定年を扱った小説をふたつ読んでみた。
- 「終わった人」 内館牧子 2015年
- 「孤舟」 渡辺淳一 連載は2008年から2010年
書かれた時代は約5~7年の隔たり。どちらも団塊の世代周辺の物語である。
ふたつを通して読むことで、共通点と相違点も見えてきた。
まずは共通点
- 退職金や企業年金、公的年金、相続その他で、老後資産は十分で生活の心配がない
- 妻は専業主婦で、妻としての生活がある
- 子供は独立しており手がかからない
- 親の介護の心配は全くない(記述さえない)
- 主人公たる男性は、仕事一筋で生きてきて、あまり家庭を顧みてこなかった
- 会社人生においては、派閥競争に敗れはしたものの、子会社の役員、親会社の役員など、一般的なサラリーマン人生としては十分な成功を納めたこと
- 主人公に会社以外の付き合い、趣味はほとんど(全く?)なく、定年後にやりたいことがあるわけでもない
- それゆえに会社を離れた友人もいない
- 近所付き合いもやるつもりもない
- 会社における仕事の意味が、自分の存在を認めさせるためにあったということ
- 定年を迎えるまで、定年後の生活を想像してこなかったこと。
- 妻の生活や考えには、会話もないせいか、まったく思いが及ばない
相違点
- 「終わった人」の主人公は仕事がすべて。仕事を通じてしか自己実現がない。会社人生では燃焼しきれなかった。だから定年後に何をしても満足できない。色恋などは若者か暇人がするもの。そんなものでは癒されない。やりたいことは、自分が満足レベルでの「刺激的な仕事」。「孤舟」の後に書かれているだけに、「孤舟」を意識して書かれたか。
- 「孤舟」の主人公は、とにかく何もやることがない。「終わった人」の主人公のように焦燥感にかられるほど、ナイーブでもイノセントでもない。むしろ、夫在宅ストレスに陥った妻との関係がぎくしゃくし、かつての自分のような横柄な態度、家族が自分を尊敬する立場にないことから、腹いせに色恋沙汰に走ろうとする。
どちらの主人公も、新たな仕事、色恋に失敗し、痛い目に合ってやっと第二の人生を歩み始めることになる。
安易にしてステロタイプな設定であるとのレビュウは多い。しかしステロタイプの中に、一面の真実があることも確か。そうならないための準備ができているかという点で、自分は違うと言い切れる人がどれほどいるか。
自分は友人も趣味もやることもある、と思っていたところで、老後の先細り人生と、膨大な時間の海に放り出されたとき、想定通りに事が運ぶとは到底思えない。まさに不確実。
昨今は100年ライフだの「LIFE SHIFT」だの、健康寿命が飛躍的に伸びてきているため、日本のみならず世界的に年金問題が露呈しはじめている。年金制度が破綻することは目に見えている以上、生活の仕方もおのずと変わらざるを得ない。
それゆえにこそ、今の人生を悔いなく過ごし、来たるべき第二または第三の人生の準備をしていくことが重要なのだと改めて思った次第。自戒を込めて。