ページ

2001年5月19日土曜日

【シベリウスの交響曲を聴く】 セル指揮 クリーブランド管による交響曲第2番


指揮:ジョージ・セル 演奏:クリーブランド管弦楽団 録音:May 1970 東京文化会館大ホール SONY SRCR 2539-40 (国内版)
ジョージ・セル&クリーブランド管の1970年5月、東京文化会館大ホールでのライブ盤である。この盤については、あちこちで賞賛の感想が書かれていので目にされた方も既に聴かれた方も多いだろう。加藤幸弘さんのHPや伊東さんのAn die Musikにおいても、緻密なる感想が述べられておりもはや私が付け加えることなど何もない。伊東さんに至っては、その時点で「このCDは、今年私が聴いたCDの中のベストである」とまで述べ絶賛している。
私も聴いた印象としては、非常なる熱演であると感じた。やはりライブならではの迫力と熱気がひしひしと伝わってくるすざまじき演奏である。乗ったときのセルの情熱というものを感じることの出来る演奏なのだと思う。
セル&クリーブランド管といえば、ちょっとクラシックを知っている人ならば、正確無比な演奏や統率力というキーワードでイメージされると思う。確かに第一楽章からして軽快な歯切れの良いリズムで開始され、弦の響きにも分厚いステンレススチールにも似た鈍い光沢と冷ややかさを感じる。これがクリーブランドの特質かと思わせるには十分な音色である。しかし、冷たさは音楽に微塵もない。音楽の作り方も恣意的ではなく、簡潔と清潔感に満ちており、また構成美を感じさせる。それは全楽章を通じて感じるもので、たとえば第2楽章の幻想曲風の楽章さえも、非常にきっちりと主題や副主題を感じ取ることができ、音楽を見通しよく聴くものに伝えているように思えるのだ。それはセルの指揮とともに、それに十全に答えることの出来るオケの技量の賜物なのだろうか。
叙情性とか情緒という面では、先に聴いてきたベルグルンドやデイヴィスよりも更にドライな印象を受ける。というか、この曲に求めがちなウェットさが排されているといっても良い。無駄な贅肉を感じさせない演奏で、あたかも端正にピンと張られたピアノ線のように筋が通っており、さらに演奏に緊張感をもたらせているようだ。
先にも書いたように、そして、加藤さんや伊東さんも指摘しているように決して冷たい演奏ではない。それに、クリーブランドの「透明にして冷ややかな音」とは言っても、シベリウス=フィンランドというキーワードでイメージするような冷ややかさとは違い、何かドイツ的な肉質感(あたかもブラームスやベートーベンを奏するような)を伴っているようにも聴こえるのだ。・・・ここらへん、ちょっと意味不明
それらが相まって、硬質な音の塊と金管群が咆哮するクライマックスに至るドラマは、並々ならぬエネルギーとなって聴くものを圧倒する。セルの曲に対する感情の移入度という点では、抑たもの感じるが、それは「浪花節」的な感情の抑えであり、彼が決して一本調子に演奏しているのではないことは、聴くほどに良く分かる。セルは、自在にオケをコントロールして曲を際立たせることにも成功しているのだ。それゆえにというのだろうか、変な先入観(歴史的背景や作曲時の背景)などを拭い去るような形で、音楽自体が目の前に、圧倒的な力感をもって立ち上がってくるというような演奏である。
この曲に込められたベートーベン的なもの、ベルリオーズ的なもの、チャイコフスキー的なもの、そしてブルックナー的なものまで引き出してしまった名演といえるのではなかろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿