2021年5月9日日曜日

Jean Rondeau の「MELANCHOLY GRACE」

私の好きなチェンバロ奏者の一人、ジャン・ロンドー(Clala-Flala 演奏会のメモ 2017/4/10 東京文化会館 ゴールドベルク変奏曲  2019/11/3 東京文化会館 オールフレンチプログラム)が新作アルバムを発表しました。

輸入元解説によりますと、ロンドーによる16~17世紀のヨーロッパの作曲家の「陰鬱」と「色彩」とのこと。(Warner Music Japan




作曲家と楽器を、「色彩感を通して伝えられる憂鬱」と、「涙と泣き声の音楽的表現を通して伝えられる憂鬱」とに分けて、演奏しているそうです。

 



なかなかに興味深いアルバムで、一聴しただけで終わるわけにはいかなそうです。

ちょっと長いですが、輸入元情報全文を以下に貼っておきます。


このアルバム《Melancholy Grace》は、イタリア、オランダ、イギリス、ドイツの作曲家による16世紀と17世紀の鍵盤音楽の詩的なコレクションです。鬼才チェンバリストのジャン・ロンドーは、このアルバムを陰鬱であると考えましたが、2つの対照的な声の間の雄弁な対話・・・「色彩感を通して伝えられる憂鬱」と、「涙と泣き声の音楽的表現を通して伝えられる憂鬱」を表現していきます。 「色彩感」としての作曲家の中には、フレスコバルディ、ルイージ・ロッシ、ルッツァスコ、スウィーリンクがあり、「涙」としての作曲家は、ダウランド、ブル、ギボンズ、バレンテ、シャイデマンの作品が選曲されています。
 またこのアルバムでは、2台の楽器を使用して、楽曲の印象をリスナーに伝えています。「色彩的」な作品には、18世紀初頭のモデルを基に、フランスの製作家・修復家のフィリップ・フモーが2007年に製作した大型のイタリアン・スタイルのチェンバロ。「涙」を表わす作品には、1575年頃におそらくフランチェスコ・ポッジがその周辺のメーカーによって製作されたと思われる、多角形型のオリジナル・ヴァージナル(おそらく史上初のヴァージナル)が使用されています。その音のデザインは明確に異なり、それぞれに特定のアクションと特定の形状をもっているため、その結果、それらが生み出す音は、全く異なる音響領域が定義されています。それぞれが独自の方法で途方もない魅力と印象的な感情的な力を持っており、それらは時間の経過とともに共鳴しあいます。

《ジャン・ロンドー、「Melancholy Grace」の録音コンセプトを語る》
 このCD盤には収録されませんが、有名なダウランドの「ラクリメ(涙のパヴァーヌ)」*は、ある意味、憂鬱な恵みの概念的な出発点を形成しています。1596年、ジョン・ダウランドはメロディックな種をまきました…エリザベス1世の治世の終わりと一致する急成長する音楽活動の期間を通してイギリスにかなりの影響を与える曲の名声を育てました。エリザベス朝後の時代、この曲はヨーロッパ全体、特にフランドルとドイツで、スウェーリンククやシャイデマンなどの作曲家に強い印象を与え、さらにそれより3世紀以上後、彼の作品に最も影響されたベンジャミン・ブリテンのような現代作曲家に影響を与えました。ジョン・ダウランドのこの曲「流れよ、わが涙」はまさにエンブレム的価値をもった作品です。繰り返され、書き直され、即興された音楽の形、創造的な音楽に埋め込まれたメロディに触発された作者不詳作品とジョン・ギボンズの作品も取り入れました。
 またここでは2つの楽器を使用していますが、平均律を採用せず、時代、地域、曲調に応じた不等分音律で行っています。作品によって、その調性の意味が解釈にかなりの影響を及ぼし、さまざまな作曲家の書き方に強く関係しています。これは、これらの曲を演奏しているときに感じる感情の強さに大きく貢献します。私の選択は、純粋主義者ではなく、音楽自体に支配されることのない、熱心なプレーヤーとしての観点から行われます。自分に合わない作品に異なった調律を使用することは意味がありません。音楽の表現力は完全に歪められてしまいます。

※『ジョン・ダウランド:ラクリメ(涙のパヴァーヌ:流れよ、わが涙)』の演奏は、デジタル配信版のみのボーナストラックとして収録。


0 件のコメント:

コメントを投稿