ページ

2001年5月19日土曜日

所沢のダイオキシン判決

ねぎ農家の話題を書いたが、家に帰って夕刊(朝日)を読むと所沢のダイオキシン報道に関する訴訟の結果が新聞に報じられていた。99年のニュースステーションの報道を機として所沢の野菜がダイオキシンに汚染されているかのような印象を与え、農家に被害を与えたとする件である。原告側の主張を棄却という結果だが、これはいかに考えるべきか。

消費者としては正確な情報が欲しいことは昨日書いた。それはやたら扇情的な記事や客観性を欠いた情報を欲しているのではない。ましてや、「視聴率」とか「売上」に縛られた期間による調査ではないのである。マスコミの報道というものを、どこまで信用してよいのか。または、マスコミから発せられる情報の責任ということまで考えなくてはならない。

今回の裁判所の判決は、報道側に事実誤認と考えられるものはなかった、とするものだ。一部、不適切な表現があったことは認めているがだ。

所沢の農民には気の毒というしかない判決だが、彼らは自分たちの野菜が安全だというお墨付きや確信が得られたのだろうか。そうでないとしたら、二重の悲劇である。

私には不安が残る、実際は、どうなのかと。所沢の野菜だけではなく、市場に出回っているほかの食材も安全なのかと。あるいは、それを食べつづけるとどういう確率で、どういう結果が引き起こされるのか。そもそも、調査機関の客観性は検証されているのか。

環境ホルモンの場合は、「分からないことが多すぎる→IFで話せば、種の存続に重大な影響を及ぼすらしい→よって、避けるに越したことはない」という論理である。乱暴な言い方だが、例えば40を過ぎてもう子孫を作らないと決めた大人には環境ホルモンをいくら摂取しても、実害はないとも言える。

何度も繰り返すが、欲しいのは、情報を受ける側が適切に判断することの可能な、客観的な事実(分かっていることと分からないことまで含めて)なのである。マスコミはそのようなことをきちんと報道する責があるのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿