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2021年6月20日日曜日

神田明神にお参りしてきました

東京に住んでいて神田明神に行ったことがなかったので、参拝してきました。江戸時代から江戸の総鎮守として崇敬の対象とされてきた神社です。

神田明神の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)大黒様、少彦名命(すくなひこなのみこと)恵比寿様、平将門命(たいらのまさかどのみこと)です。

神田明神のサイトには以下の様な謂れが書かれています。

社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。

その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。

徳川家から敬われたのは関ヶ原の合戦以来のことだそうです。

まずは昭和51年に再建された檜木造の隨神門をくぐります。

神田明神は東京十社の一つに数えられています。

本殿には、夏越の祓(なごしのはらえ)のための茅の輪が設置されていました。

茅の輪は正面より左・右・左と三回、八の字を描く様にくぐります。以下も神田明神のサイトからの引用です。

茅の輪の由来は『備後国風土記』の蘇民将来(そみんしょうらい)の伝承によります。善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、悪疫除去のしるしとして、茅の輪を腰につけると免れることができる」といわれ、疫病から免れることができたという伝承です。

【茅の輪のくぐり方】
茅の輪のくぐり方は、「水無月(みなつき)の夏越(なご)しの祓(はらえ)する人はちとせの命のぶというなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜けます。


本殿は昭和9年に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。

御祭神の大黒様と恵比寿様です。

恵比寿様は波の上にちょこんと乗られています。


文化交流館で神様グッズを物色し、裏参道より出てまいりました。

御茶ノ水方面から行くと湯島聖堂から登りになるのですが、こんなに高低差があるとは思いませんでした。

江戸の表鬼門、高台に鎮座していたこの神社、周りに高い建物が全くない江戸時代には、相当に目立っていたことでしょう。

今回はあまり時間がなかったので、またの機会にゆっくり参拝してこようと思います。

因みに東京十社とは以下の様です。

亀戸天神と根津神社には4月にたまたま行ってきました、他の神社も機会を作って行ってようと思います。


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