2008年12月31日水曜日

今年最後のランニングと銭湯とか

大晦日になりました。大掃除も終わり、やることもなくなりました。天気も良いですし、ちょっと走ってみます。今日は久しぶりに冬の気温が戻ってきました。ピンと冷えた空気が何とも心地よいです。

年末なので、あまりムリはせずに昨日と同様に1km6分程度のペースで50分程度走ることとしました。このペースですと、下の換算表にあるように、ちょうどフルマラソン完走が4時間。うーん、マラソン参画にはまだまだ程遠い体力であると再認識。


31日のペース(8.5km)
100m 400m 1km 42.195km 走った距離
35秒 2分20秒 5分50秒 4時間6分 50分

ランニングの後に、年末ということもあって、近所の商店街にあるK湯という銭湯に行ってみることとしました。最近は銭湯も密かにブームのようです。私にとっては、いわゆる番台のある銭湯に入るのは数十年振りのこと。

銭湯は、外見からは、あまり綺麗そうには感じられなく(失礼!)、ですから、ちょっと恐る恐るではありました。ところが、入ってみますと、やっぱりといいますか、マンションのちんけなユニットバスとは全然別物です。「こりゃあ、たまりまへんな~=3」とひと時の極楽感を味わうことができました。

K湯はちっちゃな地元の商店街の中の銭湯です。TV取材されることも絶対にありません。入っている客層は、オーバー70のお年寄りがほとんど。日本の将来は後期高齢者で埋め尽くされるのだろうなあと、自分もそろそろ年寄り扱いされないように、頑張らねばと、風呂に顎まで浸かりながらぼんやり考えたりした大晦日でありました。




冬休みのランニング

冬休みに入りました。12月は忙しさと寒さからしばらく走っていません。正月太りにならないようにと、頑張って走ることとしました。ついつい家にいる時間が長いと食べ過ぎてしまいますから。

今年の年末は、冬とは思えないほどの暖かさです。日中で気温16度は北海道の感覚からは完全にはずれています。空はまさにピーカンの青空、この時期に外で走れることは何とも心地よく嬉しいものです。

28日、30日は7kmを6.5分/kmのスピードを維持して走ることとしました。この程度のスピードはランニングに慣れた人にとっては、会話しながらの軽いジョギング程度の負荷。しかしスピードに慣れていない私にとっては、苦しいという程ではないものの、それなりの負荷でした。

5kmを過ぎたあたりから下半身が重くなって、脚が前に出にくくなります。ちょっとした「上り坂」でも脚が重くなる。かといって、もう走れないというわけでもない。少しこの距離とスピードに「慣れ」が必要なようです。遅いスピードでいくら長距離を「歩け」ても、「走る」こととの間には大きな差があるように思えます。

休みの間は、あと何回走れるでしょうか。

2008年12月27日土曜日

個展:瀬畑亮セロテープアート展

芸術家という生き物は奇妙な生き物です。練馬区美術館で開催されていた「石田徹也展」と一緒に開催されていたのが、セロテープアートの第一人者、瀬畑亮の個展。(公式HP)

日経新聞か何かで紹介されていて名前を知りました。彼女は市販のセロハンテープを巻上げて造形を造ります。幼少の頃からセロテープに異常な興味を抱いていた彼女は、与えると使い切るまでセロテープをいじくりまわしていたそうです。母親が、これだけ与えれば諦めるだろう、飽きるだろうと、袋一杯のセロテープを与えたら、彼女は水を得た魚とばかりに、袋一杯のセロテープを使いきった・・・。

正直、彼女が造形をどうして「セロテープ」で造らなくてはならないのか、理解できません。蜜蝋のような独特の色。仔細に表面を見ると、セロテープが気の遠くなるほど巻かれているらしい痕跡。かつては「芯」を用いて造っていた時期もあったのだとか。しかしある人から、その「虚」を指摘されてからは、手が腱鞘炎になるのも厭わず、芯を用いないところから造形を造るようにしたそうです。

塊の全てが薄いセロテープの積層体であると思ったときの、そこに込められた時間と想いに、少しばかりクラクラします。

彼女の造るオブジェは他の素材、例えばFRPとかガラスとか鋳物などでも可能です。しかし彼女はセロテープ以外の素材では表現できず、得られた作品の質感、重さ、密度感も、セロテープ以外では、おそらくありえないのでしょう。

2008年12月26日金曜日

個展:石田徹也展~僕たちの自画像~

練馬区立美術館で開催されている「石田徹也展」に行ってきました。行かずにはいられないと思って西武池袋線の中村橋まで足を運びましたが、これは正解。というか、衝撃の世界が練馬の小美術館で展開されています。必見です(→石田徹也公式HP)。

「NHK美術迷宮館」で、かの「飛べなくなった人」が紹介され、気にはなっていたのです。しかし、彼のこれらの作品をどう評価するか。深刻なメッセージと取るか、あるいは日常の違った面からの断章と取るか。石田氏自身は「ユーモア」という言葉を用いて自分の作品を説明したりもします。そう、それほど「深刻」になる必要はないのか、と思ったのが、比較的受容も解釈もできる第一展示室の作品群。

しかし、第二展示室は生と死と虚無と希望が横溢した、凄まじい世界が静かに展開されていました。驚きの作家の内実。31歳、町田付近で踏切事故で若い命を落としました。彼の作品を見ると、この先彼は生き続けることができたのか、こんなにナイーブな精神が、現代で通用しただろうかと思ってしまいます。

柔らかく、壊れやすく、あたたかく、湿っていて、決して人前には出せないので隠し持っているような何か。まるで子宮願望のような回帰性。現実に「嫌だ嫌だ」を内心では繰り返しながらも、表では能面のような風を装い、そして何かが毀れていく。石田氏の作品が内包する世界は、現実世界そのものや自分のありように対する苛立ちと反逆となって奔流します。そういう自分を「ユーモア」で笑い飛ばしながらも、目だけは笑っていない。

一貫して描かれた虚ろな目をした青年が、画布の向こうから見据える我々は、いまどんな風に見えているのでしょうか。

彼の作品は、先に紹介した公式HPでも閲覧できます。しかし、画集や画像からは分かりにくいディテールの凄まじさは、実物に接しなくては得られません。その大きさと細やかさと執拗さ。画家の精神に圧倒されます。




詳細なレポートは弐代目・青い日記帳をご覧下さい。東京では28日(日)まで開催されています。


2008年12月23日火曜日

映画:地球が静止する日


キアヌ・リーブスが出演している「地球が静止する日」を観てきました。結論から申上げますと、とてもではありませんが正視するに耐えない映画でした。莫大な予算と時間と労力をかけて、これほどに壮大かつ無意味・無感動な映像を造り上げる馬鹿さ加減に呆れ果てます。まったく、ハリウッドってやつはです。



51年のロバート・ワイズ監督による同名映画のリメイクですが、最新のSFX技術を駆使して巨大ロボットゴートや地球が破壊される様を描きたいという欲求で造られたといったところでしょうか。女性科学者演ずるジェニファー・コネリーのみが唯一の見所。それにしても浅い、中途半端!突っ込みどころ満載。中盤からラストにかけては呆然、これでオワリ!?


人類の叡智をもってしても到底抗うことのできない、圧倒的な差のある敵からの攻撃や蹂躙とか侮蔑。主人公が、わずかなチャンスを生かして戦うというのは、古今東西、永遠に尽きることのないテーマ。それをどう料理するかが腕の見せ所だと思うのです。特殊撮影技術が主ではありません。


人類が消えれば地球は助かるという発想は、以前に読んだアラン・ワイズマン著のベストセラー『人類が消えた日(The World Without Us』を思い出しました。こちらは渾身のノンフィクションでした。

2008年12月21日日曜日

【本棚】柴田哲孝:TENGU




帯にあるように「第9回 大藪晴彦賞受賞作」とのこと。この本が大藪晴彦の名に値するかは議論が分かれましょう。今年話題のミステリーでもと思って書店の平積みを手に取ったものですから、この作家を読むのは初めて。果たして読んでみますと、確かに筆力はあるし、面白い。一気読みです。

しかし、着想の奇想天外さと結末に向けての造りこみに納得ができるか。ベトナム戦争、911テロ、国家レベルの隠蔽交錯など、広げた風呂敷は大きいものの、結末は"これかよ"みたいな大きな肩透かし。種も仕掛けも裏もないんですよ。ですから壮大なミステリーを期待する向きには、失望と甘さを禁じえないでしょう。そういう意味では「剛球」勝負の作家といった印象。

本書を大藪賞たらしめる理由があるとすれば、それはアウトロー的男のロマンを土台とした作風にあるのでしょうか。作者自身が、海外の秘境に釣行するアウトドア派で、パリ~ダカール・ラリーにも参戦などのプロフィールを読むと、疼きを覚える人も多いはず。作中人物に作者の姿がかなり投影されているらしい。


そういう輩の思い描く「男のロマン」とは、しかし客観的に見ると、これほどまでに子供臭く身勝手なものなのかと呆れてしまうほど。主人公や周辺の男達の人物像に感情移入できるか否かが本書の評価の分かれ目になるでしょう。


さらに酷い(と言い切ってしまいますけど)のは女性像。男の理想系でしか描かれず、一時代前の小説を読むかのようです。彼女達を「やさしい女」「理想の女」「天使」と見るか否か。バカバカしくて、ちょっと笑ってしまいます。因習の村の扱いも作者の女性像をフレーミングするためのプロットでしかなく、深みに欠けます。


まあ、そういう批判はイロイロありましょうが、です。男というのはかくもバカな生き物だと「やさしい女」たちに赦してもらいたいということなんでしょうかね。


それであっても、彼のデビュー作となった「下山事件 最後の証言」を、彼の筆致で読んでみたいという気にはなりました。私はバーボン派でありませんから、上質のシングモルトでも用意して。そう、バカな男にはスピリッツがどうしても必要なんです。






2008年12月18日木曜日

映画:レッド・クリフ Part 1


ジョン・ウー監督の「レッド・クリフ Part1」を観てきました。



イロイロと多忙な師走にあって、このような完璧なエンターテイメントは、ひとときのカタルシスを与えてくれます。圧倒的な戦闘シーンは、今ままで観たこともないほどの迫力と残酷さ、そして壮大さがあります。


ジョン・ウーの暴力シーンは賛否両論があります。ここに「男の美学」を感じるか否かが、彼の作品を好きになるか嫌悪するかの重要な境目となりましょうか。(私は、彼の表現はちょっと「やりすぎ」と感じる程の穏健派ではあります)


ジョン・ウーの描く「美学」は派手かつ官能的と言えるほどの戦闘シーンだけにあるわけではなく、その戦闘を行うに至る原因や必然性にこそ「男」が痺れる要素があるように思うので、単純化された図式は彼の持ち味を少しばかり損なっているかもしれません。


本編は「三国志」の中で有名な「赤壁の戦い」を扱っています。善悪を分かりやすくするために、曹操を悪玉に、諸葛孔明を有する劉備軍と周瑜を有する孫権軍の同盟軍を善玉としています。これが物語を平明なものにしています。


「三国志」といえばゲームになるほど人口に膾炙していますから、語り始めるとキリのない人も多いでしょう。私は久しぶりに吉川英治の「三国志」を取り出して、「赤壁の巻」をつらつら暇に任せて読んだりしています。

2008年12月15日月曜日

【本棚】誉田哲也:ストロベリーナイト



こういうサスペンス小説が最近は受けるのでしょうか?

男性社会でぶれることのない立ち位置を占める存在感ある女性が主人公であること、官僚組織の典型である警察を舞台としていること、そして猟奇的殺人事件と意外なる結末。「売れる」要素は兼ね備えています。

しかし、私にはどうにも、こうにも。サスペンスはこのごろほとんど読みませんけど、もっとマシな小説もありましょうに。大阪日帰り出張の往復の新幹線の中でヒマつぶしにでもと思った本で、多くを期待して読んだわけでもありませんから、いいんですけどね。

何よりも受け付けないのは、猟奇的にしてグロな描写。最近の読者は、このくらいに刺激的でなくてはモノ足りませんか。読者がバカにされているような不快な気分です。刺激的であればよいというものではない。

残虐さと相反するかのような、下手なユーモア、コテコテの人間関係は下手な漫才を見ているよう。主人公の過去には、主人公の成長物語として読むこともできますけど、重いテーマが刺身のツマみたい。

そして警察の嫌というほどのセクショナリズム。組織のしがらみとか、出世とかキャリアとか=3私のような中間管理職のサラリーマンは、身につまされたり、共感するところもありましょう。でも、それが逆に確信犯的に感じられ、これまた作者にコケにされているように感じる。

解説者が「キャラが立っている」と書いたところで、クセがある人物というだけでそれ以上ではない。

犯罪者心理や動機や背景にも共感を全く覚えません。社会の暗部をえぐってもいません。

所詮エンタメ小説、読んだらすぐさまBOOK OFFという運命であることに変わりはなく。怖いものみたさを満たす小心でスケベな感情と、自己憐憫と自己弁護のためのガス抜きと言ってしまえば、きつ過ぎますか。

ファースト・インプレッションにしては批判的すぎるとは思います。同じ作者を続いて読む気には、今のところなりません。また新幹線にでも乗るというのなら別でしょうけど。

2008年12月8日月曜日

ランニング19日目

だんだん寒くなってきて走るのが億劫です。それでも風を通しにくいというウェアを着込み、暗くならない前に走ることとします。走っているともうすっかり冬のにおいです。陽も暮れてくると手袋さえ欲しくなるほどです。

今日はスピードを少し上げたままを維持。1km 6分半から7分弱を維持するのが目的。10km全てを6分半のペースで走りきるには、まだ膝に不安を感じます。うーん、やっぱり根本的に走り方とかアライメントをチェックしなくてはダメですかねえ。

ランニングのおともはJ.S.バッハの「ロ短調ミサ曲」。なかなかよろしいですよ、「マタイ受難曲」に比べると親しみやすく、明るいですし。



2008年11月30日日曜日

ランニング18日目

イチョウの木もすっかり色づき、まさに秋というカンジです。もっとも、これは根っからの道産子の感覚で内地(=本州)の人にとってはもう初冬なのかもしれません。

そんな紅葉の中をゆっくりと散歩をしたり、軽くジョギングするのは、本当に楽しいものです。土曜日は特に暖かくて、コートさえいらないくらいの陽気。

ここ2週間ほどは都合で走れませんでした。今日こそはと思い、夕方からいつものコースに出かけます。

最初はウォーミングアップとして軽くウォーキングを3.5km、7.5分/kmのペース。その後はジョギングで最初は5kmは6.5分/km程度のペースを維持します。後半になると7分のペースに、どうしても落ちてしまいます。呼吸も脚も大丈夫だと感じるのに、全体的に体が重く感じてスピードが鈍るのは基礎体力不足なのでしょう。もう少し走り込みが必要なようです。

このくらいの距離(時間)だと、あっという間に経ってしまいます。よく友人や同僚に「ランニングしている」というと「へー」てな顔をされます。「つまんなくない」とか「同じところグルグル回るだけでしょう」とか。「しんどいだけぢゃない」とか。そうですよね、なんでこんなことが面白いと感じるのでしょうね。いつも「オレって何のために走っているんだろう」と自問しながら走っているのも事実。でも「つまらなく」はないですよ。

このままでは年内15kmくらいまでしか距離を伸ばすことができません。少しトレーニング方法も変えてみようと考えています。





2008年11月16日日曜日

【本棚】竹内一正:スティーブ・ジョブス 神の交渉力

「iCON/スティーブ・ジョブス 偶像復活」を以前読んでいますから、本書から目新しい情報は得られません。ジョブスについて知っている人に本書は二番煎じの、初めて読む人には短い時間でのガイダンスなりえましょう。

既に充分に紹介されているジョブスのビジネスにおける「手口」とか「やり方」を紹介し、テーマごとに「貴方にもできそうなこと」を自己啓発所風にまとめているところが本書の特徴。ソニーの井深大や松下の松下幸之助などを、刺身のツマのように引き合いを出していますが、中途半端で雑な印象を受けます。

誰もがジョブスに敬意を示し、ジョブスに憧れたとしてもジョブスには到底なれない。ジョブスの前にジョブスなく、ジョブスの後にもジョブスなしです。

彼の性格を端的に表現する表現。

腕に覚えのないサラリーマンでは、ジョブスと働くのはムリだ。たちまち切って捨てられるだろう。ジョブスは、鋭利な刃物のような切れ味の人間だから、敵をなぎ倒し、問題を解決する過程で、まわりの人間まで切り刻むことがしばしばである。よくも悪くも、これがジョブス流だ。(P.70)

あるいは、

能力や野心が大きければ大きいほど、人はジョブスに惹きつけられる。そしてドアの内側に入れば、「ジョブス以外の人の下では働きたくない」と言い切る。一方で、ドアの外側に追い出されたら、「二度と絶対ジョブスとは働きたくない」と断言する。(P.91)

なぜ、人はジョブスに惹かれ、ジョブスから離れるのか。なぜビジネスの場で、ジョブスは相手を圧倒的に魅了してしまうのか。それはジョブスが、我々がかつて見たこともないようなモノを見せてくれることと、何かとてつもなくワクワクさせてくれるものを絶対に実現させるのだという強烈な意志があること。

ジョブスを「嫌い」「嫌な奴」と評する人は多いと思います。「野心」もなく凡百の才能しかない者が、いったいジョブスから何を学べるというのでしょう。絶対に実現させたいモノあるいはコトがあるのか。彼を知ることは、働くことの源泉に対する問いかけで、小手先の技術を幾ら並べたり、彼のやり口の好悪を評しても詮無いことではないかと。

◇

本書はジョブスの有名な2005年スタンフォード大学での基調講演(→ Text of Steve Jobs' Commencement address(2005)~STNFORD NEWS SERVICE)の言葉で締めくくっています。この演説は非常に感動的で、本書を読むよりも余程価値があります。

有名な「今日が人生最後の日であったら」の部分。

for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

スタンフォードの学生に贈るメッセージ。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ? which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

最後は下記の決意表明で結ばれます。

Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself.

日本語訳もネットを探すとイロイロあります。Googleでトップに出るのはここ。You Tubeの動画は下記。

2008年11月10日月曜日

ランニング17日目とマタイ


まともに読まれてなどいないだろう、個人的なランニングの記録です。

いよいよ寒くなってきましたので、早朝のランニングは気分的に滅入る。ということで、日曜日の夕方にシフトしつつあります。それでも17時過ぎにには暗くなりますから、あまり長時間というわけにもいきません。暗い中、黙々と走っていますと、学生時代のつらく厳しいトレーニングを思い出したりします。

ペースは軽いジョグであれば1km6分半から7分程度。ちょと気を抜くと7分半のペースになりますから、それなりにペース維持の努力はしなくてはなりません。やはり問題は低負荷での筋持久力、このペースでは心肺機能ではありません。

1km7分というペースは「走っている」というカンジではない。しかし6分半のペースで10km走り続けられるほどの筋力はついていない、といったところ。膝への負担が大きくなると、膝の調子も危なくなってきます。

12.5km走った後は400mトラックで、スピード走を取り入れて上がりです。ああ、今日も疲れた。

ランニングのお供(iPod)は、相変わらずガーディナーの「マタイ受難曲」。アリアだけ、コーラスだけというリストも作って、繰り返し聴いていますから、だいたいの聴きどころは分ってきました。歌詞を対応させていないので、まだメロディからの印象しかありません。曲だけ聴いていても相当楽しめます。やっぱりすごい曲ではあるなと。






2008年11月4日火曜日

【本棚】人類が消えた世界/アラン・ワイズマン

人類がある日忽然と消えた後、地球はどのようになっていくか、ということを延々と書いた本。

世は廃墟ブームもあり、人がいなくなって荒廃した世界に、妙に惹かれるというのは、どういう心境なのだろう。




人類が途絶えることによって、環境破壊が止まり、人間が作ったものが徐々に植物や、風雨の侵食によって崩壊していく様を想像するのは、ワクワクするような感覚を覚える。

人類の文明が地球にとって害悪なのではないか、という罪悪感を多少でも感じる人は、人間のいなくなった世界に、なんらかの贖罪や免罪の意識を持つのかもしれない。

あるいは、単純に朽ちていくものに対する美学か。

もっとも、ワクワクするのは、読み始めて最初くらいで、全体にあまり面白いと思える本ではなかった。着想は良かったのだけど、なんか惜しい。

【本棚】三浦篤:まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画

今年春に大学生になった息子に、美術論の教科書として使っているけど面白いよと言われ読んでみたもの。確かにこれは良書です。(→Amazon)

本書はいわゆる西洋絵画概論ではありません。西洋絵画を観る面白さを理解するために、最低限必要な知識や、その後の「学び方」を概説するもの。本書のスタンスと簡単なガイダンスの後は、「神話画」「宗教画」「寓意画」「肖像画」「風景画」「風俗画」「静物画」という具合に章立てされています。西洋絵画と神話、宗教は切り離すことができず、肖像、風景、静物画は全てそれらの派生として生まれてきたことも説明されます。

絵画は自らの「主観」や「感性」こそ重要にすべきだという意見もありましょう。しかし筆者は(既に無意識のうちに雑多な知識や先入観が本人にあるため)、もはや「視線」は本来決して「無垢ではない」という前提に立ち、

「感性」も学ばれる余地のあること。
他者の模倣から出発しない「独創的個性」は存在しない

と主張します。図版が白黒で少ない(講義ではスライドを映写しているそうですから)ことが少々残念ですが、語り口は平易で非常に読みやすくできています。明日にでも美術館に脚を運びたい衝動に駆られます。少しでも美術について勉強したことのある人にとっては、常識的なことしか書かれていないのでしょうけど。

こうして通読しますと、いかに私(たち)が美術的教養に対して無知であり、美術界が紹介する口当たりの良いジャンルのみをいたずらに受容してきたのみではないかと反省してしまいます。こんなにも面白い教育(教養)が最高学府に至るまで、公的教育機関においてなされていないこと。西洋のみならず自国についても歴史、美術、音楽、芸能などを相互的かつ複合的に扱う教科が存在しないことは、とても残念なことだと思います。公教育に頼らず興味あれば自分で勉強しろということなのでしょうけどね :-p。

【本棚】図解!あなたもいままでの10倍速く本が読める

世に速読関連の本はあふれています。それほどに現代人は処理する情報量が多いということの裏返しなのでしょう。ですから、繰り返し出ては消えていくこの手の本も、売れ行きが減退することはありません。(→Amazon)

本書の目新しいところは「フォト・リーディング」という手法。1ページ1秒くらいでページを脳に焼き付けるのですとか。

フォト・リーディングを効果的に行うためには、「プレ・リーディング」(プレビュー:読書の方針決定)、「ポスト・リーディング」(ポストビュー:反省と深化)も欠かせない、何度も本文に接することによって、本書の理解も深まるのですとか。

斜め読みだろうが何だろうが、同じ本を三度も読めば、そりゃあ理解は深まります。肝心の「フォト・リーディング」となると、私には万人向けとは感じられませんでした。本書を元に何度か試してみましたが、こんなトレーニングを、とてもではありませんが続ける気になりません。この本だけで「フォト・リーディング」ができるようになる人も居ると思えない。そのうえ、「フォト・リーディング」以外は比較的まともなことしか書いていない、世の速読本とあまり変わりはないといった印象。

安易なビジネス本とか、ハウツー本などには、このような速読法は効果的でしょう。私も立ち読みのときは新書や単行本は1冊30分程度です、それ以上は疲れてしまいますし。しかし、じっくり読み込みたい本や、難しい本は速読はしません、というか速読に適さない、速読できない。

結局のところ読書法というのは、今までに蓄積された読書量と読書の質がベースとなって、それぞれが独自に編み出すものなのだと思います。私のように大した読書経験もない者には「速読可能なレベルの本」の数など、たかが知れているといったところ。あるいは、「速読可能なレベルの本」をいくら大量に読んだところで、得られる糧も知れているというと、書きすぎでしょうか。

2008年11月3日月曜日

ランニング16日目

朝も随分と冷え込むようになってきました。三連休でありウダウダ過ごしています。平日の業務が過酷であり、積極的に活動する気力が起きません。朝起きるのも辛く、といって走らないのも何なので、今回は夕方に走ってみることに。

夕方も17時を過ぎると随分と暗くなります。それでも「寒い」というには程遠い気温であり、ランニングには絶好でしょうか。

朝起き抜けよりも、体もほぐれ、筋肉も伸びていますから、走っていて「軽さ」を感じます。今日は膝の調子も良いので、ウォークとランを程よく組み合わせます。ウォークは1km7分30秒を、ランでは1km7分~6分半くらいのペースです。歩道に400mの距離を刻んだマークがあり、そこでラップを計測しているので大体正しいハズです。

10kmを走った後、400mトラックに入って、200mのスピードアップ走を3セット追加。タイムを計ると200m約42秒でした。ダッシュではありませんが、本人的には結構全力に近いつもり。このペースは1km当たり3分30秒、フルマラソン換算で2時間27分です。つくづくマラソン選手ってのは凄いものだと思います。

このまま年内、距離とランを延ばして15km程度まで走れるようになりたいと、漠然と思っています。





2008年10月29日水曜日

【音盤】新宿Disk Unionにて/ガッティ、サイ、アムラン

新宿ディスクユニオンに脚を伸ばし、いくつかの中古CDを物色。このごろCD購入及びレビュ意欲が激減している中、散々彷徨ってゲットしたのが下の3枚。

Tartini:Concerti/Ensenble415
Chiara BAnchini,Enrico Gatti(violons),Roel Dieltiens(violoncelle)
1995 harmonia mundi 901548(→amazon)

演奏は1981年に結成されたEnsemble 415(→HP)によるもの。Enrico Gattiが演奏しているということで購入したもの。Gattiは2曲目のConcerto pour violon et orchestreをソロで担当しています。Gattiのヴァイオリンも良いが、Dieltiensのチェロも深く渋くよろしいです。日曜日の朝とかは、こういう曲を聴いて、ゆったり、まったりとしていたいものです。

Black Earth/Fazil Say
Black Earth,Silence of Anatolia,Obstinacy,Paganini Variations,Alla turca-Jazz

サイのアンコール曲を集めたようなCD、中古にしてやっとゲット。「ブラック・アース」はコンサート会場で聴くと戦慄ものですが、CDでは何度も聴きたい曲ではありません。パガニーニとモーツァルトの変奏曲、こちらは相変わらず圧巻。モーツァルトの編曲は耳に馴染んだものとはバージョンが若干違うように聴こえます。サイは年末の来日に合わせて新譜も出ていて気になるのですけど、とりあえず当分無視とします。


 

Alkan/Hamelin
Concerto for Solo Piano
Nos.8,9&10 from Douze Etudes dans tous les tous mineurs,Op.39

アムランはアルカンを二度録音しています。これはHyperion版の前のもので録音は1992年。わざわざ買わなくてもNaxos Music Libraryで聴くことができます。You Tubeでもアムランのアルカンはいくつか聴くことができます。無知な私には、この曲のどこがピアノ技巧的に難曲であるのかは分りません。あまりに鮮やかなアムランの至芸に、結構病みつきになりました。

2008年10月21日火曜日

ランニング15日目


だんだんと秋も深まってきました。走っていても銀杏のにおいが強烈です。

先週は横浜にある義父母の家の庭の草むしり+柿取りに出かけたので、ランニングはお休み。ウォークとジョグを組み合わせたかったのですが、2週ぶりにですからムリは禁物、とりあえずはいつものメニューで流します。

1週間あけただけですが、走り終わった午後はぐったりで、何もする気力が起こりませんでした・・・。ナサケないです。



2008年10月15日水曜日

ランニングのおとも ガーディーナーのマタイ


今日はITSで購入したガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツによる「マタイ受難曲」を聴きながら走ってみました。もはや定盤であるガーディナーの「マタイ」、悪いはずはありません。ただし12kmそこそこの距離では、「マタイ」を最後まで聴き通すことはできません。ブルックナーならば大丈夫なのですが、バッハではダメです。やはりバッハは偉大ですっ!(>って、ちょっと違うだろう)。


冗談はさておき「マタイ受難曲」は軽々しく聴ける曲ではありません。正直に申しますが「マタイ」のリアル全曲ボックスは所有していません。抜粋版だけです、それも誰のか覚えていない、ほとんど聴いていないんです。


「マタイ受難曲」といえば究極の西洋音楽として崇め、全曲ボックスも複数所有しているというのが、正当なクラシックファンの姿でありましょう。例えば、『鎌倉スイス日記』のSchweizer_Musik先生ともなりますと、こうです。
(→http://suisse.exblog.jp/9064566/)


聞く音楽は何にしようかと考えて、バッハのマタイ受難曲を聞くことにした。ガーディナーの演奏はどんなものか…。今第1部を聞き始めたところ。素晴らしい演奏だ。もう10種類以上もマタイ受難曲を持っているけれど、どれが良かったかなんてなかなか言えない。さすがにこれほどの傑作を録音するほどの音楽家なら、大体一流に決まっているし、(中略)


さて、このガーディナーの録音。レポートするには曲が曲だけに簡単にはいかないが、凄い演奏だということだけは確かだ。エヴァンゲリストのアンソニー・ロルフ・ジョンソンもなかなか良い。エルンスト・ヘフリガーが…などと無い物ねだりしてけなすほど私は下品ではない。
それに合唱も上手い。さすがにプロの合唱で聞くマタイは安心感がある。



プロにしてこういう評価です。素人の風上にも置けない私ごときが、「ガーディナーの『マタイ』は・・・」などと書こうものならば、笑止千万です。


毎日のようにCDの感想をアップされている『妄想的音楽鑑賞とお天気写真』のyurikamome122さんは、「マタイ」(リヒター指揮)に対して控えめです。
(→http://yurikamome.exblog.jp/1401545)


正直この曲私にはわからないのです。(中略)


とにかく音楽に色気がないのです。気の利いたところもないではないですが、たとえばハイドンの「天地創造」のように。でもこういう曲はわかってくると奥深いのでしょうね。ある雑誌ではバッハ最高の傑作として取り上げられていましたが、私には「ロ短調ミサ曲」の方が聴けます。あれは飽きません。悲しいことです。残念です。



yurikamome122さんにしてこうなのです。音楽が偉大過ぎるのでしょうか、悲しいことです、残念です。


しかし、古学ファンであられる#Credoのkimataさんともなると流石です、「マタイ」に通底されておられるため、やはりこうなります。
(ヘレヴェッヘ指揮→http://blog.livedoor.jp/credo5026/archives/50368055.html)


とか言ってるくせに、今はBCJではなく、ヘレヴェッヘのCD(エヴァンゲリストがボストリッジのやつ)を聴きながらうブログ書いてます。ただいま、後半のフラット系の調性になるところまで来ました。この辺が一番好きです。いい曲だよ、まったく!


後半のフラット系になるところとは、具体的に「どこ」?なのでしょう、そう指摘できることそのことが、すごいことです。


とまあ、ネット上の正当なクラシックファンの方々の「マタイ」評を読むのは楽しいものです。そうして改めて、走りながらとか眠りに落ちながら聴くわけです。聴きながら思います。単なるBGMとして聴くには崇高すぎると。襟を正して背筋を伸ばしてでなくては、バッハやバッハ信者に失礼に当たるのではないかと。


しかしウェアの襟ばかり気にしていては走れません、背筋を伸ばしては苦しくて眠れません。椅子に座って聴こうにも、お尻が痛くなってしまいそうです。私にとって「マタイ」は、せいぜいがiPodに入れて走ったり散歩したりしながら聴くのが相応しいと思うのでした。


いつかは礒山雅著『マタイ受難曲』でも読みながら、真正面からこの曲に取り組んでみたい気はしますけど。



バッハ:マタイ受難曲


ジョン・エリオット・ガーディナー(cond) イングリッシュ・バロック・ソロイスツ バーバラ・ボニー(S) アン・モノイオス(S) アンネ・ソフィー・フォン・オッター(A) マイケル・チャンス(CT) ハワード・クルーク(T) オラフ・ベーア(B) クラシック声楽曲


録音年(1988年4月)/収録場所:オールドバラ

2008年10月14日火曜日

ランニング14日目

銀杏の葉も徐々に色づき始めました。「オチビサン」*1)で、今年の最後の蝉も終に息絶えたことが示されています(朝日新聞 12日)。

ランニングを始めたのが7月12日のことですから、今日でちょうど3ヶ月目となります、意外と続くものですね。まあ1週間に一度、週末だけですから。この程度の運動くらいしておかないと、生活習慣病が深くなりますからね。

ペース的には前回とあまり変わりありません、まだウォーキングの段階。このままウォークとジョグを組み合わせながら20kmくらいまで距離を伸ばしたい*2)と考えています。

北京五輪を断念した野口選手も、リハビリにはいまだウォーキングだそうです*3)。プロにしてそうです、素人ですから無理はしません。この程度の距離を走る(歩く)だけでも、午後にはぐったりと疲労が訪れますし、翌日には臀部や拇指球あたりに筋肉痛を感じます。最後に2km程度走ると膝に違和感をやはり覚えます。アライメントが狂っているせいか、多少肩が凝ったり腰にも負担を感じます。長距離を走るカラダには程遠いようです。ランはもうしばらく辛抱します。

  1. →(アマゾン)
  2. このチンタラしたペースで20kmというと約2時間半である! こんなに長時間、誰とも会話もせずに走り(歩き)続けられるものなのだろうか?(>自信なし) 走る(歩く)ことそのものが「好き」でなければ続かない。ランナーとは内向きで孤独な人種なのだなと再度実感。
  3. 10月11日に野口氏が佐渡でトークショーに出演(五輪後初)したらしい。
     藤田監督によると、野口には現在も足に痛みがあるため走る練習は避け、ウオーキングやプール、筋力トレーニングなどをしている状態。近々、ジョギングを再開する予定にしている。(asahi.com 2008年10月11日20時10分)






2008年10月11日土曜日

ランニングのおとも カラヤンのブルックナー


ランニングのおともとして聴いている曲にカラヤンのブルックナー全集(→DG版:HMV)があります。これもITSでダウンロードしたものです。



カラヤンのブルックナーは、まさに豪華絢爛。田舎くささやトロさ、深刻さは全く感じられず、ひたすらに美的快感原理が追求されているように聴こえます。それゆえ正統派のブルクネリアンは、おそらく今でも彼の演奏をかなり批判的に評価するのではないでしょうか。


録音は1975年から81年にかけて。カラヤンも70歳前後と高齢ですし、ベルリンフィルとの絶頂期は過ぎています。しかし、それではあってもテクニック的にも音響的にも世界最高峰のオケです。そこから至福を感じるかあるいは壮大なる空虚と浪費を感じ取るか。これは人により大きく異なるでしょう。


カラヤンの音楽は、彼があまりにも強大な権力を持ったが故か、日本の音楽界や音楽マニアの間で貶められた時期がありました。音楽に快楽より深い精神性を求めること、正統派ドイツ音楽への追求などなに対するアンチテーゼでもあったのでしょう。そういう当時にあっても、カラヤンのブルックナーのあまりの美しさを、控えめながらも強く主張する声もあったように覚えています。


今ではクラシック音楽を巡る状況も変化しました。カラヤン生誕100年の今日にあって、こういうブルックナーを受容する層も増えたのではないかと思います。私もこうして改めて聴いていますと、ブルックナーだって深刻ぶって聴かれるばかりが能ぢゃないと思ったりする次第です(>って、走りながらとか、眠りに落ちる間際でしか聴かないんですけどね)。

2008年10月8日水曜日

ランニング13日目

今週は久しぶりに秋晴れで気持ちが良いです。今日も10kmウォーキングを目指します。コースは前回と同様でJH公園の外周を走ります。ペースは1km8分から7.5分の間をキープします。

JH公園外周は地図で距離を測定すると、おおよそ2.4~2.5km。1週20分で1km8分のペースが維持できます。膝の調子も全く問題ありませんので10kmを走った後、ラストは400mトラックに入り5週ほど、ペースは1km7分程度に上げます。

ウォーキングでは問題のない呼吸や脈拍数も、1km7分に上げると少し高くなります。このペースで10kmはまだ無理そうです。膝にも若干の違和感を覚えましたから、無理はせず中止としました。

ウォーキングではいくら頑張っても1km7.5分を切ることはできません。どうしても「走る」ことが必要。ここに膝への衝撃に対するひとつの「壁」があるようです。次は「ウォーキング」と「ランニング」の組み合わせ、あるいは、更に長距離の「ウォーキング」にて距離とスピードを上げていこうと考えています。





2008年10月7日火曜日

今の状況に関するメモ

昨年8月のサブプライム問題の深刻化。2008年当初は問題は深刻化、長期化しないだろうとの楽観的予測がまだあったし、デカップリング論に対する期待もあった。8月の北京オリンピック後の中国経済に対する不安はあったものの、エコノミストは今日これほどまでに経済が深刻化、破綻するとは考えてもいなかった。

そもそもバブル崩壊後の日本経済の復調は、中国、インド、ロシアなどの需要が高まった外需効果が高い。リストラ、不良債権処理などにより企業体力がついたという面もあるが、基本的には途上国特需である。

今回のサブプライム問題から端を発した経済破綻は、アメリカ主導の高度化した金融技術によるレバレッジ経済の破綻との論調が目に付く。ファニーメイとフレディマック、ベア・スタンダーズ、リーマン・ブラザーズなどの破綻、AIGをはじめとする生保の再編など、1年前の金融界とはガラリと風景が変わりつつある。その波は欧米にも波及しており、ユーロ安などにつながっている。その中で比較的傷の浅い日本の円が高くなっているというのは、消極的選択の結果でしかない。

改正金融安定化法案が可決されても不安と不満は去らない。米ダウ平均は1万円を割り、日経平均も1万500円を割り込み、さらに底が見えないという状況である。企業業績や体力は悪くないから必要以上に株価が下落しすぎた、PERが低すぎるとの論調もある。

しかし輸出主導で回復した日本経済が、この先株価下落による含み益を減じられ、更には円高に振れた中で業績を維持できるかは疑問が残る。金融不安とリセッションが負のスパイラルに入っている印象があり、出口が見えない。

これほど急激な経済変調は最近では見たことがなく、スピードと規模の大きさに驚くばかりというのが正直なところ。資産はリスク商品を避け、資金が回りにくくなる状況がどこまで続くのか。

鋼材、原油などの資材高、資源高も08年夏がピークであった。中国経済の減退とともに鋼材などはだぶつきはじめ、原油はマネーの逃避先ではなくなった。資源高を業績に盛り込んでいた素材産業は収益見込みを修正せざるを得ないであろうし、途上国経済への輸出を見込んで莫大な投資を行っているメーカーも業績見直しが必要かもしれない。日本の輸出主要メーカーの業績が今後悪化する方向に向かうならば、株価を含め日本経済の暗雲は更に深まる予感がする。

そんな世界経済の激変の中で、日本の政治家は相変わらず井戸の中の政権争いに終始している。

2008年10月2日木曜日

【音盤】ITSからIcon:Sviatoslav Richterをダウンロード

AppleのITSでは、時々、値段の付け方を間違えているのではないかと思われるような激安ボックスが販売されていることがあります。今回は「Icon: Sviatoslav Richter」が1500円で発売されていました(→Tower Record)

*1)。

ディスク14枚分ですから、もはや迷う必要はなくポチッとクリック。サクサクとダウンロード、こんなに簡単で良いのでしょうか。しかし、ゆっくりと聴いている時間がありますかね。

◇


  1. 10/4時点で確認したところ「激安期間」は終了していました。変わって、Iconシリーズのコルトーがダウンロードできるようです。こちらは、それほど「激安」な印象は受けません。CD7枚分、元値も4290円が1500円ですから。


2008年10月1日水曜日

ランニング12日目

10月だというのに、ずいぶんと寒くなってきました。朝のランニングウェアも半袖短パンというわけにはいかなくなってきました。うるさいくらいに聞こえていた蝉の声も、さすがにもう途絶えました。

先週は結構膝が痛かったので、今日は再びウォーキング程度に留めることとに。それでも目標は10km80分走。JH公園外周を数周回ることで約10kmを確保できます。時間を計りながら、途中の路面表示でペースを確認しつつ走ります。

調子が良いので10kmの後、400mトラックを5周ほどして再度ペースを確認。おおよそ1km7.5分程度のペースで走っているようです。このまま膝の調子がよければ1km7分まではペースを軽く上げられそうです。

つくづくフル・マラソンを完走できる人って、すごいなあと思います。今のままでは歩いたって完走なんてできやしません。

2008年9月22日月曜日

ランニングのおとも モートン・フェルドマン


ランニングは孤独にして、ある意味単調な運動です。やっぱりiPodなどによる音楽が欠かせません。

今日の音楽は、Morton FeldmanのPiano&String Quartetです。演奏は高橋あきとKronos Quartet 。

実はこれITSで150円で買った曲です。演奏時間は一曲で1時間20分もあります。Appleで値付けを間違っていのでしょう。これを「お得」と考えるかは音楽的趣味によります。

M・フェルドマン(1926~1987)は図形楽譜の発案者として知られています。まともに聴いたことのある人は、よほどの音楽マニアでしょうか、あるいは音楽通としては普通なのでしょうか。1時間20分もの間、静謐かつ全く盛り上がりのない音楽(これが?)が延々と続きます。

ミニマル・ミュージックとはまた違う。フェルドマンの音楽の静寂さは武満のそれとも違う。単調な繰り返しに、何を聴くかはその人によるのでしょう。

しかし、私とて、この曲を演奏会場で聴いたら、怒るか、爆睡かしか選択はありえない。走りながらとかでしか、このような曲とは親しくなれない。

とはいうものの・・・。この音楽の持つ静寂さ、緊張感、イノセントさ・・・。ふとした拍子にまた聴いている自分がいる。静寂さの秘める緊張感と永続性、氷のような美しさ。退屈と相反する魅力。

聴いてすぐに止めるか、繰り返し聴くか、はたまた走りながら聴くか(笑)。聴くものの忍耐と精神状態と音楽的経験、そして美意識が試されるような音楽です。








ランニング11日目

そろそろランニング・ネタも尽きてきました。ランニングっていったって、週一度のペースです。しかも早歩き程度のスピード。ということで、今日は軽く1kmをアップした後に、400mトラックで無理のないスピードで走ってみることにしました。

早歩きから、少しだけ歩調を速めたというカンジ。ストップウォッチでタイムも計測してみます。すると1km6.5分というペース。このスピードだと息は全く上がらずに快調! と思われたのですが、またしても4km走った段階で膝に痛みがっ!!

無理はできませんから、まだまだ精神的にも肉体的にもイケる思いはあるものの中断。5km程度しか走らないと、なんだか運動した気がしなくて、ちょっと欲求不満です。

いえいえ、それよりも膝が痛まないような対策こそすべきかなと。


2008年9月14日日曜日

ランニング10日目

晴れている日曜日の朝は、軽くランニングすることが習慣化したようです。走るのは早朝と決めていますので、前日も体調を整えるため夜更かしや深酒はしません。走り始めると、気分的にも肉体的にもポジティブになります。そこが一番のメリットでしょうか。

どうやら長く続けられる運動のようですから無理は禁物です。今日も膝が痛くならないように気をつけながら、10km80分走を目指しました。前回も書いたように、このスピードでは「走る」必要はありません。全く快調で、10kmを走り終えた後400mトラックを軽くスピードアップして走り、フィニッシュとしました。

1km7.5~8分のスピード感というのはだいたい掴めました。次は、距離を少し短くして1km6.5~7.5分走を目指してみようと考えています。膝が持てばよいのですけどね。


2008年9月7日日曜日

ランニング9日目

走り始めると膝が痛くなるのは「過負荷」であるとの認識から、今日はムリのないスピードで長時間を目標にトライ。具体的には1km8分程度のスピードで10km走ることが目標です。

やってみるとわかりますが、1km8分というのは「走る」というより「早歩き」に近い。歩幅を広くして積極的に歩くだけでこのスピードは簡単に出ます。ただ走るのと使っている筋肉が若干違っているようで「余程走った方が楽かも」という気もします。

このペースで歩きますと、走るよりも膝にかかる負担は激減、腸脛靭帯も痛まない。息が上がることも全くありません。とはいっても脈拍数はあるレベルを維持していますから、低レベルでの有酸素運動にはなっているのだと思います。ただランニング的にはどうなんでしょう、心肺機能の向上は見込めませんね。とりあえず「長時間止まらずに動く」ことを体が覚えるということでしょうか。

2008年9月3日水曜日

東京中央郵便局 解体前の姿

丸の内の東京中央郵便局は、来年の解体が決まっています。

東京駅前に面して大きな面積を持った建物ですが、再開発されて超高ビルに生まれ変わるそうです。



建物は1933年(昭和8年)にできたもので、設計は吉田鉄郎です。

この建物の一部を保存するのだそうです。

東京駅でも保存復原工事が、また三菱一号館などの復元工事が進んでいます。

自らが壊したものを、保存したり復元したりと、側から見ると節操がありません。

せめてもの罪滅ぼしの気持ちなんでしょうか。

外壁は多少汚れたタイルで決して美しいとは見えません。







丸の内がどんどん再開発されていく中にあって、歴史的な価値はあるのかもしれませんが、東京都民的には残すべき価値のある建物かと問われると、多少疑問です。



2008年9月1日月曜日

[立ち読み]「残業ゼロ」の仕事力、人生力


新聞広告などで大きく宣伝されていましたので、ざっと二冊を読んでみました。もっとも、立ち読み、それも2冊合わせて30分程度です、はずしていたらごめんなさい。


『仕事力』の方はタイトルの通り残業することがいかにムダであるのかを、諸外国のデータや著者の経験に基づいて力説しています。『人生力』は、前著の蒸し返しの部分が多いので、読むなら『人生力』だけでも良いかもしれません。


本書は、残業を続けることが仕事後の人生(著者はそれを「本生」と称しています)をスポイルすることになるという、著者の最も基本的な人生に関するスタンスを強調しています。


著者の「所詮仕事はゲーム、人生に必要なお金をかせぐためのもの」「楽しみは仕事がおわってから」というスタンスに違和感を覚える読者も多いようです。しかし、本質はそこになないと思います。著者だって仕事を人生の一部と考えて「楽しんで」いることは十分に伝わりますから。


私の場合、一番印象的だったのは、以下の式です。


��4時間-(睡眠時間)=(仕事の時間)


仕事の時間には通勤時間も含まれます。これでは自分の時間が残らないのだと。著者は最低でも3時間は毎日自分の時間をつくれ、家族と会話しろと説きます。まず自分に投資しろということです。すなわち、


��4時間-(自分への投資時間)-(睡眠時間)=(仕事の時間)


ということです。「自分への投資」には自己啓発もありましょうし、家族との時間も含まれます。著者は仕事関係のパーティーなどには出席しても、「どんなに親しい人とも二次会は行かない」と書いています。「睡眠時間」も確保すべきリソースなわけです。


自分のリソースさえ計画配分できない輩が、企業利益を叩き出せるわけなどないのかもしれません。残業ゼロの発想とは、人生の生産性を上げ、よりよく生きていく上での不可欠なものと痛感する次第です。


その他、著者の個々の「アイデア」については、実践していることも多く、それほど感銘は受けません。そんなの当たり前だよなといったところ。


いずれにしても定年前後に配偶者から別居願い、離婚届けなど突きつけられないようにすることは、「24時間仕事人間」にとっては痛切な問題でしょう(><)。

2008年8月30日土曜日

展覧会:コロー展~光と追憶の変奏曲


国立西洋美術館で開催されている「コロー展」を観てきました。コローは美術部であった高校時代に好きであった画家の一人。その頃は、独特の水辺の風景画に惹かれていました。今回の展覧会は、コローとしては大規模のもので、しかも彼が優れた人物画家であったことも示す企画になっています。




パンフや半券になっている絵は「コローのモナリザ」と称されている作品。これと「青い服の婦人」が今回の展覧会の目玉になっています。扱いとしては、こちらの方がコローとして有名な「モルトフォンテーヌの想い出」などよりも重い扱いです。


コローの作品の魅力は、静謐さ、建築や人物造形上の揺るぎのない構築力、それと相反するかのような樹木の表現の叙情性にあります。展覧会の副題が「光と追憶の変奏曲」とあるように、コローの絵には彼にしか表現できない詩情が漂っています。


印象派のような軽さや鮮やかさは認められないものの、コローが印象派に先駆けた「眼の作家」であったことは否定できません。彼の作品からは、ひたすらに風景や人物がもつ外的美しさと憧憬と愛情が感じられます。


批判的に観ればば、人物表現については内面性までを感じさせるものではありません。風景表現においても大規模な神話的絵画においてはイメージと技術の硬直を感じます。展覧会という場で多くのコロー作品に多く接した場合、多少の退屈を感じることも否定できません。


それであっても、私にとって、コローはかけがえのない作家の一人であることに変わりはなく、この企画に接することが出来た僥倖を素直に喜びたいと思います。


2008年8月24日日曜日

ランニング8日目

相変わらずに走ると腸脛靭帯が痛みます。

40分程度走って、今日のところはムリをすることは止めました。

ストレッチ、バンデリン、アイシング+休養。走るのは朝6時半から。帰って二度寝するのが慣習化してきました・・・、これでは早起きした意味がありませんね(><)