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2001年3月10日土曜日

バーンスタイン・スターン/サミュエル・バーバー:ヴァイオリン協奏曲 作品14

  • 指揮:レナード・バーンスタイン
  • ヴァイオリン:アイザック・スターン
  • 演奏:ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
  • 録音:April 27, 1964
  • SONY SMK63088(輸入版)

サミュエル・バーバーは20世紀のアメリカを代表する作曲家で、「弦楽のためのアダージョ」やこのヴァイオリン協奏曲が代表作である。

この曲は解説によると、Iso Briselli というヴァイオリン奏者のために作曲されたものである。最初の2楽章を受け取ったBriselli は、ヴァイオリンのヴィルトオーゾを振るうところがないと評した。それを受けバーバーは第三楽章を作ったが、今度は難しすぎるという。そこで、Herbert Baumel というCurtis 音楽院の学生に「2時間後に弾けるようになってこい」と命じ彼は見事に弾ききったため、Briselli の主張は退けられた(要は委託金=commission fee をバーバーは受け取ることができた)との逸話が残っている。

この逸話に表されているように全3楽章のうち最初の2楽章は、叙情的な曲である。20世紀の作曲家というと「現代音楽」というくくりにされてしまうのかもしれない。実際は、そういうつまらない先入観を持つことの愚かさを思い知らされてくれるような曲調で、非常にイメージ豊かだ。バーバーが何をイメージしたかは分からない。曲を依頼されたのは1939年、第二次世界大戦勃発前の不安な時代である。しかし、そうした時代性を抜きにこの曲を、バーンスタイン・スターンの演奏で聴くいてみると以下のようなイメージが浮かんできた。

1楽章は非常に甘美なテーマで開始される。甘美でありながら陰があり、散ることを知った花のような儚げなさがある。楽章全体を支配するのはこのようなイメージと、田園的なおおらかさである。中間部のゆったりした旋律や、ピアノが打楽器的に奏されるところでは逡巡や迷い、あるいは、ためらいや苦悩が聞こえる。5分頃ひとつの盛り上がりを見せるが、ここに至っては何かに大きく決心したかのようで、最後は安らかな解決を見る。

曲から受けるイメージとして、大時代的、語弊を覚悟で敢えて書くとすると、ハリウッド的な印象を受け、音楽の奥から女性像が透けて見えてくる。

2楽章は弦楽器に誘われて登場するオーボエの優しいテーマが奏でられる。不安な気持ちや戸惑う心に、やさしく語りかけるかのようないたわりに満ちている。2分50秒頃に始まるヴァイオリンのソロは、切々と歌われるアリアを聴いているかのよう。低音域でのうたは恋歌にさえ聴こえ、甘く限りなく切ない。儚さは1楽章と同じムードを有している。「歌えどもあの人は振り向かない」的な悲嘆が聞こえ、最後はソロが歌われ静かに終わる。こう思うのも、アメリカ=ハリウッド=恋愛映画みたいな図式からかとも思う。我ながら単純な発想である。

3楽章は演奏不可能と言われた楽章。一転して早いバイオリンの動きが続き、叙情的な楽章とは性格を異にする。短く切られた音の連続で、落ち着かなさと不安感が強調される。前の二つの楽章が田園的にして女性的叙情性に彩られていたのに対し、都会的な喧騒に満ちている。人ごみの雑踏とざわめき、車のクラクションさえ聞こえるかのような雰囲気のなか、バイオリンは極度の技巧を駆使して駆け回り、不安げな喧騒のクライマックスの後、唐突に終わる。演奏時間も4分弱と3楽章のうちで一番短く極度の緊張が凝縮され、プラスチック爆弾が炸裂したかの印象を受ける。

こうして聴いてみると、最初の2楽章は叙情的ではあるものの技巧的には緩やかなのかもしれない。時代の雰囲気を考えた場合の3楽章のありさまというのは、やはり世相を反映しているのかと思わせる。オーケストラにピアノを持ち込むことにより、音楽的雰囲気はガーシュインなどを思わせるところもあり、アメリカ的な音の作曲家であると思うのであった。

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