主人公は東大法学部卒、大手銀行に勤め役員一歩手前で子会社の役員に飛ばされる。銀行の熾烈な出世競争に負けたわけだ。それでも年収1200万円が保障され、夫婦で老後資産の心配はない。人生勝組の数パーセントに所属する主人公を一言で表せば、自分中心主義の勝手で鼻持ちならない見栄とエリート意識の塊の男、である。
小説は、そんな彼が定年を迎えた日から始まる。定年になって、やっと仕事後の人生設計を考えるという、そもそも最初から「終わった感」がある。
そういう人物が、いかにこの世代に多いかを、作者の内館氏は見てきたのだろうか。読者に不快感を与えるほどあり得ない設定の主人公であっても、幸せな老後は簡単には訪れないことを描き、それを通じて、仕事というもの本質を内館氏は抉り出していると感じた。
内館氏の描いた「仕事」の本質とは、人間としての居場所であり、成果を通じて承認されたり賞賛される場であるということ。非常に刺激的で何よりも「面白い」ものであるということ、その点で単なる「労働」とは違うわけだ。
主人公は定年後「仕事がしたい」と焦燥にかられる。彼は「(現役時代のような刺激的な)仕事がしたい」のであって、時間つぶしとしての労働や趣味や近所つきあいでは満足できない。とはいえ、やりたいことがあるわけでもなく、誰かのためになりたいとも決して考えない。彼がしたいのは「仕事」すなわち、「他者や社会と通じ、自分が満たされたい」という欲求である。肥大化した自己ゆえに、自己承認欲求も恐ろしく高く、刺激的な仕事でなくては満足できない。
完全にワーカホリックぢゃん・・・
自分しか見えない主人公の妄想やら欲望に付き合わされる本書は、読んでいてきわめてつらい。途中からは更にあり得ない展開となる。まさに「大人の童話」だ。
やれやれ・・・である。
主人公の他者に対する目線の温かみのなさにも驚きと辟易感がつのる。他者は自分を気持ちよくするための素材でしかない。彼のまわりにいる誰に対しても。若手社員を「桃」と表現するが、言いえて妙だ、何と素晴らしい視点!
妻との関係がどんどんギクシャクと悪化していく様子はリアルだ。女性の方がずっと別の路をすでに選んで歩んでいること、それに気づかない男という設定は定番なんだけど、やはりこれは現実だろう。
作者の内館氏が、この小説を通じて書きたいことは分からないでもない。定年間近ではなくても、現在の自分を見直すきっかけを与えてくれるだろう。「終わった人」になる前にやるべきことが見えてきたり、「仕事」のあるうちに十分に楽しんでおこうと気づく人もいるだろう。どうせ「終わった人」になるのだから、今更色々なものを犠牲にしなくてもいいと、早々にソフトランディングを準備する人もいるだろう。
いずれにしても、どのみち、何の救いにもならない。自分がないくせに、自分のことしか考えられず。他者のことを慮れない者には、こういう末路しかないことを示した点で、ある意味、全く救いのない小説である。
エピローグは作者のせめてもの罪滅ぼしかもしれない。