年末も近くなってきましたから、あちこちで第九の響きに身をゆだねている人も多いでしょう。かく言う私も今日はヒマだったものですから、フルトヴェングラーのバイロイト1951年盤などをネットで聴いたりして、ただならぬ終楽章に改めて唖然としていたりしました。
第九も良いのですが、私としてはマーラーの「復活」の方がしっくりします。ということでアバドなんですが・・・これはいただけませんでした。非常にネガティブなレビュです。
アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団
2003年 DG 477 508
アバドが2003年にエリート・オーケストラとして編成されたルツェルン祝祭管弦楽団を振ったマーラー交響曲第2番とドビュッシーの海は、評判が良いようだし、年末も近いし、ということで聴いてみたのですが、私にはこの演奏のどこが良いのかさっぱり分からなかったというのが正直な感想です。
まずルツェルン祝祭管弦楽団についてはHMVをご覧いただくと詳細な解説がありますが、引用いたしますと
アバドが創設に寄与したグスタフ・マーラー・ユーゲント管を母体とするマーラー室内管弦楽団が中核となり、各パートのトップにはベルリン・フィルの現・元首席奏者を始めとする名手を据え、これに最先端でソリストとして活躍するプレイヤーたちも加わり、実に錚々たる顔ぶれが揃ったスーパー・オーケストラ
ということだそうです。続くオーケストラの参加者名を見ると驚くべき陣容です。
コンサートマスター:コーリャ・ブラッハー(元ベルリン・フィル)
弦の各パート:ハーゲン四重奏団ら
第 1ヴァイオリン:ルノー・カプソン、セバスティアン・ブロイニンゲ(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管コンマス)、ドメニコ・ピエリーニ(フィレンツェ五月祭管コンマス)、ブリジット・ラング(北ドイツ放響コンマスの)ら
第2ヴァイオリン:ハンス=ヨアヒム・ヴェストファル(元ベルリン・フィル)
ヴィオラ:ヴォルフラム・クリスト(元ベルリン・フィル首席)
チェロ:ゲオルク・ファウスト(ベルリン・フィル首席)、ナターリャ・グートマン、ゴーティエ・カプソンら
コントラバス:アロイス・ポッシュ(ウィーン・フィル)
フルート:エマニュエル・パユ(ベルリン・フィル首席)
オーボエ:アルブレヒト・マイヤー(ベルリン・フィル首席)
ホルン:シュテファン・ドール(ベルリン・フィル首席)
クラリネット:ザビーネ・マイヤー
トランペット:ラインホルト・フリードリヒ
まさにスーパー・エリート・オーケストラ。奏でる音は、冒頭のコントラバスの音からしてタダモノではなく、物凄いアンサンブルを聴かせてくれます。音量もマーラーを聴くには充分で、フォルテッシモがつくる壮大な音の大伽藍は、ホールで実演を聴いていたならば、かなりなものであったろうと思わせるものがあります。
また、個々のプレーヤーの技量も素晴らしいもので、どの断片を取っても美しく均整の取れた音楽に仕上がっていると思えます。これほど贅沢な編成でマーラーの「復活」を聴けるのなら、これにまさる至福があろうかと思うのが普通なのですが、1時間半近く聴き通して得た感想は「何なんだこれは?」というものでした。いったいに、マーラーを聴いたという感興が全く生じません。
昔からアバドは録音と実演の印象差が激しいとは言われていましたし、ベルリンを辞めた後、アバドも変わったという評判も耳にするのですが、私が鈍いのでしょうかね。
仕方ないからテンシュテット&LPOと比べてみました
テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー管
EMI 1981年5月
繰り返して書きますが、オケの性能、録音とも抜群であると思います。しかし肝心なパッションが、私がマーラーに求めている何かが決定的に欠けています。それが何なのか、あまりにも拍子抜けしたため、手元にあるテンシュテットとLPOのマーラー全集から終楽章だけ聴いてみました。(テンシュテット&NDRは持ってませんし)
すると・・・どうしたことでしょう、終楽章だけですよ、白けきっていたのでまあ口直しにという程度に聴いただけであるのに、冒頭から34分間、圧倒的な音楽に打ちのめされ放しです(繰り返しますがNDR盤ではありません、syuzoさん評では評価低いですから)。この違いは何なのか、聴きながら自問するのですが、その答えは分かりません。
オケの性能はLPOより圧倒的にルツェルン祝祭管弦楽団の方が高いでしょう。音の抜けやクリアさもルツェルンに分があります。しかし、アバドの演奏が大音量になればなるほど、非常にピュアなところに行き着き、ディテールレベルでは微細な表情まで描いているにも関わらず全く質量感を伴わないように感じられるのは、もはや異様といってよいかもしれません(再生装置が貧弱だからか?)。
私にとってマーラーを聴くことは一つの体験に近いものです。テンシュテットの演奏は(LPOとの全集盤が彼の代表的な演奏であるかはさてき>しつこい)終楽章を聴いただけでも慄然とするものがあります。地面は沸騰し天は裂け、そこに一条の光が差し込み、まさに神が降臨しているのではないかと思わせる凄まじさが秘められています(私だけの幻想かもしれないが)。
アバドは、そんなマーラー観とは全く無縁です。そもそも、第一楽章で感じる精神的な崩壊(と私が勝手に思っている)がアバドには感じられません。従って得られる結論はテンシュテットとは全く異なったものになっているようです。音楽に痛みも軋みもなく、非常にストレートに美しさを歌います。だから破裂するような歓喜も薄いのでしょうか。ひたすら演奏だけが立派であり、それが返って白々しさを増します。好みの違いも大きいとは思いますが。
アバドの演奏がマーラーに対するアプローチとしてどうなのかは私には判断ができず、こういうマーラーもあるのだと納得するだけです。逆に言えば、過剰なものを排除して出来上がった歓喜の世界ということもできます。ですからマーラーに特別な思い入れを求めていない人や、前世紀的なマーラー像に飽いている人には、充分過ぎるほどに満足できる演奏であるのかも知れません・・・。DVDも出ていますが、改めて映像とともに聴いたら感想変わりますかね?
さて「海」は、みなさん評判良いようですから、これはどうでしょう・・・(まだ聴いてません)