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2001年5月20日日曜日

報道の客観性

おとといのニュースステーションで、女性アナウンサーが「国会中継がおもしろいですね」と言ったら、久米宏はあろうことか「NHKの視聴率が上がるだけで、面白くないのですがね」と言った。

ニュース報道をする場の人間だって視聴率を気にしているのことは自明であったはずなのだが、改めて口にされると驚かざるを得ない。考えてみれば、NHKだって10時にニュースを移したのは視聴率のせいだったはずだ。企業活動である以上、当然の行為とは言える。(NHKが企業なのかという問題も残るが)

でも、視聴率という制約に縛られた報道、あるいは、雑誌の売り上げに縛られた報道。そこに純粋な客観性が求められるのだろうか。

民放や週刊誌類は「分かりやすければ、面白ければよい」みたいな視聴者や読者に媚びるような風潮はないだろうか。

報道の標的となったものは、自らを守るすべはもはや残されてはいない。政治生命、企業生命、社会的生命など一瞬にして葬り去ることの出来る報道の攻撃性。それを検証できるのは、報道を評価するという考え方や、報道に対する法的、科学的客観性の証明ということではないのだろうか。その手段は、広く私たちの手に利用されやすいようになっているのだろうか。

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