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2001年7月16日月曜日

党首のTV討論

参議院選挙まであと2週間。昨日の日曜日の朝は、NHKおよびテレビ朝日で党首すべてがTV出演し、論戦を張っていた。私はNHKの方は観なかったが、「サンデー・プロジェクト」はなかなかに面白かった。

その中で、司会の田原さんがしきりに「YesかNoか、やるのかやらないのか」と二者択一的に回答を迫っても、相変わらず回答を濁す小泉首相の答弁が気になった。首相たるもの、おいそれと白黒つけることは難しいのだろうが、首相としての真意と自民党の真意の微妙なずれを、浮き彫りにすることができないもどかしさを感じた。

一方、野党の方は野党で、扇国土相に「選挙のためだけの団結、不良債権処理さえ意見がばらばらではないか」と指摘されるように、足並みの乱れとスタンスの不確かさが逆に露呈してしまったように思える。国会の党首討論よりもよほど面白いと思うのは私だけだろうか。

さて、それぞれの政党の論点を書く気はないが、「痛みを伴う構造改革」とは「倒産し失業する可能性」であることを出演党首は全て認識していたし、与野党含めてそれを「止む無し」とする姿勢も明らかにはなった。それならばである、50万人の雇用創出にしても、セーフガードにしてももっと具体的な対策として打ち出されなければ、本当に未来があるのかは見えてこない。5年後に自分は失業していないと言い切れるだろうか?

さて、ここで、全くレベルの違うことを、ついつい思ってしまう。以上の議論は、「発展すること、進歩することが是である」という、前提のもとに全ての議論は展開されている。そうなのだ、京都議定書の件についてもなのだ、「進歩しつづけること」が前提なのである。それは人間社会が高度に経済的な活動に置きかわっているからだけではなく、「常に進歩しつづける=新たな刺激を求めつづける」動物としてプログラムされてしまったことからくる悲劇なのだろうか・・・と。

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