンド=フィナーレ、アレグロ・オルディナリオ 19'53"
  • クラウス・テンシュテット指揮 ロンドンpo
  • 1993年5月 Live ロイヤル・フェスティバル・ホール
  • EMI決定1300 TOCE13563.64

私のマーラー遍歴など、とても人に言えるほどのものではなく、未だにマーラーの全交響曲を空でイメージできる境地には程遠い。であるからしてマーラーの7番も、以前に聴いたのは一体いつのことであったか、そもそも、どういう曲だったかほとんど思い出すことができない。曲の難解なイメージと「夜の歌」という標題に惑わされ、霧の彼方にぼんやりと浮かぶ音楽というのがこの曲の印象だった。

そういえば、かなり以前に札幌のPMFの屋外コンサートでの演目で「夜の歌」が演じられたことがあった。妻と当時小学低学年の息子を連れて行った件のコンサートは、その実死ぬほど退屈で心の底から来たのが失敗だと思った。演奏は全く覚えておらず、鳥のさえずりばかりが気になったことが唯一の印象であった。

そういうわけなので、テンシュテットの本盤が極めて名盤であることは知ってはいたものの、今ままで敬遠してしまっていた。たまたま気分の酔い今日に聴き始めたときも、再び退屈地獄に陥るかもしれないと懸念を抱いていたのだが・・・果たして結果はといえば・・・げに凄まじき演奏であり、またこの曲の持つ魅力の一旦が垣間見えた気になった。

徹底的な「明」の世界を提示している第5楽章など続けて数度も聴いてしまったほどだ。この単純なほどの明るさと分かりやすさは、マーラーの憧憬なのか捩れた諧謔なのか判然としないものの、ただひたすらに圧倒的されてしまうことは否定できない。楽章冒頭のティンパニの連打など笑ってしまうほどの決然とした響きで驚く。この音楽のありようは、マーラーのこれまでに歩んできた道程を考えると、少し楽天すぎぬのか?という疑問が沸くのだが、それを書けるほどにはまだ曲に馴染んでいない。

それにしてもテンシュテットの演奏である。打楽器のこれでもかという迫力、トロンボーンの音色、トランペットの勝利に似た響き、怒涛のがぶり寄りのような勢いは凄まじく、この楽章だけ取り出して聴いたときに感じる爽快感は罪作りであり、ラスト近くは随喜の涙をこらえることが困難でさえある。

いや考えてみると、どの楽章も、「それだけ取り出して聴いて完結」しているのではないだろうか、と思い始めた。第7番の曲の構造を解説するとき、ABCBAの対照的な楽章構成だとか、1楽章のテーマが終楽章の結尾で現れ全曲に統一感を与えているなどと説明されるが、演奏時間が1時間半にもなんなんとする曲のテーマを覚えていられるほどに果たして聴衆は耳が良いのか。むしろ楽章を独立して聴いた方が曲の持つ意味を理解できるのかもしれない。

「夜の歌」という標題に騙され、今まで暗い曲というイメージを抱いていたが、実際はそれほどに暗澹たる曲でもない。むしろ脈絡のない思いが入り乱れる夜の夢想のような趣だ。また第5楽章は確かに聴きやすいが、この曲の魅力を探るには、やはりそれ以前の楽章を丹念に聴く必要を感じる。

それに何と言ってもこの演奏はテンシュテット最後の演奏会のものである。その点からも、とても疎かには聴けないのだが、グダグダといい加減な感想など書かずに、syuzoさんのページでも熟読して再聴でもしてみることにしよう。ポルトガルワイン(ポートワインを含む)によるほろ酔い気分での雑エントリでありました。

2005年5月9日月曜日

カブキを見にゆく ということ

戸板康二の「続 わが歌舞伎」の まへがき の冒頭に以下のようにあります。


先日、ある先輩が、なにしろこの頃の人達は、かぶきを見にゆくといふんだからね、時代が変わったよ、と嘆息するやうにいはれたのをきいて、自分でも初めて気がついたことなのだが(以下略)


え?「歌舞伎を見に行く」のどこが変なんだ?と昭和24年の戸板に問いかける、その答えは最後の章『芸談とは』にありました。





若い世代の人々は「カブキを見にゆく」といふが、老人は「菊五郎を見にゆく」といふ。つまり、演劇でなく、それをしばやといふ古風な発音をする年齢の見物にとつては、依然、歌舞伎は俳優を中心としたものであることに間違ひはない。


成る程、そうでありましたか。考えてみれば、ディープなクラシックファンは「音楽会に行く」とか「コンサートを聴きに行く」とは言わない。「ラトルのマーラーに行く」とか「ハーンのショスタコを聴きに行く」と言うわけであり、その点、ディープなファンにとっては、依然、コンサートはパフォーマーを中心としたものであることに間違いはない、という当然のことに気付いた次第。


さて翻って歌舞伎。海老蔵や七之助の二枚目振りはテレビなどで「そういうものか」と分かったものの、顔だけでファンになるほどに女性的でもミーハーではないし、かといって役者の個性など分からない。
團十郎が云々だの、富十郎がどうの、と言ったところで、それはある芝居での一面的なものでしかないことは承知の上、駄文を積み重ねている。


それでは、いつまでたっても、オーケストラごとの音色の違いとか、オケのメンバーの名前さえ覚えることができない、ナサケないクラシックファン(>俺だよ)と同じであるよなあ、などと、海老蔵の写真集を横目に眺めながら思うGW最後の休日でありました。


2005年5月8日日曜日

NHK BS:醍醐寺薪歌舞伎 勧進帳

5月7日のNHK BSで、今年の4月27~29日に世界遺産に登録されている京都・醍醐寺の境内で行われた「醍醐寺薪歌舞伎」の上演が放映されました。途中から見ましたので新作舞踊「由縁の春醍醐桜」は見られませんでしたが、「にらみ」と「勧進帳」は非常に見ごたえがありましたので、簡単に感想などを記すこととします。

まず成田屋伝統の「にらみ」。團十郎の「にらみ」は襲名披露依頼20年ぶりとのことで、みなさんの邪気も、私の邪気も払いたいと言ってから、グっとにらみに入るところ、表情の変化などテレビ映像ならではの迫力でした。

さて「にらみ」といえば最近読んだ戸板康二の「続 わが歌舞伎」には以下のような記載があります。

��荒事の主人公が、思ふ存分を発揮する形を示すといふことには)、僕の考えでは、團十郎(と仮にしておく)が、観客を代表し、もしくは観客のために、春のはじめに、四方にむかつて、見得を切ることによつて、一種の厄払いをする心持があったのではあるまいかと思ふのである。

なるほど「にらみ」が邪気を払うということは、歌舞伎浸透の文化から考えても特別な意味を内包しているのかと得心。そういう深い意味も込めた團十郎の「にらみ」、更には大病を患った後の復帰という心持もあるのでしょうから、見ているだけで有難い気持ちになってきます。もっとも十二代目團十郎は、非常に上品な顔立ちをしておられますから、ギロリとしたより目の見得にしても、どことはなしにユーモラスな感じが漂うというのは、私の勝手な解釈でしょうか。

さて、続いては「歌舞伎十八番 勧進帳」、演ずるのは弁慶に團十郎、富樫に海老蔵、そして義経は時蔵です。親子で勧進帳を演ずるのは海老蔵の襲名披露以来のこと、しかし昨年は團十郎が大病のため途中降板という無念の涙を飲んだ舞台でした。ですから再びこうして勧進帳を演じられることの喜びは、ひとしおであるのだろうと思います。

ただ、この有名すぎる演目であっても歌舞伎初心者の私には、「勧進帳って義経と弁慶が出るんだよな~。富樫って誰だ?」くらいの予備知識しかなく全くの初見であり、それ故テレビへの集中だけでは台詞を聞き取りきれなかった部分も多く、まさに無念ともいえる鑑賞結果でありました(TV放映に予め気付いていたならば予習くらいしたものを)。しかし歌舞伎の持つ様式美やら團十郎や海老蔵の演技など、それなりに堪能することができましたし、さらに「薪歌舞伎」という引き幕のない特殊な舞台での演目という点でも興味深いものがありました。

実際の客席で観るのと映像を通して見るのでは、全く印象が異なるのだとは思いますが、4月の歌舞伎座での團十郎(毛抜)を思い出しながらテレビに接していますと、團十郎という役者は性格的な大らかさを感じる俳優であるのだなあと改めて思いました。團十郎が居ることによって独特の存在感と安定感が生じますし、声の調子に長調的な明るさと底力があり、それが張りとなって舞台の空気を引き締めます。(團十郎に否定的な意見も読んだことはありますが)私としては台詞回しを聴いていて非常に心地よい。

対する海老蔵は高調子な声音。歌舞伎座の幕見席では役者の顔など全く伺うことなどできないのですが、テレビでアップで見ますと、流石に人気の出るだけある美男子であることを再確認、身体から匂い立つような品格は彼独自のものなのでしょうか。「ご機嫌!歌舞伎ライフ」のyukikoさんは、勧進帳の前に行われた柴燈護摩での海老蔵を以下のような描写で的確に表現されています。

するとお堂の陰からふいに平安時代の公達が物思いに沈んだ様子で現れ、見ればそれは海老蔵。光源氏と見まごうばかりの美しいその姿はまるで王朝の世にタイムスリップしたかのようでした。

海老蔵演じる富樫は関所を守る役人ですから公達ではないのですが、勧進帳においても確かに高貴さが漂っていました。それが富樫役として適切なのかは私には判じかねますが、弁慶とは違った情と存在感を示していたとは思います。山伏問答では、弁慶の余裕の問答にあせりながら、だんだんと押され気味になってゆくところなど、なかなかに見せてくれましたし、富樫の一番の見せ所(以下)も立派ではありました。

弁慶 笈に目をかけ給うは、盗人ぞうな。
 ト 四天王立ちかかるを
   コレ。
 ト 金剛杖を突きこれを制し
 ♪方々は何ゆえに、かほど賤しき強力に、太刀かたなを抜き給うは、目垂れ顔の振舞、臆病の至りかと、皆山伏は打刀ぬきかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔鬼神も、恐れつびょうぞ見えにける。
 ト このうち弁慶は金剛杖、皆々刀に手をかけ、双方詰め寄りとなり、キッと見得。
弁慶 まだこの上にも御疑いの候えば、この強力め、荷物の布施物もろともにお預け申す、いかようとも糾明あれ。但しこれにて、打ち殺し見せ申さんや。
富樫 コハ先達のあらけなし。
弁慶 しからば只今疑いありしは如何に。
富樫 士卒の者がわれへの訴え。
弁慶 御疑念晴らし、打ち殺し見せ申さん。
富樫 イヤ早まり給うな、番卒どもがよしなき僻目より、判官殿にもなき人を、疑えばこそ斯く折檻もしたもうなれ。いざな今は疑い晴れ候。とくとく誘い通られよ。

それにしても、勧進帳は本当に見所の多い歌舞伎です。「天地(人)の見得」「元禄見得」「石投げの見得」など要所要所で決まる見得の見事さと美しさ。勧進帳を読み上げた後の♪ 天も響けと読みあげたりで決める、その名も「不動の見得」も立派。後追いで調べているので、テレビを見ながらいちいち、これが「元禄見得」だ、などと得心していたわけではありませんが。

ちなみに不動見得とは市川家が信仰してゐた(成田屋という屋号もそれから来てゐる)不動尊のすがたをそのまま写した見得のこと(文、絵とも「続 わが歌舞伎」P.119より)。

最後は有名な「飛び六方」で締めくくられますが、これはまさに「勧進帳」を勧進帳ならしめる六方です。映像では、カメラを花道の突き当たりの揚幕のあたりに据え、六方を踏みながら突進してくる團十郎をとらえているのですが、あまりの迫力にかカメラの焦点が合いきらずボケ気味の画像であったのは少々残念ではありました。

普通はこの飛び六方、幕引き後の花道で演ぜられるものですが、今回は醍醐寺を借りて演じていますから幕がありません。静々と富樫が奥に引き込むのを見送った後に、渾身の六法となりました。義経演ずる時蔵に一言も言及できませんでしたが、まあご勘弁を。勧進帳ではやっぱり義経は脇役ですから・・・

尚、本文中の勧進帳テキストは、ウェブ上の以下を参考にさせてもらいました。

2005年5月4日水曜日

JR西日本の事故とpunctuality

JR西日本の事故に関してNorimitsu Onishi氏(ネット界ではちょっと有名な記者ですが)のN.Y.Timesの記事を紹介しながら、下記のように書く擬藤岡屋日記のFlamandさんの意見に頷く点はあるものの、
我々および社会のpunctualityに対する信仰に近いdemandがある限り残念ながら今後もこのような悲劇を避けることは難しい
とするならば、解決の糸口は果たしてあるのかと暗澹たる気分に襲われることも否めません。

秒単位の巧緻なシステムを作り上げていた旧国鉄時代からのダイヤは、日本の一面を象徴していたはずです。punctualityを導くような勤勉さとか真面目さ、システムに対する厳格さが日本の文化的特質であり、ひいてはこれが近代日本を作り上げて来た力であると信じてきたところがありますが、実はそれは、多大なる犠牲と無理の上に成立した幻想でしかなかったのか、あるいは社会がいつの間にか変質してしまったのか、いや、そもそも、そんなところにまで事故の遠因を求めるべきなのか。それでは亡くなった方々はとてもでないが浮かばれまい。ということで、拙い思考は出口を失います。

事故当日のボーリング大会と事故車に同乗していた運転士の行動に対する批判についてもちょっと考えています。彼らを糾弾するマスコミや一部世論の嘘寒さは別としても、改めて「共同体における当事者意識」のスコープについて考えさせられる結果となったことは確かです。どこまでを「他人事」であると判断するかは、事の重大さのとの天秤において判断されましょうが、その判断基準とて個人の属する共同体の規律や個人を形成してきた文化的なものに左右されるのではないかと思うのです。

今回の事件は人命がかかっているため、最優先しなければならない事件であったと思われますし、JR西日本には弁解の余地は余りないようには思えるものの、それでも事故の責務とその場の責務を考えた場合、取るべき行動を冷静に判断するのは極めて困難ではなかったかと思うのです。逆にその場の状況を見て咄嗟に自分が出来ることを行おうすることが、意識無意識のうちに何ものかに阻害さていたのだとするならば、個の責務を免責するわけではないものの、社会に何かが欠損していると考えるべきなのでしょう。

先のpunctualityに象徴されるシステムへの無条件な迎合や厳格さが、上記の要因の一つであるならば、やはり暗澹たる気分は深まります。陳腐な日本文化論みたいになってしまいましたが、事故の原因もJR西日本社員の当事者意識の薄さも、確かに深いところの根は同じなのかもしれず、事故が見せ付けた日本社会の断章は、またしても生じた集団的袋叩きと連帯責任を問う声も含め、あまりにもグロテスクであると言えます。でも、残念ながらk-tanakaさんの書かれるこういう主体性のなさをみると日本人って前近代的な民族だなあと思うし、これこそ天皇制が生きながらえている理由なのだろう。という達観にまでは到達できない。

事故にあわれた方におかれましては、ご冥福を心よりお祈り申するとしか書きようがございません。

2005年4月28日木曜日

戸板康二:わが歌舞伎

歌舞伎を見終わった後、天気もよかったのでポクポクと歩きながら奥村書店へ。ここは歌舞伎・文楽・能・狂言・日本舞踊をはじめとする演劇全般を扱っている専門店。



つらつらと棚を眺めていたら、戸板康二の「わが歌舞伎」「続わが歌舞伎」という歌舞伎の古典的な入門書が2冊で千円で売られていました。発行は昭和23年と24年、本の痛みもかなりで、しかも個人の蔵書印なども押されているのですが、歌舞伎の感想などを生意気にもブログに書いていておきながら、戸板康二の一冊も読んでいないなどは、とてもでないが大きな声では言えないなあと思い購入した次第。

戸板まへがきに曰く。

最近、歌舞伎は大入満員の盛況である。しかし、之を以て歌舞伎の復活をいふのはまだ早い。第一に不思議なのは、見物が静かな事だ。静かといふと聞こえがいいが、実は無表情、無感動なのである。(中略)

が、理由は一応簡単だ。歌舞伎を知らないのだ。

と書き始め、

事実歌舞伎は難しい。が、能のあの極度に圧縮された象徴的表現と比べれば、之はずっと現実的で、一見わかり易い。が、却ってそのわかり易い外見のために、人々は深く考へるといふことをせずに、何けなく歌舞伎を見過ごしてゐるのであるともいへる。くりかへしていへば、歌舞伎はそのなまじつかな大衆性のお蔭で、一番大切にしなければならぬ大衆の心を見うしなはうとしてゐるのである。

と書いています。昭和20年前半においてこの歌舞伎評ですか(だって戦後すぐだぞ)、これは面白いです。翻って中村勘三郎の襲名披露に賑わう21世紀の歌舞伎空間、幕見席であっても立見も満杯の満員御礼が続く状態、掛け声もひっきりなしにかかるところではありますが、いかがなものなのでしょう。

本の内容は歌舞伎の演技・演出に対する目の据ゑどころ、即ち鑑賞の重点を解説したものとあるように、「役柄の話」「演技の話」と章立てして細かに成り立ちを含めて解説してあります。読みながら、ほーほーと思うことしきり。副題に芝居図解とあるように鳥居清言氏の挿絵も味わいがあって、興味が尽きませぬ。ゴールデンウィークは時間が結構ありますから、ゆるりと読むことといたしましょうか。



2005年4月27日水曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 京鹿子娘道成寺


四月大歌舞伎の観戦記の最後、忘れぬうちに「京鹿子娘道成寺」の感想も書いておきましょう。もちろん白拍子花子は勘三郎です。もっとも長唄にまでは予習が廻らず、ぶっつけでは唄がほとんど聴き取れない、それでも多彩な踊りはそれとなく堪能することができました。

渡辺保さんの歌舞伎評では、勘三郎の娘道場寺を次のように評しておられます。

ことに私が感嘆したのはそのクドキ。美しさや持ち味で見せる「道成寺」は他にやまほどあるが、これは踊りで見せるクドキである。その芸の、スケールの大きさ、豊満さ、見事さ、今が見頃の満開の桜。感動的であった。

両手に手ぬぐいを持っての踊りの細かな所作について、どこがどう素晴らしいのか言及した後に、以下のような賛辞。

ということは勘三郎の今度のクドキが美しさとか持ち味とかいう曖昧なものではなく、体を限界まで目一杯使って空間に娘を造形しているということだろう。空間に体の形を刻み込んでいるといってもいい。その造形こそが踊りそのもの。人工の極致である。

なるほど、勘三郎の充実振りがこの文章を読むだけで伝わってきます。他と比べたこともないので、そこまでの素晴らしさは残念ながら私にはわからない。ただ次々と変化してゆく踊りを観ながら翻弄されるばかり、何と多彩な踊りなのでしょう。

最初は烏帽子をつけた能がかりの舞から始まります。形式美を十分に感じさせる厳然とした踊りですが、その後に衣装(いわゆる“引き抜き”)も音楽も、がらりとくだけた娘心の踊りに変わる。あれまと、雰囲気から場の空気まで全然変わってしまったことに、しばし呆然。踊りだけでこんなに表現できるとは!

「恋の手習い」のクドキでのしどけなさもなかなかのもの、立役の多い勘三郎なのでしょうが、彼の女方というのも味わいがあります。さらに感心したのは鞨鼓や鈴太鼓を手にした早間(急テンポ)の踊り。そのリズミカルさ、キレの良さ、まさに鞠が跳ねるかのような躍動感とドライブ感。天性の勘の良さや極めて現代的なセンスを感じました、そこが勘三郎の人気の秘密なのでしょうか。

勘三郎の踊りに関してはねこっぽ雑記のエントリが目にとまりました。

勘三郎さんの台詞回しを動きに翻訳したらこうだよな、という感じ。動きがちゃきちゃきしているというか分かりやすいほどはっきりしているというか。叩くところは叩く、回すところは回すという感じで後になればなるほど「えっ!?」というほど激しくなる

そうですね、この後半になるに従い激しくというところに凄みさえ感じる。伴奏の三味線も、超絶技巧とでも言いましょうか、それはそれは激しくも素晴らしい音楽、思わず拍手が鳴り響きます。聴いていてちょっと震えのきそうな部分です。

この二つの場面(鞨鼓と振り鼓の場面)の動き方自体もとんでもなく激しくて、玉三郎さんの道成寺のイメージが大きかったうちの母親はカルチャーショックを受けていました。

ねこっぽさんは玉三郎の踊りに言及されていますが、人によってかなり違う表現になるようですね。激しさは清姫の怨霊の恨みの強さと激しさなのでしょうか。鐘の中に隠れるのはそれこそ、あっという間の出来事。

最後は鐘の上で見得を切る型ではなく、鐘の中で鬼に変身した花子を團十郎の大館左馬五郎が押し戻しをするというもの。歌舞伎十八番の娘道成寺での押し戻しは、東京では何と23年ぶりの上演なのですとか、これを見るだけでも価値はあったかな。勘三郎と團十郎が揃って見栄を切って幕となるところは、もう天晴れ。これぞ歌舞伎の快楽極まれり。

所化の配役の豪華さも襲名披露ならではとのことですが、歌舞伎ミーハーになれるほどには歌舞伎俳優を諳んじているわけではなく、この点はノーコメント(というか、よく見えん、分からん)。なにやら途中で所化たちが客席に向かって投げていましたが、あれは何ですか?(蛇っすか?>手拭っす) まるでアイドル歌手のコンサートのよう・・・。それにしても、皆さん遠目でも誰が誰だか分かるんですね(@_@) 改めて恐るべし、歌舞伎ファン!

ところで、鐘にのぼっての見栄といえば、「てぬぐいぶろ」さんが、こんなにナイスな画像を提供しておいでです。ご覧になっていない方は、お訪ねあそばせ。(>つーか、歌舞伎ファンで、あちらを読まずこちらを読んでいる人はいねーよ)

2005年4月26日火曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 ひらがな盛衰記~源太勘当


25日の本日が千秋楽となってしまった中村勘三郎襲名披露の二月目、休日に幕見席に並んで、「ひらかな盛衰記~源太勘当」と「京鹿子娘道成寺」の二幕を見てきました。

相変わらず襲名披露歌舞伎は凄い人気のようで、2時間近く前でも木挽屋(弁当屋)の近くまで列ができています。早い人は3時間近く並んでいるのでしょうか。当然のことですが、5月の公演も一般発売が開始されたときは、ほぼ完売状態・・・3ヶ月で延べ28万5千人が襲名披露公演を見ることになるのですとか・・・恐るべし歌舞伎ファン。


最初の「源太勘当」は、梶原平次景高の勘太郎と梶原源太景季の海老蔵の競演が見所の芝居。しかし他のブログでも指摘されていますが、海老蔵の演技が圧巻でした。平次は悪役でありながらに喜劇味を帯びた豪放磊落な味と、源太の恋人を狙う色の濃さなどが必要な役柄、これを海老蔵がいかにも上手く演じています。声音といい態度といい、圧倒的な雰囲気を醸し出していて主役のはずの勘太郎を食ってしまった感さえあります。「毛抜」の勅使桜町中将役だけで海老蔵を判断していたら、えらいことになるところでした。

それにしても夜の部で團十郎の弾正を見たせいもあると思うのですが、遠くから見ても團十郎に似ていますね。たった二芝居だけで判断するのは早計に過ぎるとは思うものの、成田屋の懐の大きいさとか、おおらかな明るさというのは芸風なんでしょうか。もっとも海老蔵に平次役はガラぢゃないとの意見もあるようですが、私は楽しめました。

対する鎌倉一の風流男の源太を演ずる勘太郎なのですが、これは役柄のせいもあるかもしれませんが、ちょっと演技が大人しすぎる。兄を蹴落として(殺してでも)千鳥を手に入れようとする弟平次に対し、武道で打ち負かしてしまう強さを持ちながらも、頭をかかえ這這の体で、逃げ帰る平次に注目が集まってしまうのは、何とも。

��平次)「世間は切腹したにして、其の首刎ねて埒明けう」とずばと抜いて切りかゝる刀の鍔際むずと取り「兄親に対し尾籠の振舞、腰抜の手並腰骨に覚よ」と引っかづいてどうと投げ付け、起しも立てず刀の背打(むねうち)。りう/\はっしと撲のめせば「あいた/\」と顔しかめ、はふ/\逃てぞ入りにける

見終わって感想を書こうと思っても、これといって源太のよかったところが思い出せない。よほどに難しい役なのであろうなあと、今になって思います。七之助事件がなければ、源太は七之助が、勘太郎は源太の恋人の千鳥を扮するはずっだったらしく、そうであったならまた印象も違ったでしょうか。

この芝居は、源太、平次の母親である延寿も重要な役割を果たすのですが、これは秀太郎が演じていました。延寿は歌舞伎の「三婆」の一つにかぞえられることもある難しい役どころ。源太を切腹から救うためわざと勘当を言い渡した後の場面、

一度にどっと打ち笑ふ源太は変りし我が姿の、恥も無念も忍び泣き母は我が子を助けんため、人前作る皺面顔。怒る擬勢も苦口も詞と心は裏表、『命がはりの勘当ぢゃと思ふて堪忍してくれ』と、云ひたさ辛さ泣きたさを、胸に包めど包まれぬ悲しい色目悟られじと「ヤア皆の者があの態を見て、おかしがるで母もをかしい。あんまり笑ふて涙が出る。ハヽヽヽ」と高笑ひ、泣くよりも猶あはれなり。

心のうちを隠して、皆に合わせて笑わざるを得ない難しさ。秀太郎の延寿も悪くはないのですが、三婆のひとつ微妙(盛綱陣屋)を演じた芝翫の思い出すに、芝翫だったらどうであったろうなどと考えたりしました。あくまでも歌舞伎ですから、愁嘆場もあまり生々しくなってはちょっと興ざめですし。

物語的には、この後頼朝卿より給はりし産衣の鎧兜、誕生日の祝儀に持って行けと源太に渡し、鎧と一緒に千鳥も付いていたという母親の計らいがあるのですが、源太が恥辱を雪ぐ合戦に恋人を連れ立って行けとは、足手まといにならんのかねえ、などと考えるのは野暮なことなんでしょうなあ。

2005年4月25日月曜日

写真集:内山英明/東京デーモン


「東京の夜は悪夢のように美しい」~東京デーモン 魔都TOKYOの夜景写真集

内山 英明の写真集です。「東京デーモン」というキャッチにひかれて手に取ったのですが、数多ある東京の写真集とは一味違うものを感じました。

内山英明氏は1949年生まれ、『JAPAN UNDERGROUND』などの写真集で有名です。私たちの住んでいる世界のすぐ裏側に展開している世界を、実に見事な映像で見せてくたものですが、この東京デーモンもそのテーマの延長にあるように思えます。

都市へのアプローチは批判的でも否定的でもなく、それ故にコンセプチュアルな都市論は感じられません。そういう方向ですから、写真はむしろロマン的な雰囲気を帯びており、内山氏が私たちの見ている世界の断章ともいうべき風景に、生暖かい愛着と美しさを感じていることが伺い知れます。それは彼が自らの作品を語っているように、暗黒のもつ甘美さと恐怖への憧憬と感じられます。まさに東京世代の原風景なのかもしれません。

闇の底深く沈みゆくTOKYOの街の耽美(たんび)な輝きは心までも空虚にさせる。(中略)そんなときだ。吹き渡る一陣の風とともに物狂いするような爽快な淋しさが突然、胸を突き上げてくるのは……。夜の中にポッカリとした裂け目が広がる。裂け目から幻のように現出するもうひとつのTOKYOの姿、その一瞬の『刻(とき)』の姿が私は好きだ。

耽美的なまでの輝きと、都市の中にポッカリと浮かび上がる巨大建築群や廃墟、それに奇妙なオブジェたち。このように書くと単なる陳腐な都市写真でしかないようですが、彼の写真からはその先に蠢くゴシック的な魔界の存在を暗示させてくれます。まさに「魔窟」という表現が適切なのですが、「魔窟」という言葉の持つイメージが、これまた陳腐化しているため、ちっとも彼の映像の魅力を文章では伝えられません。

写真集を買ったわけでないのですが(>だから買った上で感想書けよ)内山氏の名前は記憶にとどめておくとしましょう。

2005年4月24日日曜日

【本棚】吾妻ひでお:「失踪日記」

吾妻ひでおの「失踪日記」。朝日新聞の書評にも取り上げられていましたし、書店には山積みですから目にした人も多いでしょう。私は新聞書評で吾妻ひでおが失踪劇を繰り返していたことを始めて知りました。

吾妻ひでおと言えば、少年チャンピオン時代、「失踪日記」にもあるように鴨川つばめが登場する前に人気を博していた漫画家。独特な美少女キャラとシュールでSFチックなストリーからコアなファン層がいたものです。

かく言う私も少年時代には、かなりあの絵にはハマったクチ。実家の書棚には「ぱふ」の吾妻ひでお特集(1980年3月号 通巻第49号)が埋もれていたハズ、何が書いてあったのか全く覚えていませんが、帰省したときに読んでみましょう。

「失踪日記」の内容は、彼が仕事を放り投げて浮浪者生活をする様や、配管工事夫になっての生活とか、アル中病棟での話題とか、全部実話です(笑)とあるように、彼の実体験が、かなりオブラートに包まれて独特の絵で語られているのには驚嘆。フキダシの中の活字も多くて、「おお~っ、けっこーキテるなあ」と思いながら立ち読みしました(>買えよ)。

冷静に考えるとちっとも「笑えない」話題なんですが、惨めな境遇なのに、それを冷然と見つめているもう一人の自分が居るんですな。しかもマンガにしてギャクにしてしまうところ、やはりタダモノではありません。浮浪者生活もアル中生活も面白いのですが、一番面白かったのは秋田書店とかのやり取りの部分だったりして。何とも懐かしいからですな、ああ、昔々の思い出ですわ。

>これが久しぶりに書く本の話題かよ(^^;;; いえ、本読んでないわけではないのですが、書くのが面倒なんです。

文藝春秋のホリエモン総括を読んで

ライブドアとフジテレビの買収事件も、ようやくほとぼりが冷めてきていますが、各雑誌においても時差はあるものの、今回の事件の総括のようなものが出始めました。文藝春秋も「総力特集 平成ホリエモン事件--ニッポン企業が受けた一撃」として記事を組んでいました。

誰が一番得をしたとか、ジャーナリズムの意義とはとか、会社は誰のものとか、日本社会に一石を投じたとかの評には余り興味がありません。そもそも誰が得をしようが私には関係ありません。一部のブログユーザーで議論の盛んな「参加形ジャーナリズム」とかインターネットの可能性にも過度の期待も持っていませんから、その点でも興味はないんです。

ぢゃあ、放っておけばよいのですが、野次馬的に読んでしまったので、気になった言葉を少しだけ抜き出してくとしましょう。(以下、私的なメモです)




何のための買収、誰のための会社~伊藤忠商事会長 丹羽宇一郎
32歳の若者らしい熱意と発想で、正々堂々と行動していれば心から拍手を送った。しかし、今回の買収劇をみるかぎり、その手法はまるで手練手管を弄する老人のようで、若者らしさは全く感じられなかった。星雲の志を早く取り戻すことを祈っている。


大方の「大人」の見方は、丹羽氏の考え方に集約されているかもしれません。でも「星雲の志」に「32歳の若者らしさ」ですか。あなた方が、そのような発言をしているから、足元をすくわれるということに気付いていないようですね。堀江氏が示したものは、経験値など無に等しい、能力のあるものは60歳も30歳も関係ない(むしろ若い方が大胆でさえある)と言うことだったはずなのなのですが。逆に堀江氏は、そういう大人たちを煙に巻くには、ちっとも「手練手管」的ではなく、戦術も若すぎたことを同時に示したように思えます。

荒野のガンマンvs白馬の騎士~大前研一
おそらく(堀江氏の主張する)「ITと放送の融合」は建前に過ぎないであろう。一夜限りで女の子を口説こうとしたものの、厳しい親に「どういうつもりだ」と問われて、思わずに「結婚を前提に考えています」と口走ったようなもの。


さすがに大前さん、一言のもとに堀江氏の立場を言い当てていますね。おそらくは彼にはマスコミやジャーナリズムなど、最初からどうでもいいことなんです(そもそも感心がないでしょう、読んでないんですから)。メディアの公共性云々を、急に真面目顔で話し始めたフジテレビと、その点においては同じ穴の狢のような気がしています。(フジは面白ければ良いのではなかったですか?)ですから、引用はしませんが、立花隆氏がメディアの意義云々の当然の議論を展開しているのが空々しいほどです(言っている事は正しいが、そういう問題ではない、そこぢゃない)。

精神科医の斉藤環氏は北田暁大氏の「嗤う日本の「ナショナリズム」という本に書かれた90年代においては、まさにフジテレビが体現していたような80年代的シニシズムがマスコミ不信によって失効し、かわって他者との<繋がり>を指向する「ロマン主義的シニシズム」に移行したということを引用し、

診断名は「社会的ひきこもり」~精神科医 斉藤環

マスコミ不信と<繋がり>指向、そして「ネット」に対するロマン主義的執着、と読み替えるなら、堀江の態度はこの種のシニシズムにきわめて近い。

とした上で、堀江を「ひきこもりキャラ」とみなしている点が面白い。

(ひきこもりとホリエモンの)最大の共通点は、「物語の欠如」と「欲望そのものへの欲望」

「インターネット」自体が、価値や理念とは無関係に、欲望を無限に拡大するための形式に他ならない。「欲望そのものを自己目的化する」という一点だけにおいて、彼は「ひきこもり」青年と同じベクトルを抱え込んでいる。


と書いています。欲望の再生産とは、現代の病理のひとつではないかと私も常々思っています。インターネットがその一助になっているということには、素直には肯首できないものも感じますが、分からない議論ではありません。

日本のビル・ゲイツになれるか~インスパイア社長 成毛眞

ひとりの経営者がどんなに無茶をしても、社会そのものを変化させるほどの力はない。恐ろしくもあるが、社会は政治によってのみ大きく変化する。


かの成毛氏にして、この達観に居たのかと、まさに驚いた次第。

大衆は「堀江失墜」を待っている~ノンフィクション作家 佐野眞一

人間とは永遠に物語を求める動物であり、謎を愛しつづける生き物である。江副や中内や藤田の強烈な所有欲や支配欲は人並みはずれた物語を紡ぎだし、その物語が人々を引きつけた。
既得権益の牙城であるテレビ局に単身挑むホリエモンの姿に拍手喝采を送る人々は、彼のなかに新たな物語を見出そうとしているのかもしれない。



斉藤氏と同じように、はからずも「欲望」と「物語」というキーワードが出てきました。企業を発展させたのは、煎じ詰めれば「欲望」と「欲求」を満たすためであるかもしれず、それは極めて個人的なものから発している場合もあるのだと思います。佐野氏が指摘するまでなく、リクルートの江副氏にしてもダイエーの中内氏にしても、西武の堤氏にしても、個人的な過去に発する熱情に駆られ事業を展開してきたこと、根に暗いものを背負っていたことなど、人生そのものが「物語性」を有しているとも言えます。そして、時をほぼ同じくして、彼らが一線から退いたことは、ひとつの時代と物語が確実に終焉したことを示しています。

堀江氏が「物語の欠如」と斉藤氏に指摘されるのは、カリスマと呼ばれた戦後の経営者に比べ、暗さの少なさや(自分では暗いと書くが)底の浅さが露呈しているからかもしれません。逆に彼の底の浅さと、その浅い底さえ照射してしまう無影燈のような明るさは、彼の性格と情報化社会の帰結と言えるかもしれません。それ故に、堤的なカリスマではなく、別なカタチでのカリスマがこれから生まれるのかも知れず、照射された明るさから生まれた合理性と先進性(例えばビルゲイツではなくグーグルの二人など)が我々をどこに導くのかということこそが、私の大きく気に掛かる点であります。













2005年4月22日金曜日

【音盤】ラター:グロリア

この頃、音楽の話題が全く続かず、いったい何のサイトか分からなくなってきましたので、最近聴いた盤の感想でも適当に書いてお茶を濁すとしましょう(苦笑)。

というとで、ラターです。ラターのレクイエムなどの感想を書いたのが、エントリを辿ると去年の今頃。山尾さんのブログやおやぢの部屋2で新盤が紹介されて気になっていた盤ですが、遅ればせながら聴いてみますとこれがまた何とも心洗われる一枚。



RUTTER:GLORIA

  1. GLORIA
  2. MAGNIFICAT
  3. PSALM 150
  • CHOIR OF KING'S COLLEGE, CAMBRIDGE
  • CITY OF BIRMINGHAM so
  • STEPHEN CLEOBURY
  • 2004 英EMI 5 57952 2

ラターがどういう人かは、以前のエントリをご覧になっていただくとして、とにかく1曲目のGloriaは文句なしに素晴らしい。合唱とフルオーケストラによる喜びの歌が、これでもかと陽性に歌われます。Gloriaに限らずMagnificatも曲調は非常にポジティブで明るい。妖精のようなボーイソプラノが少々か細いとか、ソロパートが弱いと思える瞬間も確かに否定はできませんが、それとてこの演奏の魅力を損なうものではありますまい。合唱の快楽とでもいいましょうか。

山尾さんはGloriaの三曲目から聴くことを勧めていましたが、私など1曲目から圧倒され通し。2曲目の木管と合唱の取り合わせも、これまた美しい限り、後半のゆったりとした中に現れる荘厳なクレッシェンドは、教会のような空間で味わって見たいと、しみじみ思わせてくれます。オーケストレーションの多彩さも聴きどころ。教会のオルガンも融け入るように流れるのを聴くと、貧弱な再生装置で聴いていても天から降ってくるような喜びに満たされてしまいます。

ラテン語の歌詞はキリスト教文化圏に居ない私にとっては理解できないものですが(英語の対訳はついている)、そういう点を差し引いても、この曲の素晴らしさは感じ取れると思います。

歌舞伎座の建替え・・・

お気楽草紙というブログで、歌舞伎座の建替えが発表されたとのエントリ。

歌舞伎座は明治22年から数えると四代目になるのでしょうか。現在の形式での新築は大正13年、東京藝術学校(現東京藝術大學)教授の岡田信一郎氏の設計によるもの。震災で焼けたりしていていますが鉄筋コンクリート造です。三代目の歌舞伎座は現在と似ていますが、正面に入母屋造の立派な屋根があることが歌舞伎座のフラッシュ画面を仔細に眺めるとよく分かります。

震災後の修復は昭和26年(1951年)になされています。機会があって、楽屋を覗いたこともあるのですが、表の華やかな世界からは想像もつかないような裏の古さにびっくりしたものです。襖の高さも1.8mなかったような・・・。幹部俳優には部屋が与えられていて、外には「幸四郎」とかの暖簾がかかっています。幹部俳優でも一部屋しかない方や、二間続きの部屋の方とか待遇が違うようです。当然、大部屋俳優は寄り合いですね。勘三郎さんの写真集などでもそれとなく伺いしれます。


古い建物ですが幕見席などに並んでしみじみ眺めますと、化粧垂木や肘木までコンクリートでできていて、よく作ったものんだと感心しす。歌舞伎座サイトによると、瓦などは現在ではもはや造れないようなものなのですとか(粘土が違う)。


私もいつまで東京に居て歌舞伎座に通えるのか知れませんが、願わくは新しい歌舞伎座でも「幕見席」がなくならないことを切に願うだけです。


それにしても、歌舞伎座のサイトで知ったけど客席数は幕見を含めて 1866席。サントリーが確か2000席前後。歌舞伎は昼から夜遅くまで、ほとんど毎日公演している。勘三郎の襲名披露など三ヶ月連続で公演しているにも関わらず席の入手は極めて困難。ひるがえってクラシック音楽、大ホールを1ヶ月も延々と満席にし続ける公演なんて考えられるでしょうか。それ以前に、1ヶ月も同じ演目を演奏し続けるなんて考えられます?>演奏家の方々


2005年4月21日木曜日

新勘三郎の籠釣瓶花街酔醒 追記

昨日、中村勘三郎と玉三郎の籠釣瓶の感想を書きました。他の感想はいかがかと、歌舞伎系ブログを拾い読みしてみましたが、なかなかにピンとくる感想に出会いません。勘三郎の襲名披露という華やかさのせいか、勘三郎に対して批判的な文章はほとんど見つからないのも、これまた不思議。


皆さん、勘三郎のキャラクターや演技がお好きな様子。私は2月から観たばかりですから、好きも嫌いもないですし、演技の凄みも歌舞伎座の幕見席からでは、ほとんど伺い知ることなぞできやしません。勘三郎は籠釣瓶で、ある種の狂気を演じていたとは思うものの、玉三郎に引っかかったように、どこかストンと腑に落ちない処もないではない。


そういう中で、南方演劇論というブログで勘三郎の籠釣瓶に批判的な文章を見つけ、成る程と思った次第。



4月8日の観劇日記にはこうあります。 


まず結論から言おう。

勘九郎、いや、勘三郎は、籠釣瓶を“喜劇”にしてしまった。


従来の籠釣瓶なら笑うべきところでない所で、客が笑う。

その原因は3つある。


最初から手厳しい。この御仁は勘三郎のドタバタがあまりお好きではない様子。正直なところ、私もそこに何かひっかかりを感じて勘三郎の公演を観続けています。


愛嬌と器用さは先代譲りなのは間違いないが、江戸明治という時代が持っている「闇」は、新勘三郎に限らず、今の役者すべてに無くなってしまったものである。

ここでいう江戸の「闇」が何であるか私には分かりませんが、心に留めておくべき事項かもしれません。今のところ、確かめる術も私にはありませんが。


現代性がこの戯曲の魅力であり、“喜劇”となりうる要素を胚胎していると言える。

ただ、喜劇として上演するなら、一度戯曲を解体し、きちんとした演出が必要となるだろう。

籠釣瓶が喜劇として解されるというのも釈然とはしないものの、劇の持つ現代性については、昨日触れたところ。歌舞伎を戯曲として解体してしまっては、もはやそれは歌舞伎にならないのではないかと。新歌舞伎と言われる歌舞伎や世話物が、リアルに演ずれば演ずるほど、私は歌舞伎としての魅力が減じ、嘘ら寒い思いで席から逃げ出したくなるのを抑えられません。


最後の殺人など、飛び上がって片足立ちになって斬る。別に妖刀の魔力なぞ見せなくても良いし、町人なのだから上手に斬るとかえっておかしい


確かに意外な斬り方でした、でもその芝居かかった大げささが、殺人というリアルさをそぎ落とし、そぎ落とすことによって反転したリアルさを獲得して歌舞伎足りえたと私など思ったものです。このリアルさから考えると、玉三郎の死に様はやり過ぎという気もするから演技とはわからないものです。


2005年4月20日水曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒

どうにも分からなく、そして、やりきれないのは籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)です。先月の鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)で、勘三郎と玉三郎が手に手をとって、ラブコメディを演じ襲名を祝ったその黄金コンビが、今回は「縁切り」と「殺し」となってしまうのですから。

男のプライドを傷付けられたとて女を殺傷に及ぶという点では、番町皿屋敷を思い出したりもしますが、あちらよりは「殺し」の理屈が理解できる。とは言っても、後味の悪さに変わりはありません。

この劇は三世河竹新七の手になる世話物で初演は明治21年、いわゆる新歌舞伎。享保年間の「吉原百人斬り」を題材としています。すなわち江戸吉原で野州佐野の百姓次郎左衛門が、兵庫屋の八ツ橋の不実を恨んで斬り殺し、さらに大勢を殺傷したという事件。

河竹新七の籠釣瓶は全八幕の狂言ですが、歌舞伎では五幕目の「吉原仲之町見染の場」から「立花屋二階 八ツ橋殺しの場」までが演ぜられます。籠釣瓶とは水もたまらぬという意味を持つ名刀のこと。

さて、何が分からないかというと、花魁の八ツ橋(玉三郎)の心の内です。彼女は本気で次郎左衛門(勘三郎)に身請けしてもらうつもりだったのでしょうか。あるいは、花魁得意の上得意先へのサービスの一つだったのでしょうか。八ツ橋には言わばジゴロともいうべき間夫の繁山栄之丞(仁左衛門)が居ます。栄之丞に着物を贈ったりと、相当につぎ込んでいるようですし、栄之丞ときたら昼間から遊べる身分で、起請までかわしています。そうでありながら、八ツ橋は次郎左衛門からの身請話を茶屋公然と進めているのです。「縁切り」は、釣鐘権八(芦燕)らにそそのかされたこともありますが、栄之丞へ実を見せるためにやったこと。観ようによっては、八ツ橋は痘痕顔の醜男である次郎左衛門のことなど、ただの上客としか思っていなかったともとれます。ここをどうとらえるかで「縁切り」の場面の演技が変わってくるように思えます。

で、玉三郎演ずる八ツ橋はどうだったか。渡辺保さんの評では、玉三郎の八ッ橋は初役以来の当り芸。しかしどういうわけか、今度は淡泊で生彩を欠く。ことに愛想づかしはほとんど次郎左衛門をなだめつすかしつしているように見える。とあります。いやいや、私は全然そういう風には見えなかった。玉三郎の縁切は、情が入っているようで、次郎左衛門に客以上の思いがあるような辛さが出ていたように思えます。確かに「なだめすかし」というのも当たっていますが、そうすると後の台詞の切なさ加減はどうでありましょう。

八橋 そう御得心なされたら、もう用のないこの座敷、これでわたしも晴々した、どれ、廻しへ行ってきましょうわいな。
九重 それではどうでも佐野さんを、今宵かぎりお断りかえ。
八橋 わたしゃつくづくいやになりんした。

もっとも八ツ橋が、花魁にありがちな面も持っていたことは認めるにしてもです。三枚起請という言葉だってあるくらいですから。

で、ここの縁切りの場面は、それはそれは見事なくらいに冷酷なんですね。それを演じきっているのが勘三郎の次郎左衛門です。彼は下野佐野の絹商人、ふと立ち寄った吉原の華やかさと八ツ橋に一目惚れして、三日とあけずに通いつめるほどの入れ込みよう。遊びぷりも茶屋から感心されるくらいに気持ちのいい遊び方、八ツ橋のみならず、他の花魁やら太鼓持ちやら、誰からも好かれる好人物。こういう人物像は勘三郎うまい。

最初は田舎のポッと出の純朴さが、次に吉原通いを始めるものの、どこか野暮ったさをひきずっている人のいい旦那。それでも自分が吉原一の花魁八ツ橋に惚れられていることを自慢したくて仕方がないお調子者。なぜなら、彼は先にも書いたように、顔中痘痕の醜男、本心ではコンプレックスがある。八ツ橋に縁切りされた後の場面、一緒に吉原に連れてきた仲間に

聞くと見るとは大きな違い、大方こんな事だろうと、思った壺に相違なく、身請けどころかこの様では、いつでも振られ通しと見える。

と莫迦にされているところから推し量ると、彼の仲間内でのあり様が思い浮かびます。それだけに、ここの縁切りは見ていてつらい。八ツ橋にはそこまで分からないし気付かない。有名な

花魁、そりゃアちっと袖なかろうぜ。夜毎に変わる枕の数、憂川竹の勤めの身では、きのうにまさる今日のはなと、心変わりしたかは知らぬが~

に続く台詞でも、まだ

江戸へ来る度吉原で、佐野の誰とか噂もされ、二階に来れば傍輩の、花魁達や禿にまで、呼ばれる程になってから、指をくわえて引っ込まれようか。ここの道理を考えて、察してくれたがよいではないか

と言っていて、信じられず諦めきれない様子。でも彼が変わるのは、八ツ橋に間夫が居たと分かったその瞬間なんですね。間夫の出現で彼のプライドはズタズタ、今まで築いてきた自分の所在もものの見事に吹き飛ばされた。八ツ橋さん、栄之丞に実を見せるためだけと言うには、ちと罪つくり過ぎたといったところ。

おそらく次郎左衛門の殺意は、この瞬間に芽生え、そして次第に妖刀籠釣瓶に引き寄せられていったのかも知れません。次郎左衛門が何故籠釣瓶を持っているのか、どうして痘痕面なのかは、一~四幕までに書かれているのだとか(読んだわけではない)。次郎左衛門の父親次郎兵衛が、かつて妻のお清が瘡毒を病んで女乞食となっているのを、戸田川で惨殺、その祟りで次郎左衛門は痘痕面になってしまいます。籠釣瓶は浪人の築地武助から譲られたもの。運命の歯車が劇の前にグルリと廻っていたわけです。

ですから、立花屋二階の殺しの場の凄みと怖さは、ちょっと言いようがない。前半の人のいい次郎左衛門を知るだけに尚更。実はこういう傍筋は劇を観た後に知ったのですが、それでも、次郎左衛門が八ツ橋と再開した後、八ツ橋を惨殺に至るまでの一連の台詞と動作には、まさに鬼気迫るものと、もはや止められない激情が込められており、思い出すだけで背筋が寒くなるほど。次郎左衛門が八ツ橋と二人きりになった後、階下の様子を伺い、靴下をさっと脱ぎ、そしてこの世の別れじゃ、呑んでくりゃれから八ツ橋を逃げる後ろから斬り倒しはて、籠釣瓶は、よく切れるなあまでは、とにかく凄い。明かりを持って上がってきた下女を、刀を振り上げるでもなく、触れるようにして斬捨ててしまうところも見物。彼が激情だけではなく、籠釣瓶に引きずられて殺しに入ったことが暗示されているようです。

歌舞伎は「よく切れるなあ」で終わりますが、底本の方はこの後「大門入口捕物の場」となり、殺人鬼となった次郎左衛門が、殺しを重ねながら最後捕らえれるまでを書いています。最後の台詞はこれにて思いおく事なし。御法は決して、そむきませぬです。八ツ橋に始まる殺しを重ねることで、彼の中の鬼も去ったということでしょうか。

そういう点からは、この籠釣瓶、歌舞伎の形をとりながら極めて現代にも通じる人間像を演じきっているように思え、それ故に歌舞伎を超えて生々しく感じるのでした。蛇足ですが「吉原見染め」も素晴らしかったし(幕見席でほとんど見えんけど)、八ツ橋の斬られた死に様も、こんなに美しい死に様があったものかと、嘆息しましたが、それはあちらこちらで皆さん書いていおられる通りです。ああ、もう一度見てみたい。

2005年4月16日土曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 歌舞伎十八番 毛抜

歌舞伎座四月大歌舞伎の夜の部についての感想を思い出しながら書きます。最初は歌舞伎座に1年ぶりに戻ってきた市川團十郎が歌舞伎十八番「毛抜」を演じました。

團十郎の粂寺弾正に海老蔵の勅使桜町中将、勘太郎は民部弟秀太郎、時蔵が腰元巻絹です。「毛抜」は弾正の人柄の魅力に尽きる歌舞伎でした。余り大きな立ち廻りは少なく台詞で見せる劇ですが、團十郎の余裕を持った大きな演技で楽しませてくれました。


この主役の弾正ですが、文屋豊秀の家臣で豊秀より小野家に使者として派遣されてきた人物。豊秀と小野家の婚儀が整ったのに、息女の錦の前が病気になっているので様子を見に来たというわけです。

そういう重大な使命を持っているにも関わらず、給仕に着た秀太郎や巻絹を口説いてしまうエロさを見せたり、両者にあっさり振られた後に悪びれもせず「近頃面目次第もございません」など客席に向かって謝ってみせたりと、なかなか愛嬌のある役柄です(秀太郎相手に腰を使い始めたところでは、隣の外国人も大笑いしておりました)。両刀使いというのも凄いですが。

一方で、殺された妹を帰せと迫る偽の万兵衛(実は悪人)に対し、それならと閻魔大王に向けて書いた書状を持たせ地獄に行けと斬り捨ててしまうなど、おおらかさとともに諧謔と豪放さを併せ持った人物です。

そういう役を、團十郎は楽しみながら演技しているようにさえ思えました。決まりの台詞を言ったり、見栄を切るときのワクワク感もたまりません。客席もまさに「待ってました」といった感じ。適度にハリのある声で、生来の明るさと人間的な広さのようなものが役ににじみ出ていているようで、何とも観ていて心がすくような劇でありました。

逆に、それ以外の役の方の印象がイマイチといったところで、孤軍奮闘という感じがしないでもないです。海老蔵は公家の勅使役ですから、まあそれまでといったところですし、勘太郎も初心な役柄で團十郎を引き立てるという役ではない。腰元の時蔵も、ちょっとあっさりしすぎ。「びびびびび」で笑わせてくれますが、淡白過ぎるような(笑)

舞伎を見始めたばかりで、しかも4階席からの観劇ですから、役者の細かな所作など見えるわけもないですから、役者のあそこがいいとか書けたものではありません。かなりいい加減な感想ですから、興味のある方はご自分で確かめてください。

◇

それにしても、歌舞伎には変な魅力があります。おなじみの筋書きの中で予定調和の快楽といいましょうか。またはどんな型を演じるかというマニアックな楽しみや、型を超えた役者としての成熟を楽しむということもあるでしょう。何度も繰り返し観られることに耐えられるだけの劇としての面白さと(「毛抜」にしても、天井裏に仕込んだ磁石のせいで、姫の鉄簪筋がひっぱられて髪の毛が逆立つという設定なんですから、かなりムチャクチャ)、役づくりの深さ(役も結構ムチャクチャですが)があるのだと思います。

ムチャクなところを含めて、それが歌舞伎の面白さなのかもしれません。弾正の「近頃面目次第~」の台詞も、これを聞かなきゃ始まりませんし、幕が下りた最後の花道で「身に余る大役もどうやら勤まりまして御座りまする」を聞かなきゃ終わらないといった感じ。これを聞いて胸のつかえが最後にストンと落ちる。考えてみると水戸黄門に代表される時代劇で、決まって「この印籠が~」とやるマンネリを、昔は何が面白いのだろうと思っていたのですが、定型の中に潜む快楽に歌舞伎の面白さがあるのだろうかと思ったりしています。(>ヲヤジ化してきたということだろうか・・・)

これは好きな映画を繰り返し観るという行為とは全く異なったものですし、クラシック音楽を違った演奏家で聴き比べる楽しみとも(ある意味で通底する部分もなきにしもあらずですが)微妙に異なっているように思えます。クラシックやオペラと歌舞伎の違いは、歌舞伎には新解釈やら大きな意外性を求めてはいないということにあるのでしょうか、いわば形とか伝統というやつですね。

対して、フェニーチェ歌劇場の復活公演でのロバート・カーセン演出による「椿姫」など(3月末にTVで放映していたのを観た)、最近のオペラは何でもありのようですから、あのくらいは普通なのかとは思うものの、私などオペラ音楽を楽しむ以前に、演出が気になってどうもおいしくいただけなかったりします(幕が開くとヴィオレッタがベットに居て、替わるがわる男たちからお金を受け取るという場面から始まります。パーティーの席でのアルフレードはカメラを肩から下げていてヴィオレッタにご執心という具合)。オペラは演出家の時代になってしまいましたから、歌舞伎と比べるのもちょっと違うのかとは思いますが。

ここまで考えたときに、中村勘九郎改め勘三郎が、歌舞伎に色々な要素を取り入れているのは、伝統を越えて歌舞伎の新しい方向性を見据えているのかもしれません。ということで、毛抜は勘三郎抜きでしたので、お次は籠釣瓶となるわけで御座いますが、感想はいつになるやらです。

2005年4月15日金曜日

チリチリとした焦燥感

あまりにも自分の生活実感とかけ離れているので、フジ、ライブドアの問題について私が述べることも何もない。どちらも応援しないし、ことの成り行きには企業買収事件という以外余り興味も無い。ただ、ここまで一般の人たちに大きな感心を持たれたの理由のひとつには、堀江社長に対する根拠のない期待感というものがあったような気がする。期待の背景には、慢性的な疲労を起こしている日本の閉塞感や既存勢力の問題がある。


これは、考えてみれば今まさに郵政民営化でしゃがれ声になっている小泉首相が、数年前に登場した時の颯爽とした雰囲気とどこか類似したものを感じる。どちらもナカミの無さという点でも共通しているのは笑えないが。




両者とも既存勢力や抵抗勢力に対する挑戦であったり、既得権益の解体がテーマであったり、あるいは新しい業態に対する期待だったりするのだが、本当に日本人は現在の既得権益を解体する覚悟があるのかとは疑問に思っている。


フジ、ライブドア問題に絡めて、「資本主義の原点」だとか「会社は誰のものか」などという議論も俎上に上るようになってきたが、私はとてもではないが「会社は株主のもの」などと知ったような顔で応えることはできないし、そういうものも含めて、本当に解体したいのか、その覚悟があるのかと、そう嘯くひとには問いかけてみたい。


日本は、ヒーロー的なものにでも縋りたいほどの「閉塞感」に相変わらず支配されているのだろうか。同じ閉塞感とは言っても、数年前とは変わってきているような気もしている。デフレスパイラルの頃は、皆ながダメで何がダメなのか分らないという状況だったけれど、今は、いつの間にか一部の人だけが良くなっている状況だ。「負け組」の開き直りか、どちらの「組」に入るかの瀬戸際に居る焦燥感かもしれない。それでも多数は食べるに困るというほどではなく、貧困とは程遠い生活ではあるから、実感としては「ゆるやかな閉塞感」であったり「ぬるい焦燥感」だったりする。そういう状況の中、大企業は「欲望の拡大再生産と質的拡大」を日々行っており、消費意欲と期待と不満に油ぐことを怠らない。


チリチリとした焦燥感と、昨今の中国の日本パッシングが変な方向で反応すると、日本人の意識が偏狭なナショナリズムに更に傾くことはないかと、ちょっとだけ懸念している。実のところ中国のパッシングにしても、日本とは違った意味での不満の暴発に一因があろうから、歴史認識云々以上にタチが悪いと思ったりしている。

2005年4月10日日曜日

桜 2005年

 


歌舞伎座:中村勘三郎襲名披露 四月大歌舞伎


歌舞伎座での中村勘三郎の襲名も二月目となりました。いよいよ人気も高まっているようですが、今日観ずば4月はもう無理と思い、意を決して幕見席の列に並び夜の部を観てきました。

今回も1時間半以上待つこととなったのですが、それでもギリギリ立ち見にならずに済んだというくらいに混んでいます、皆さん気合が入っています。夜の部の演目は下記です。

<夜の部>

  • 毛抜
  • 口上
  • 籠釣瓶花街酔醒

三月は「口上」が昼の部でしたが、四月は夜の部になっています。実は一番興味深かったのはこの口上でした。中村勘三郎を中心として以下のように下手から上手に並んでいます。

芝翫、仁左衛門、秀太郎、時蔵、魁春、又五郎、富十郎
勘三郎
團十郎、左團次、段四郎、海老蔵、彦三郎、玉三郎、七之助、勘太郎

一列にずらりと並んだ様は壮観。「口上」など滅多に観られるものではありませんし、ましてや勘三郎を継ぐという、歌舞伎界としては大きな襲名行事。並んだ顔ぶれだけで、何となく御目出度い気分にさせられます。中村屋は中村屋一門の色である猿若柿色の薄黄色の裃を纏い、それだけで華やかな光彩を放っていました。三月と違って七之助が口上に列席していることも喜びひとしおでありましょう。

口上は芝翫が仕切りもちお祝いの言葉を述べます。続に仁左衛門から順に富十郎まで、次に團十郎から勘太郎まで、一人一人が一七代勘三郎との思い出やら、幼い頃の勘九郎との思い出を語っていきます。それぞれが、役者としての人柄や立場などを映し出しているようです。

圧巻は、やっぱり富十郎ですかなあ。その朗々としたハリのある声には惚れ惚れ、今回は籠釣瓶の立花屋兵衛で出演していますが、派手ではないものの味のある役割で、最期は陰惨な芝居にホッとした雰囲気を与えていましたね。私はこの人の大らかな芝居が好きだなあ。

團十郎の口上も歌舞伎座に復帰できたことの喜びと、江戸時代から続く中村屋との深い関係について言及していました。團十郎の歌舞伎座復帰の演目は、歌舞伎十八番の「毛抜」。もちろん男も女にも好色な粂寺弾正を演ずるのですが、台詞回しもはっきりとしていて、ううむ流石といったところ。

海老蔵は、こうして聞いているとまだまだ若いなあという感じ。演目としては毛抜で勅使桜町中将を演じていましたが、お公家さんですから、まあ今回はよいかなというところ。

玉三郎は聞かせるし見せますな。「三月の襲名披露もあっという間に終わって、鰯売りの千秋楽で勘三郎さんと手を取り合って花道に下がったら、しんみりしてしまいまして、そのことを申し上げたら、何を言っているの4日後には、また始まるんだよ」と言われたりしましたとか。玉三郎は籠釣瓶の八ツ橋役です。もはや言葉もありません。斬られても、あんなに美しい死に方があったのかと、しばし呆然でした。

七之助は当たり障りのない口上で終わってしまいましたが、あの場で謝ってもねえ。

口上の事を書いたのか演目の事を書いたのか、さっぱり訳の分からない文章になりましたが、時間があれば追記しましょう。それに肝心の勘三郎について何も書いていませんしね。

2005年4月9日土曜日

残すべき風景とは

大学通りの桜から景観論争について思い出し、自分の3年前のエントリ(東京・国立マンション紛争から景観論を考える2002.05.01)を読み返しハッとした。





一方で、地域の連続性などは不要であると考える方もいるだろう。過去の狭く貧しい環境など忘れて、清潔で綺麗で便利な環境を創造すべきだ、まだまだ日本は西欧に比べたら都市化が遅れているではないか。過去の街並みがいとおしいなどとは懐古主義でしかない、というものだ。これはこれで一理あるわけである。ボロボロの木造住宅の横にドブと傾いた電信柱が続くような環境を積極的に残したいと考える人はむしろ少ないだろう。

という部分だが、何にハッとしたかというと、何かの雑誌で「昭和30年代の街並みを丸ごと再現するテーマパーク構築」の記事を思い出したからだ。確かあれは、これから大量定年を迎える団塊の世代をターゲットとしたビジネスであったはずだ。何に書かれていたか思い出せないのでグーグルしてみたところ、下記がヒット。

1つの村まるごとテーマパーク “昭和30年代”の街並み再現 【伊豆で計画】団塊世代がターゲット 定住者2000人規模目指す

これをノスタルジーと取るか、癒しと取るか、悪乗りととるか。記事によると、


「団塊世代以上の人たちが実際に生きてきた時代。現代とは違った“温かい風景”がそこにはあったことを実体験で知っている」(川又社長)。往時を懐かしむ人々が集い合う場の提供。更に介護施設も建設することで、高齢者の同様のニーズにも応えていく。中長期のリハビリ施設も設ける予定だ。

「昭和の村」は、参加型のテーマパークを目指して定住も考慮に入れるのだそうだ。現代という時間のスピードと物質的なものに、どこか疎外感を持っている高年者達が過去の懐かしさの中に引きこもろうとすることを否定することはできない。先のエントリで書いた「木造住宅の横にドブと傾いた電信柱が続くような環境」も、写真風景としてはフォトジェニックであり、郷愁を誘うものであることは認める。それでも、大阪他各地で出来ている食い物屋のテーマパークが、戦後の昭和街並みの再現だったりすることには、納得と違和感が交錯する。(中部国際空港のように「宿場町」と「ヨーロッパの街並み」の再現というのも、アイデンティティの喪失と書く以外、何とも評せないが・・・)


我々が置き忘れたものと現代有しているものの落差、喪失感。そこで真に失われたものは何であるか・・・などという難しいことは、考えても仕方がない、世の中はフジとライブドアの虚構と、六本木ヒルズの巨構が幅を利かせる世界である。

2005年4月4日月曜日

無念!中野 喫茶「クラシック」

昨年の7月4日のエントリーで書いた、中野の「名曲喫茶クラシック」が1月で閉店していたことを、中空庭園とK-tanakaさんのエントリで知りました。


実家に帰ったとき、何気に1990年の雑誌「太陽 別冊」か何かを見ていたら、そこに「クラシック」の記事を見つけ、当時でさえレトロというか古風な喫茶として紹介されていたことに少なからず驚いたものです。いつか入ってみようと思っていたのに、なくなったのでは後悔しても仕方がありません。「クラシック」が「名店」であったのかも、遂に確かめることができなくなってしまいました。

何事も一期一会ですなあ。とりあえず自分のエントリと空中庭園とk-tanakaさんとこにTB打っておきましょう。

[読書メモ]内田樹のブログよりオルテガと苅谷

内田樹のブログより。(2005.03.30、2005.04.03)


  • 苅谷剛彦「階層化社会と教育の危機」
  • オルテガ「大衆の反逆」

メリトクラシーの前提としての誤謬について、下記が幻想でしかなかったこと。


学力には「生得的・後天的なばらつき」があるが、創意や自発性はすべての子どものうちに等しく分配されているということを人々が信じていた(階層化=大衆社会の到来)



オルテガはただでさえ非平等に配分されている「努力する能力」そのものを組織的に破壊する制度として大衆社会をとらえた

(中略)


オルテガがたどりついた結論は「努力」とは「自分自身との不一致感」によって担保されるという、平明な事実であった。おのれのうちに「埋めがたい欠落感」を抱いている人間はそれを埋めようとする。(ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」)



ニーチェもオルテガも読んだことはないが、注目すべき知見である。内田氏がオルテガに指摘する自分のうちにかかえこまれた<他者>という概念が真にオルテガの思想であるのかは判断がつかないが、内田氏の思想の根源にあるもののようである。


2005年4月1日金曜日

ゲルギエフ&ウィーン/チャイコフスキー:交響曲第4番

4月になってしまいましたね。今年は昨年よりも寒いせいか、桜はまだのようです。来週半ばが見ごろでしょうか。そうは言っても、固い蕾も少しずつ開いてきましたから、今日はアタマを少し開く意味で、ゲルギエフのチャイ4などを聴いてみました。

それにしても、今時チャイ4だけでCD1枚作るなんて・・・不経済ですわな。


  • ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーンpo
  • 2002年10月 ウィーン ムジークフェラインザール Live PHILIPS 475 6316(輸入版)

随分前に発売されていた、ウィーン・フィルとのライブ録音です。以前はゲルギエフといえば日本盤が出たらすぐに飛びつくように買っていたのですが、この頃はまあ輸入盤が出てからでもよいか、という程度になってしまいました。ゲルギエフが嫌いになったというわけではないのですが、余りに人気が出過ぎましたから、そんなに熱くなるのも大人気ないかな、といったところです。

それでも通して聴いてみますと、流石といいますか、ゲルギエフの奏でるチャイコフスキーはよく統制されていて、なかなかに上手いなあと感じます。

チャイコフスキーの4番というのは、ある意味で身も蓋もないような音楽です。こんなにあからさまに感情を表出してしまって、恥ずかしくないのだろうか、と思うところがないわけでもありません。そんなこの曲を、ゲルギエフは、感情を全開にしてグイグイとひっぱていくような野暮なことは、実はしていません。

この演奏に荒々しさや猛々しさ、ロシア的土臭さを求め、ある意味で莫迦騒ぎのようなカタストロフを期待するならば、おそらく聴く人は肩透かしをくらうのではないでしょうか。確かに冒頭のホルンやトロンボーンの強奏を聴くと、ただごとならぬ爆演を期待してしまいますし、どこまでも底の知れないウィーンpoのメンバーが、ゴリゴリと音を出しているのを聴くと、凄いなあとは思うのですが、チャイコフスキーの詩情とか叙情も上手く表現していて、音楽的には振幅のゆったりと大きな、悠然とした演奏になっているように思えます。

音楽全体を支配する、大きな波というか、うねりが感じられ、そこにストーリー性を見出すような感じに仕上がっているようです。また、今回の白眉は3楽章でしょうかね。弦のピチカートは大地さえ粒立つかのような重々しさと強さが溢れており、その強さのままに木管までもがシンクロし、第4楽章の狂騒を予兆するかのような演奏は、なかなかです。また、中間部のメロディーはチャイコフスキーがバレエ音楽作家であったことを思い出させてくれます。そのまま踊れそうな楽しさを味わえます、ここもマリインスキーを率いて長いゲルギエフならではでしょうか。

第4楽章は「狂騒」と書きましたが、これも脳天気なお祭り騒ぎにはなってはいません。下品にもならず、過激にもならず、ウィーン的優雅ささえも湛えながら、この「身も蓋もない」音楽を語ってくれます。今回のゲルギエフに落胆する人は、ここをもっとガンガンやって欲しかったのでしょうか。テンポは結構速めですし、ラストに向けての煽り方も結構凄いですし、オケ全体が強奏した後のムジクフェラインが数十センチほど振動してたのではないかと思わせるほどの音塊も聴くことができるのですがね。

私は、久しぶりにゲルギエフとチャイコフスキーの音楽を楽しむことができましたが、評価は分かれる音楽かもしれませんし、ある種類の方には全く興味の沸かない音楽かもしれません。

2005年3月29日火曜日

【音盤】ビーバー:描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調

先に寺神戸さんのヴァイオリンによるビーバーの曲を紹介しましたが、この盤の最後に納められている「描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調」という曲も秀逸です。このソナタは、様々な動物の鳴き声を描写した曲で、「ナイチンゲール(Nachtigal)」「かっこう(Cu Cu)」「蛙(Fresch)」「雌鶏(Die Henn)」「雄鶏(Der Hann)」「うずら(Die Wachtel)」「猫(Die Katz)」それになぜか「小銃兵の戦い(Musquetir Mars)」が加わり、アルマンド(Allemande)で終わる11分半ほどの短く明るい曲です。




この曲について寺神戸さんは、以下のように述べています。


��シュメルツァーやヴァルターなどの)流れの中で一番"動物園的"な曲がこのビーバーのソナタで、最も写実的な1曲です。面白いのは、そうした描写的な曲とその間にはさまれる「純音楽的」な曲との落差で、それがあまりにも激しいことです。まるで現代曲のようなそのコントラストは、やはりとてもバロック的だと思います。


寺神戸さんは作品としては凄く素晴らしいとは思えないと言っていますが、非常に純度の高い音楽になっていると思います。彼の宗教曲が一方で宗教的な面を追及すればするほどに、音楽的に純度が高まり別の次元に到達しているように感ずるのですが、この曲も極めて描写的でありながらも、それとは対極の境地を獲得しつつあるように思えます。


さらに、これら9種類の描写をヴァイオリン1本で表現しつくしている点も凄いものです。技巧的な奏法を駆使し多様な音色の使い分けての表現は、まさにヴァイオリンの持つ可能性を、軽やかに遊びながら追求しているようでさえあり、当時のヴァイオリンの名手ビーバーならではといったところです。


この「遊びながら」と思えるところが、いかにも洒脱であり、一方でビーバーの諧謔さえ感じるというのは書きすぎでしょうかね。ビーバーなど、この1枚しか聴いたことないですから。

[補足]

"ビーバー 描写的"で検索かけたらclassicaの「無人島の一枚」のページに漂着。寺神戸さんの盤ではないものの、ビーバーを選ぶ人が居るんだなと感心したら、何とその下にk-tanakaさん!!のオススメの1枚が(ハイドン:弦楽四重奏曲 作品76の1-3)恐るべしclassica、つーか、k-tanakaさんつーか・・・デジタルつーかー、つーか・・・>もうないって

おやぢの部屋Ⅱ@JURASSIC PAGE

歴史的勝利を上げたり、記録的な大敗を喫したりと、物凄い乱気流にもまれながらも、話題を振りまいている「楽天」ですが、それとは対照的に長い間コンスタントにサイトを運営されているJURASSIC PAGEの「おやぢの部屋」がブログ化されていることに、ついさきほど気付きました。ブログ版と非ブログ版の両方を用意するという丁寧さと周到さです。


私はこの頃、ブログ以外のサイト更新が非常に面倒になってきましたので、このような運営方針を取られていることには敬意を表します。

2005年3月21日月曜日

【音盤】寺神戸亮/ビーバー:ヴァイオリン・ソナタ集

随分前になりますが、Syuzo's Weblogでビーバーにつてのエントリーがありました。その時は別段気にも留めていなかったのですが、DENON CREST1000シリーズに寺神戸亮さんのビーバー集を見つけたので、そういえばと思い出し聴いてみたところ、これが抜群に良くて、まさに宝物を見つけたかのような気になりました。



ビーバー:ヴァイオリン・ソナタ集
  1. ソナタ 第5番 ホ短調
  2. ソナタ 第6番 ハ短調
  3. ソナタ 第8番 イ長調
  4. ロザリオのソナタよりバッサカリア ト短調
  5. ロザリオのソナタよりソナタ 第6番 ハ短調「嘆き」
  6. 描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調

  • 寺神戸 亮(バロック・ヴァイオリン)、シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)、上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
  • 1994年8月11、12、15~17日 DENON CREST1000 COCO-70742


寺神戸さんについては今更言及するまでもありませんが、この演奏はコレッリのヴァイオリン曲集の姉妹編に当たるのだそうです。


ビーバー(1644-1704)は解説によると17世紀屈指のヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ・作曲家とされております。バッハよりも半世紀も前に、ヴァイオン・ソナタにおいて、こんなにも豊穣な世界があったということに驚かされます。技巧の域はきわめて高く、宗教的な色彩を帯びながらも、そこに拘泥しすぎずに音楽的な自由さまでも獲得しているように思えます。


最初に納められているソナタ 第5番 ホ短調を聴くだけで、ビーバーの哀愁を帯びながらも、敬虔で華やか内面世界の表出に聴き惚れてしまいます。主題の変奏が次第に高まっていくさまはスリリングでさえあります。


ソナタも良いですが、有名なのはやはり「ロザリオのソナタ」でしょうか。「キリストの秘蹟に基づく15のソナタと、パッサカリア」という副題がついており、寺神戸氏が外側のドラマだけでなく聖書の意味の核心を付く内面的な表現と解説するように、非常に錬度の高い曲に思えます。


「守護天使」と題された《パッサカリア》は、重音奏法を用いたポリフォニック(多声的)な作品で、バッハのシャコンヌの先駆けのような曲ですが、聖書的世界には全く疎い私でも、この曲を聴くだけで祈りにも似た気持ちと、心の奥底に安らぎのようなものが宿るのを感じます。おそるべしビーバー。

音盤狂日録にもビーバーの記述がありましたので、リンクを紹介しておきます。








2005年3月14日月曜日

歌舞伎座:保名、鰯賣戀曳網


さて、一気に先週観た三月大歌舞伎「夜の部」の感想を済ましてしまいましょう。「保名」と「鰯賣戀曳網」です。

「保名」は歌舞伎名舞踏のひとつ、安倍保名とは陰陽師の加茂保憲の高弟で、恋人の榊の前が自害したことから、悲しみ心乱れてしまっているという設定です。ちなみに保名と狐の間に生まれた子供が安倍清明ということになっています。

保名を踊るのは片岡仁左衛門ですが、その舞は見事の一言に尽きました。舞台効果を考慮し客席の照明を消した中、花道から保名が、つがいの蝶を追いながら、我の心この世にあらじという態で入ってきます。悲しみに心乱れた保名は恋人の小袖を持って踊り狂うのですが、踊りそのものが哀しくそして美しいのです。

仁左衛門は内容や構成上、曲にそう変化や起伏はないし本当に難しい踊りと言っていますが、いえいえ、二十数分のこの踊り、しっかりと楽しませていただきました。

夜の部の最後は「鰯賣戀曳網」、三島由紀夫原作の新歌舞伎です。こちらは細かいことは一切考えず、ただユーモア溢れる芝居を楽しめばよいといった類のもの。勘三郎と玉三郎のコンビのやり取りがおかしみを誘います。

三島の作とのことですが、新歌舞伎においても古典歌舞伎と同じような様式美を備えたいとの彼の美学が踏襲されており、義太夫もツケも用いられています。ただ、ストーリーは非常に他愛もないもの、あちこちで笑いが絶えない大団円のメルヘンです。

勘三郎は鰯賣猿源氏を演じており、このちょっと情けないコミカルな役どころが、ビタリとハマっています。「盛綱陣屋」よりも、こちらの方が大らかで自由に演じているように思えます。蛍火を演じる玉三郎との息も申し分ないといったところ。しかし、いくつになっても(いくつになったんだ?)玉三郎は美しいです。猿源氏の世慣れた父親役のなあみだぶつを演ずる左團次も捨てがたい魅力。

とにかく楽しめる芝居で、私の後ろの女性など始終「アハアハ」と笑い放しでした。これだけを目当てに観に来ている人も多いようでした、勘三郎の当たり役なんでしょうか。鰯賣の呼び声「伊勢の国安漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」という台詞が耳について離れません。

しかし、三つのお芝居を観た感触としては、「鰯賣」は面白いだけで何度も観たいと思うほどではなく、古典歌舞伎の面白さには適わないと思うのですが、いかがでしょう。余談ですが、いくら台詞の調子やフリがおかしくとも、どうしてこの場面で皆笑えるんだ?というところが「盛綱陣屋」で何度かあり、あれあれと思ったことも確か、歌舞伎ド素人の私ごときが書くことではございませぬが。

いずれにしても、豪華な顔ぶれの襲名披露。一度は観ておいて損はないかと。さて、お次は昼の部だ、いざ/\(>って、もう行く時間はないぞ)

歌舞伎座:近江源氏先陣館 その弐

日中はチラホラ雪が舞う寒さ、三寒四温の春の風情。京橋図書館に立ち寄りて「演劇界」「レコード芸術」「音楽の友」などを斜め読み。その後「盛綱陣屋」のみ再見せんと歌舞伎座へ。また/\しても気がせいて、幕見席の列に付いたは1時半前、列に並ぶは数えて十数人、これはちょいと早すぎた、とは思うもののまあよしと、印刷した床本取り出し読み耽る。


というわけで、まだ「盛綱陣屋」です。床本を四度ほど通読した上で劇に接すると、イヤホンガイドなど全く不要、スラスラと台詞が耳に入ってきます。役どころも性格も、しっかり把握できているので、劇で誰が何をしているのかがすっかり分かります。今日は堪能させていただきました。




まず役どころとして格段に素晴らしいのが、赤面の和田兵衛秀盛を演ずる中村富十郎(天王寺屋)。自身が語っているように「線が太く豪快」な役柄。敵の陣屋に単身ふらりと立ち寄ったり、あるいは捉えられても、隠し火矢をもって屋根を打ち抜き、御座の白幡を奪って逃走するほどの男。劇の最初と最後にしか出てこないものの、存在感の大きさが記憶に強く残ります。富十郎は台詞回しも太く声高で、人物像をくっきりと描き出しています。「十八代目さんが映えるように盛り上げたい」と語っておられますが、たしかに彼の存在あっての盛綱です。


次は、これもやはりといいましょうか、盛綱兄弟の母、微妙を演じる中村芝翫(成駒屋)。微妙はこの劇の重要人物で、盛綱以上に出番の多い役。最初は音信不通で顔も見たこともなかった孫の小四郎でしたが、見れば見るほど我が子の高綱に似ているので次第に情が移ってしまう、それでも武家の母としての気丈さも示さねばならぬ、という難しい役どころ。見終わってみると、盛綱以上にあちらこちらの台詞が耳に残っています。小四郎に自害を迫りながら、最期は情に流されて抱きかかえてしまうというのは、一つの型なんでしょうか。


ただひとつだけ、人間国宝の芝翫を、たかだか歌舞伎を見始めて2ヶ月のものが、よいだの悪いだの言えるはずもなかろうものですが、先月の「野崎村」でも感じたのように芝翫の演ずる愁嘆場はちょっと”生”すぎるという気がしないでもありません。それだけ気持ちがこもっているということではあるのですが。


さて、次は小四郎の母 篝火を演ずる中村福助(成駒屋)です。彼女は小四郎が心配で敵の陣屋に一人乗り込んできてしまいます。それを盛綱の妻 早瀬に咎められたり、目の前で息子小四郎が自害するのを目の当たりにしたりと、かわいそうな役どころ。ここで、篝火は高綱の計略を知って陣屋を訪れたのか否かということが気になります。私としては、ただ単に息子が心配という親の狼狽が行動に走らせたと思っていましたが、先に紹介した床本では、首実検の後、贋首と知って大将へ渡したそなたは京方へ味方するサ心底かとの微妙の問いに対し、盛綱の台詞は以下のようになっています。


イヽヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。


この定本では、夫婦が計略したと考えているわけです。勘三郎演じる盛綱は、ここのところを「高綱親子」と言っていましたので、今回の劇においては篝火は計略を知らなかったとする方が自然かもしれません。いずれにしても、わが子の命さえも、家の名誉のためには犠牲にすることを厭わない、武士の厳しさ、哀れさがひしひしと伝わってきました。


中村児太郎(成駒屋)が演じる小四郎も、最初は一本調子とは思ったものの、最期の悲嘆の場面では、あまりの健気さに心打たれてしまいました。


先に「端役」などと書いてしまいましたが、注進役の信楽太郎を演ずる松本幸四郎もさすがに見事。たった数分の注信役なれど、短い間の華麗な舞、ツケに乗った足さばきにビシッと決まる見栄、あちらこちらから「高麗屋」の掛け声、台詞は何だか聞き取りにくけれど、劇進行にちょっと一息をつけさす役所は見事に果たしていました。


さて肝心の盛綱こと中村勘三郎ですが、これは今更いうまでまでもありません。見せ場は二つあって、ひとつは母微妙に小四郎の切腹の依頼を決意する場面、


盛綱は只茫然と、軍慮を帳幕の打傾き思案の扇からりと捨て「母人それにおはするや」と音なふ声に立出る。


という部分と、もう一つは首実検の場。このように「盛綱陣屋」では無言の中に心理の変化を表す重要な役どころ。三味線の弦の音が、心理の微妙な綾を表現しており、場の緊張感はいやが上にも高まるところ。


首実検の場面では、何故小四郎が贋首と分かっていながら自害したのかを問答すること数分、ふと傍らを振り返ると哀願するかのような瀕死の小四郎の目に気が付き、愕然としてその意図を悟るという算段です。


矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候


弟高綱は北条時政をして軍法の奥義を極め、陣平張六にも劣らぬ有志とまで言わせた軍師、何としても鎌倉方に付かせたいという思いが時政にはあります。盛綱は「武士にニ君なし」、高綱に時政の計略に嵌らずに武士としてまっとうして欲しいという、兄心を貫いた情の男です。こういう人間的な広がりがあればこそ、劇の面白さがどんどん広がってゆきます。

かように、書き始めるとキリがないほど、やっぱり歌舞伎を見るなら床本に当たってからが良いとつくづく感じましたです。


2005年3月13日日曜日

近江源氏先陣館 坂本城の段


「近江源氏先陣館」の「和田兵衛上使の段」の前は「坂本城の段」です。WEBにテキストがあるので参照してみましょう。


この段は佐々木三郎兵衛盛綱が、弟の高綱の城門を訪れる場面です。テキストを読むと、盛綱と高綱兄弟は13年間も不通であったこと、お互いの一子である小三郎と小四郎は同年齢の13歳であることが分かります。そして、明日が彼らの初陣になっているのです。当時は13でも元服年齢ですから、中学生が戦場で戦っていたわけですか・・・




盛綱が高綱の城を訪ねたのは、兄弟、従兄弟同士が戦うのに心痛める母微妙を思ってのことです。まずは盛綱が「降参に参った」と切り出しますが、高綱は


兄とは推参慮外千万、凡そ弓取の操はな、善にもせよ悪にもせよ一度頼まれたる詞を変ぜず、危きを見て命を捨て二君に仕へぬを道とする事犬打つ童まで知る所、一旦鎌倉に味方しながら今さら旗色の悪しきを感じて生面下げて降参とは、腰抜けの犬侍、兄弟の縁切った


と烈火の如く怒ります。実は盛綱の降参も本来ならば鎌倉陣営に取り込みたいとする北条時政の計略があってのこと。高綱の主君に仕える「義心が鉄石」であることを確認したため、戦さけられずとなったわけです。


盛綱陣屋でも盛綱は常に弟のことを思う良き兄として描かれています。歌舞伎では高綱は一切登場しないのですが、知将とされながらも、一本気なそして堅い意志に貫かれた武士であることが分かります。、そうでなければ、自分の子供の命を計略の要にはしませんよな。


この後は小四郎が母篝火が見守る中、初陣にのぞむ場となります。ここでの篝火の様子の描写は端的ながら、武士の子の母の気持ちのが短い文章にきりりとまとめられています。


櫓より母篝火、わが子の初陣勝負は如何と見れば、平場の戦ひに、斬立てられて軍兵ども立つ足もなく逃げ散れば、櫓より見る母親は嬉しさ足も千鳥泣き、

この後の従兄弟どうしの合戦の描写も見事。


左手の山の尾先より小三郎が父佐々木盛綱、忰が初陣勝負はいかにと見下ろす遠眼鏡、母は櫓に目も放さず胆を冷する子と子の勝負。「そこを付込め小三郎」と傍なる人にいふ如く父があせれば、篝火は「ソレ小四郎、打太刀が鈍って見える」「そこを/\」と力む父親、あせる母、互ひに勝負もつかざれば「寄れ組まん」「もっとも」と馬を乗寄せむずと組み「えいや/\」と揉み合ひしが、鐙蹴放し組みながら両馬が間にどうと落ち、上になり下になりころ/\転び打ったりしが、小三郎運や強かりけん、小四郎を取って引伏せ上帯解いて高手小手、折重なって大音声「佐々木の小四郎高重を初陣の手初め生捕ったり」と呼ばゝれば、寄せ手はどっと褒むる声、櫓の上に篝火が『わっ』と泣く声、勝鬨は谷に響きて


簡潔な文章の積み重ねながら、も緊張感溢れる描写に舌を巻きます。この段があって、次に和田兵衛が盛綱の陣屋を訪れ、生け捕った小四郎を返してくれと頼みに来るわけなのです。また、こういう母親像がを踏まえたうえで歌舞伎での篝火(福助)を思い出すと、楽しみも増してくるというものです。


って、今回は引用だけですな。


2005年3月12日土曜日

歌舞伎座:近江源氏先陣館

中村勘九郎襲名披露の最初の月夜の部は、「軍艦級」と言われる「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」から始まりました。「盛綱陣屋」は近松半ニと三好松洛の合作した全十段の浄瑠璃の第八段に当たります。歌舞伎では「和田兵衛上使の段」「盛綱陣屋(小四郎恩愛の段、盛綱首実検の段)の段」と演じられています。


時は源氏の時代、盛綱と高綱兄弟が北条方と源氏方に分かれて戦っています。盛綱、高綱兄弟の母親が微妙で、盛綱の陣営に居ます。敵方に回っている高綱は知将として北条勢に怖れられている軍師で、老獪な北条時政が何とかしたいと思っています。そんなときに、高綱の一子小四郎が盛綱陣営に捕らえられたところから話しは始まるのです。


配役は豪華の一言、まさに襲名披露にふさわしいという顔ぶれです。人間国宝の芝翫(成駒屋)に始まり、豪傑の和田兵衛には富十郎(天王寺屋)が、敵方になった弟高綱の妻 篝火には芝翫の長男である福助(成駒屋)が、そして囚われの身となった高綱の子 小四郎には福助の長男児太郎(成駒屋)が、端役に近い信楽太郎を幸四郎(高麗屋)が演じているのですから凄いですね。成駒屋に至っては三代総出演です。




まず注目はやはり勘三郎でしょうか。幕見席からですと舞台が遠く、また誰が誰なのかよく分らないものの、さすがに勘三郎が登場すると、あたかもスポットライトが当たったかのような華やかさが生まれるのは、衣装の輝きだけではありますまい。テレビのトーク番組でしか見たことのない勘三郎でしたが、他の俳優たちに比べ通りの良い高めのトーンの声は、4階幕見席までしっかりと届いてくれます。さすが貫禄といったところでしょうか。


盛綱・高綱兄弟の母親役微妙は、歌舞伎「三婆」といわれるほどの難役ですが、それを演じるのが、先月「新版歌祭文」でお光を演じた芝翫です。微妙は、兄弟が別れて戦っていることに心を痛めながらも、武家に生まれた身として自らの立場もわきまえています。長男の盛綱が、生け捕りにされた弟高綱の子、つまり微妙の孫にあたる小四郎に切腹するように仕向けてくれ、という難しい頼みごとを引き受けます。


親子の中に改めて頼むと有るはよく/\の事ならしめ仔細は知らねど心得ました。



ここでの盛綱と微妙のやり取りは見せ場の一つでしょうか。微妙が居ることで、劇にずしりと重みが加わっているような感触があります。


この演目は、兄弟で敵味方に分かれて争う戦国の世の理不尽の中で生きる武士達の気構えと哀しみ、父の意思を汲み自らの命を絶つ小四郎の健気さと、敵であり知将とされる弟高綱に武士として生きて欲しいと考え、自らの身の危険も顧みずに苦渋の決断をする盛綱など、複雑な心理劇が見せ場です。

児太郎演じる小四郎は、台詞が一本調子で、まだまだなのですが父の首を見せられ白刃を自らの腹に突き立てて、あわてる盛綱らに


何故死ぬとは叔父様とも覚えませぬ、卑怯未練も父様に逢いたさ、父を先立てて何まだ/\と生き恥をさらさん、親子一緒に討死して、武士の自害の手本を見せる

の場面はなかなか緊張感に跳んでいます。この後が、見せ場のひとつ盛綱の首実検。台詞なく、何故小四郎が贋首と分かっていながら、父の首なりと自害したのか、自ら問答する場面です。遠くからではよく分かりませんが、次第に変化してゆく盛綱の様子がそれとなく伝わってきました。


異彩を放つのは敵方の軍師である和田兵衛ですが、敵の陣中に単身乗り込んでくるなど豪胆さを見せ付けます。最後に再び登場し、盛綱が贋首と偽って証言した不忠から自害しようとするのを留めるなど、
けっこういい役回りです。和田兵衛を演じるのが、「新版歌祭文」で久作をを好演した富十郎です。彼の台詞まわしは非常に聞きやすく、そして劇にほっとした雰囲気を与えてくれていました。


という具合に、いろいろ楽しめる「盛綱陣屋」でした。今回初めてイヤホンガイドをつけて望んだのですが、これは結構くせものでした。初めてみる劇ですから、解説してくれるのはありがたいのですが、流れつづける劇進行をどうしても阻害してしまう、劇に入れなくなるんですね。だいたいの筋は分かったので、機会があればまた観てみたいですが(>って、また1時間も並ぶのかよ>誰か替わりに並んでくれ)。


にしても・・・武士って大変だったのですね。


2005年3月11日金曜日

【音盤】クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲

このごろの東京は一気に暖かいですね、日中はコートがいらないほどですし、昨日乗ったタクシーは「日中はクーラーつけましたよ」とか言っていました。このまま寒くならずに春モードに突入してくれると良いのですが。

そんなサクラサクの季節だからというわけではないんですが、何気なく手にとって聴いたのが、クレンペラー&フィルハーモニァ管のブラームス 祝典序曲でした。

クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲
  1. 大学祝典序曲 Op.80
  2. 悲劇的序曲 Op.81
  3. アルト・ラプソディ Op.53
  4. 交響曲 第4番 ホ短調 Op.98
  • クレンペラー指揮 フィルハーモニア管
  • 1&2 1957年3月、3 1962年3月、4 1956年11月、1957年3月 EMI (輸入版)


この曲はブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際に、その返礼として作曲したものですが、曲からは快活さ、若さ、明るさ、希望みたいなものを感じます。

クレンペラー指揮とフィルハーモニア管によるブラームス交響曲はどれもが、そしていつ聴いても感銘を受ける演奏なのですが、大学祝典序曲も目から鱗のような演奏です。堂々たる風格、音楽の持つふくらみとふくよかさ、そして温かみと祝福感。耳を傾けているだけで馥郁たる香りが漂ってくるかのようです。「旺文社ラジオ講座」で有名なファゴットによる幾分滑稽な「新入生の歌(元歌は「狐狩りの歌」)」メロディも全体の中に溶け込んで悠々たる流れです。

最後に流れる「だから愉快にやろうじゃないか」のメロディの当たりになると、すっかり立派な音楽を聴いてしまったという感動と充実感に満ち溢れてしまいました。あまりのことに3度も続けて聴いてしまいましたよ。有名ではあるものの、それほど「名曲」とはいえないんぢゃないかと言うような曲を、ここまで立派に仕上げてしまうクレンペラーには改めて感服です。

ちなみに、私の周りで受験をした人はいません、あしからず。

2005年3月8日火曜日

歌舞伎座:三月大歌舞伎~中村勘三郎襲名披露

三月に入っても寒い日が続いていますね、日陰には溶けきらない雪が残っていたりします。元が北海道なんですが、2年もこちらに居るだけですっかり体が本州仕様になってしまって、ブルブル震えたりしていて情けない限りです。

さて、今月の歌舞伎座は中村勘三郎襲名披露で賑わっています。券は発売と同時に売り切れだったらしく、暢気にウェブで申し込もうと思い立ったときには、もはや行かれる日の席など全くありませんでした。初日は、マスコミを始めとして芸能人などで賑わったそうで、ニュースなどを読む限りでは、口上も最後は涙ながらのものとなり、感動的であったようです。

��月は師走以上に忙しいので、のんびりしていると見過ごしてしまうと思い立ち、この寒い休日に1時間半も幕見席の列に並んで夜の部を観てきました。

感想は・・・ちょっと今は休日出勤+平日はタクシー帰りというくらいに忙しいので、ひまなときにボチボチ書いていきますが、なんとも豪華な舞台でありまして、並んでも価値はあるというものです。休日でも1時間半も待たなくとも、40分前くらいに列に付けば、何とか座れるのではないかと思います。

<昼の部>

  • 猿若江戸の初櫓
  • 平家女護島
  • 口上
  • 一條大蔵譚

<夜の部>

  • 近江源氏先陣館
  • 保名
  • 鰯賣戀曳網
  • 神楽諷雲井曲毬


2005年3月5日土曜日

【音盤】マラン・マレ:ヴィオール曲集より第2巻

3月に入ってから、なにやら仕事がバタバタしていて落ち着かない日が続いています。今日は昨年の秋に入手して封も切っていなかったマラン・マレのヴィオール集を取り出して聴いています。




Marin Marais:Piece de Viole du Second Livre

  1. Couplets de folies
  2. Pieces in G major
  3. Suite in E major
  4. Tombeau pour monsieure de Ste Colombe
  5. Pieces in D minor
  6. Fantasie

  • マルク・ルオラヤン=ミッコラ(ヴィオラ・ダ・ガンバ),ヴァルプ・ハーヴィスト(ヴィオラ・ダ・ガンバ),エリナ・ムストネン(Cemb),エーロ・パルヴィアネン(リュート)
  • BIS-CD-909(輸入版)







マラン・マレ(1656-1728)といえば、師であったサント・コロンブとの確執を描いたAlain Corneauの映画「めぐり逢う朝 ( Tous les matins du monde ) 」で有名になったように覚えています。最近までは脚光を余り浴びていなかったマレですが、ルイ14世時代のフランスでは an incomparable Parisian violist whose works are known throughout Europeというくらいに有名なヴィオール奏者かつ作曲家であったそうです。


オペラやトリオ・ソナタなども作曲し、当時は広く演奏されていたようですが、最も代表的な作品は5巻のヴィオール曲集(1686-1725)とされています。この曲集には550曲もの独奏・合奏曲が含まれていますが、中でも1701年にマレ45歳の時に出版した第2巻は「ラ・フォリア(スペインのフォリア)」が納められていることから特に有名です。このアルバムもこの第2巻からとったものです。


最初に納められている「ラ・フォリア」はフルートでもよく演奏されますから、聴き馴染みのある曲とえいまが、やはりヴィオールで奏されるのを聴くと深みと渋みに圧倒されてしまいます。舞曲をテーマとした32の変奏曲が延々と演奏されますが、聴いていると、淡々とした落ち着きの中からメランコリックな哀愁が漂ってきます。人生に疲れてきたときに聴くと特に心に染みます。


マレの師でもあった、サント・コロンブに捧げるトンボーも秀逸です。一連の下降する音形が追悼と哀しみを歌っているように思えます。最後にちょっと弦の響きが強くなるところに静かなパッションを感じます。


ルイ14世が1685年にマントノン夫人と密かに結婚しますが、彼女が経験なカトリック信者であったことは、華やかな宮廷音楽にも少なからぬ影響を与えたようです。マレの技法を駆使したヴィオラ・ダ・ガンバの曲集は、一見快活なGigueなどもありますが、全体にどこか内省的であり、聴きようによっては老人の追憶や後悔に似た感情を覚えるのも彼の生きた時代と無関係ではないのかもしれません。


ちなみにヴィオールとは以下のようなものらしいです。


The instrument for which Marais wrote the major portion of his works is commonly referred to as the viola da gamba. Strictly speaking, however, it was the small bass of the viol family, which in the 17th and early 18th centuries included as many as nine different sizes of instruments, all called by the generic name viola da gamba. Marais' instrument--viola da gamba, bass viol, basse de viole, or, simply, "gamba"--was somewhat smaller than the modern cello and had frets and seven strings, tuned to A1, D, G, c, e, a d1.



musicologより