伊東豊雄の「建築|新しいリアル」展を観て来ました。既に終了した展覧会のレビュを書いても他の人に意味があるとは思えませんが、自らの防備録的にしたためておきます。
展覧会の概要は公式HPが詳しく、引用しておきます。
本展では、新世紀の幕開けとともにオープンした《せんだいメディアテーク》から最新のプロジェクトである《台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト》を含む9作品を中心として、伊東の提唱する新しい建築理念を紹介します。伊東自身が構成に深く関わった会場には「エマージング・グリッド」を体感させる曲面の床が現れ、鉄や木など実際の建築と同様の素材を使った大型の模型によって「物質(もの)のもつ力」が示されます。また壁面に天井の高さまで広がる原寸大の図面や、CG画像、施工中の建築現場で撮影された映像などが各プロジェクトをさまざまな角度から照らし出します。身体と知覚に直接はたらきかける展示空間は、伊東の目指す「新しいリアル」を立体的に体験する場となることでしょう。
この紹介からも、彼の提唱する「リアル」というものが空間や素材の持つ皮膚感覚に根ざしたリアルであることが読み取れます。実際に原寸大の図面や、現場で使用する材料の再現、三次元にうねる床(屋根)を歩いたりしますと、いかにモニターや紙の上での表現が一面的なものでしかなく、感覚に訴える要素がごっそりと欠落していることに気づかされます。
また有機的な秩序である「エマージング・グリッド」が支配する空間は、やっぱり「新しい」とまではいかずとも、どこか違うと思わせます。包まれるような、あるいは受け入れられるような抱擁力、現代的な建築物から感じるのとは逆のリアルがあります。
建築家は立体芸術やインスタレーションを行う芸術家とは違い、実際に住む、使うという実利的な目的物を造らなくてはなりません。従って建築家には芸術性やイマジネーションとは別の次元から一般の人に評価されることとなります。ですから「まだ実現していない空間」に対する想像力は建築家にとって非常に重要な能力です。
伊東が提示する空間や建築物は、最近のものだけを見ると奇を衒った印象を受けがちです。デザインに偏重しているという印象も受けるかもしれません。しかし展覧会を通して、彼が非常に厳格な論理と細部に対する造形、そしてものを造るということへに拘りを持っていることを感じました。イメージしたものを造りきろうとする執念と情熱でも言いましょうか。壁の原寸図を前にして、しばし彼の思いを全身で感じたりしました。
それにしても結果としての建築物です。例えば《台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト》。
曲面で構成された近未来を思わせる建築物。模型や図面を見ても一体どうやって造るのだろうと思わずには居られない形体。CGで見ると限りなく美しい。しかし、これは「オペラハウス」なんです。この非現実的で近未来的な空間で20世紀に終焉したと思われる「西洋クラシック音楽」を鳴り響かせようというのは、高度な皮肉なんでしょうか。
たかが建築空間(器)が人の生活や芸術までをも規定するとするのは傲慢で乱暴な考え方でしょう。しかし、そういう器を受け入れることのできる感覚は、新たな内実を生み出すと思うことも、自然な認識でしょう。空間がここまで吹っ飛んでいるのならば、そしてそれを自然に受容するならば、音楽にも新しさや現代的な感覚が吹き込まれて当然ではないかと。そうすると、そこに流れている音楽は、例えばヴィヴァルディでありながらも、私たちのまだ知らないヴィヴァルディであるかも知れず、そう考えるのは、「の◎だめ」がブレイクした以上にワクワクするような気持ちになりはしないでしょうか。